サブカルの聖地・ロフトプラスワンはいかにして誕生したか…創業者・平野悠が語る運命の“居酒屋の一夜”と48歳の決断

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食堂、バー、図書館、露天風呂にジム、カラオケまでを備える超高級老人ホームに入居していた「ロフト」創業者の平野悠さん。老人ホームのバーで出会った元大学教授との原発論争をきっかけに、トークライブハウス「ロフトプラスワン」のアイディアを思いついた夜を思い出す。

【写真】ライブハウス「ロフト」の創始者、平野悠さん

書籍『超高級老人ホームに入ってみた』より一部を抜粋・再構成し、波乱万丈な人生を歩んできた著者が今や当たり前となったトークライブハウスという業態を思いついたきっかけについて語る。

誰もいない老人ホームのバーで

週に1回、日曜日だけ開くバー。毎日酒を飲んでいる私であるが、新たな出会いを期待して覗いてみる。おっと、いるじゃないか。カウンター席で1人で飲んでいる男。間隔を空けて腰掛ける。

「キューバリブレを」

「かしこまりました」

バーテンダーはコンシェルジュの女性がやっている。カウンターの男に話しかけてみようか。私より年上のようだ。

「ここにはいつから入居しているんですか?」と私。

「は?」

ややあって、こちらを向く男。もしかして耳が遠いのか?身を乗り出して、大声で聞く。

「ここには、いつから、入居しているんですか?」

「ああ、少し前にね」

「席、隣に移ってもいいですか?」

「どうぞ」

すえた匂いがする。老人の匂いだ。

男は元・大学教授で、東京の有名な私立大学で教鞭をとっていたという。私が会いたかった「インテリジェンスのある金持ち」だ。人を値踏みする目つきではあるが、私の不躾な質問にも答える。自分に興味を持たれるのは、まんざらでもないようだ。

「それにしてもこのホームは人がいないですね。このバーにいるのも私とあなただけだ。以前乗ったピースボートのバーでは……」

「ピースボート? ああ左翼の。ロシアから金が出てる」

ちょっと待てよ、聞き捨てならないセリフだな! 思わず私は声を荒らげた。「あんたなあ……」。

「脱原発、9条死守、核兵器廃絶、災害救助」。ピースボートの四大テーマは、たしかに左翼的な理念だ。ピースボートが左翼的であることは認める。でもロシアから金が出てるって? 一体どこの情報だ。私は左翼はやめたけれど、ピースボートのファンである。大切なものを侮辱されることは許せない。

「じゃあ何ですか、あんた、原発も賛成ですか?」

「ああ賛成だよ。何がいけない」

福島の事故を忘れたのか? 事故から10年経った今も、収束の見通しは立っていない。

原発を維持する莫大な費用は、電気料金に上乗せされ、国民が払わされている。国も電力会社も責任は負わない。こんな理不尽な話があるか。

男は鼻で笑うように言った。

「そういう君だって、原発に反対しながら電気を使ってるじゃないか」

それは話が違うだろう。こんなのが大学教授か? やめたやめた。

「……おかわりいかがですか?」

女性バーテンダーが小首を傾げてみせた。

やってしまった。ここは歌舞伎町のトークライブハウス「ロフトプラスワン」ではないのだ。

誰もいない老人ホームのバーで、原発の話をして何になる。私は石のように押し黙った。

興奮して眠れなかった夜

「生け花ってのはなあ、全てに花鳥風月という表現があってさ……」

連れの女性に力説する中年男性。カウンターには花の写真が並んでいる。男は生け花と盆栽に造詣が深いようで、その言葉にはひけらかしではない熱量があった。西新宿の小さな炉端焼きの店。あの夜はたしか、小雪が降っていた。

「私もよく鉢植えを飾りますが、生け花や盆栽は何が違うんですか?」。隣の2人の話に引き込まれて、私は彼らに次々と質問をした。話題は華道から日本の古典文化に移り、店のオヤジも話に加わる。なんとオヤジの本職は祭り職人で、話題は日本の祭り文化へ。オヤジは酒をあおると、木遣り節を唸り始めた。

50年近く音楽と共に生きてきた私だったが、生け花の話も、祭りの話も、初めて聞くことばかりだった。隣の中年カップルも店のオヤジも、いい顔をしている。オヤジの名調子にテーブル席からも喝采が起こる。

街の片隅には、こだわりを持って生きている市井の人たちがいる。居酒屋という開かれた場所で、ふとしたきっかけで始まる会話があり、世界が広がる喜びがある。

何かが始まる一期一会。「こんな場所を作りたい」と私は思った。居酒屋で1番面白そうな話をしているテーブルにマイクを置き、好きなことを喋ってもらったら、どうなるのだろう? 音楽ではなくトークのためのライブハウス。そんな空間は、世界中探してもないだろう!

1995年。タブーなき討論とサブカルチャー発信の場として今日まで続く、ロフトプラスワンはこんな出来事から生まれた。あの夜は興奮して眠れなかった。

ロックへの落胆から生まれたもの

少し昔話につきあってほしい。

ロフトプラスワンは、当時ロフトでの居場所を見失っていた私にとっての、「新しい遊び場」だった。

1984年、私はそれまでの13年間で5店舗を展開してきたロフトグループを解散し、世界放浪の旅に出た。働きに働きづめ、無理やり店舗を拡大し、そのための莫大な借金を払い終えた時、何かがぷつんと切れた。「何のために、これほど働くのか?」。全てを投げたくなったのだ。

ブレイクすると、ロフトを卒業するミュージシャン。採算の取れない小さな箱から、ホールや日本武道館などの大会場へ。そこには「ライブハウスで育った新人を大手プロダクションとレコード会社が獲得する」という商業の論理があった。

その一方で、ビジネスのレールに乗らない破壊的なパンクムーブメントも終わった。暗澹たる思いと、ロックへの絶望感。事業の拡大と反比例して、私は会社の経営に情熱を持てなくなっていった。

1960~1970年代の「政治の季節」を体験していた私は、緊張と興奮の日々を渇望していた。つかの間の繁栄を謳歌する日本を離れ、激動の世界に身を投じたい。40歳、バツイチの独身。平和な日本で死にたくない。俺は何をしているのだ?

そうして私は、1984年に「ロフト解散」を宣言した。

「新宿ロフトだけはやらせてくれ」との当時の副社長・佐藤文の提案を聞き入れ、下北沢などの4店舗は当時の店長にのれん分けして、新宿ロフトだけを手元に残した。ロフトを解散した私は、旧ソ連と東欧諸国を皮切りに、世界放浪の旅に出た。

8年後の1992年、西新宿の再開発により、新宿ロフトが立ち退きを迫られていると聞いて、私は帰国する。

現場に復帰して、私ひどく落胆した。「これでは仲良しクラブの歌声喫茶ではないか?」。日本のロックは変わり果てていた。

意味のない歌詞と軽薄なノリ。アイドルのコンサートで人生応援歌のように手を揺らす観客。どのバンドもこなれた演奏をしているが、かつてロックが持っていたカウンターカルチャー、反権力としての思想性はなく、突っ張った演奏者も観客もいない。それでも店は繁盛している。

立ち退き反対運動の末、店舗は歌舞伎町に移転することで結着したが、浦島太郎状態の私はロフトでの居場所を失っていく。当時48歳。10代、20代の若者相手に、8年の空白を埋めるには歳を取りすぎていた。できることなら、50代でもう一花咲かせたい。そう願っていた時に閃いたのが、トークライブハウスという新機軸だった。

追憶のロフトプラスワン

あれから約30年。「トークのためのライブハウス」というコンセプトは、当初誰からも理解されなかったが、ロフトプラスワンは日本のサブカルチャーを産み育てるゆりかごとなっていく。

岡田斗司夫、唐沢俊一、眠田直らの「オタクアミーゴス」、映画監督の若松孝二、ベストセラー『突破者』の宮崎学、新右翼・一水会代表の鈴木邦男、「日本のレーニン」と呼ばれた元・赤軍派議長の塩見孝也等々、有名無名の出演者が右も左も入り乱れ、観客もそこに加わり、一方通行の大手メディアが成し得ない、新しい言論の場が生まれた。

野村克也・沙知代夫妻や堀江貴文といった時の人も出演し、私の思いつきから始まったロフトプラスワンは、サブカルの聖地となる。

今ではトークライブハウスはロフト系列だけでも6店舗。日本各地に同様のコンセプトの空間は次々と生まれ、カフェや書店などでもトークの催し物を行うのは普通のことになった。そしてネット配信。テーマと2人以上の語り手がいれば、トークライブはどこでもできる。

ただ悲しいかな、ロフトに居場所を見出せなくなったように、有名になるにつれて予定調和的になっていったロフトプラスワンにも、私は魅力を感じなくなっていった。

ヘイトスピーチなどの人権問題、原発などの社会問題について、どれだけ熱く討論しても、社会は結局変わらない。むしろ悪くなる一方ではないか。そんな諦念もあったかもしれない。

あはは、昔の話はどうしても暗くなってしまうな。

隠居の身となった私だが、来週には世界初の「超高級老人ホーム」からのネット配信が待っている。聞き手には美しい女性作家が来る。私にとってはひさしぶりのトークライブだ。

何が起こるかはわからないが、きっと何かが起こるに違いない!

文/平野悠

超高級老人ホームに入ってみた

平野 悠

2026年7月17日

1,012円(税込)

224ページ

ISBN: 978-4-08-721421-5

日本屈指のライブハウス「ロフト」創業者が、千葉県鴨川市にある入居金6000万円の超高級老人ホームに入居した。
海が見える高層階に住み、館内は食堂、バー、図書館、露天風呂、ジム、カラオケ、ビリヤードなど高級ホテル並みの豪華施設が揃っているうえ、スタッフも親切で、提携する病院によるサポートも完璧、全く不満のない老後を送るはずだったのだが――。
わずか2年でそこを去ることになった著者が、富裕層の住人の知られざる実態と共に、自らの入居から退去までの顚末を面白おかしく、そして哀しく綴る体験記。

◆目次◆
第1章 「やすらぎの郷」を求めて
第2章 ここは天国か?
第3章 海と孤独と自由と
第4章 そして、ホームを出る