名将たちの人心掌握術(4)
マルセロ・ビエルサ

 北中米ワールドカップでマルセロ・ビエルサはウルグアイ代表を率いたが、期待を大きく裏切ることになった。サウジアラビア、カーボベルデに勝ちきれず、スペインに黒星。グループステージで敗退となった。

 大会後、ビエルサの発言にはネガティブな言葉が並んだ。

「3年間率いたが、無意味で無価値だ」
「(選手などは)私の伝えることに何の興味も示さなかった」

 大会の前年にアメリカに敗れた時は「私は(ウルグアイ代表にとって)有毒な監督だ」とも言っていた。

 大会前から監督と選手の確執が伝えられていたが、これほど悲しい結末はあるだろうか。


ワールドカップではウルグアイを率いてグループステージ敗退に終わったマルセロ・ビエルサ photo by Reuters/AFLO

 ただし、これでビエルサ監督の力量を疑うのは間違っている。アルゼンチン代表だけでなく多くのチームを率い、麾下の選手や指導者を啓蒙してきた。"門弟"には、ディエゴ・シメオネ、エドゥアルド・ベリッソ、マウリシオ・ポチェッティーノ、ヘラルド・マルティーノ、パブロ・アイマール、ホルヘ・サンパオリと錚々たる面子が並び、ジョゼップ・グアルディオラは自ら師事したほどだ。

 ウルグアイ代表内で何が起きていたのか。実際の不和の程度はわからない。混乱を増幅させたのは、メンバー外になった選手や関係者の証言だったからだ。

 ビエルサは四面楚歌だった。もちろん有能なリーダーは状況にも配慮し、組織を動かすのだろう。しかし、彼は人並外れて不器用で、現場しか重視できない(メンバー外になる選手に興味を持てない)。悪気はなく、実務家なのだ。

 今回は、極端なビエルサのマネジメントが裏目に出た格好だが......。

 あらためて言うが、ビエルサは現代最高の戦術家である。博識は想像以上で、グアルディオラはビエルサと会った際、11時間以上にわたりフットボール談義を交わしても疲れる様子を見せないことに驚嘆したという。スペイン語で「LOCO(クレイジー)」の異名をとる。

「休みなく攻め続ける、そういうフットボールを完成させたいのです。理想を言えば、90分間、攻め続けたいのです」

 ビエルサは真顔でそう語る偏執的な監督だ。

【就任2日で辞任】

 たとえばアスレティック・ビルバオ監督時代、予定されていた練習施設の改修工事が終わっていなかったことに腹を立て、怒りをぶちまけてクラブ内で確執を生んだことがあった。たいていは事情を聞いて、改善を求めるのが社会的な行動規範だろう。しかし、予定通り施設が使えないことに感情を制御できなかった。

 その後も、ラツィオの監督就任後、わずか2日で辞任する珍事を起こしている。舌戦に発展しても、ビエルサは一歩も譲らなかった。

 クレイジーなリーダーだが、そのロジックが求心力を持ったとき、敬愛すべき存在になるのだ。

「ビエルサには『ゲーム中ずっと、敵陣でプレーすることにトライしてほしい』と指示されたよ」

 かつてアルゼンチン代表でプレーしたMFフェルナンド・レドンドは、ビエルサの口から出たひと言をいまだに忘れられていなかった。

「ビエルサからは『90分間、敵の陣地でプレーして下さい。しかも、できるだけペナルティエリア近くにポジションを取るのです』と言われた。僕は最初、冗談かと思った。自分はセンターMFでゲームを作りながら攻撃に参加するけど、守備のリスク管理もしないといけないから。でも、彼は本気だった。『激しくボールにアタックし、絶え間なくスペースを見つけ、攻撃し続けるのです』ってね」

 ビエルサの辞書に「攻守のバランス」という言葉はない。自分たちがボールを持ち続け、攻め続ける。奪われたらそこから奪い返し、ゴールに迫るため、マンツーマンが基本だ。

 ビエルサは、ニューウェルス・オールドボーイズ、アトラス、クルブ・アメリカ、ベレス・サルスフィエルド、エスパニョール、アルゼンチン代表、アルゼンチン五輪代表、チリ代表、アスレティック、マルセイユ、ラツィオ、リール、リーズ、ウルグアイ代表と数多くのチームを率いてきたが、35年以上にわたる指導歴で自らの哲学を裏切ったことはない。理論が実証されると、成功は連鎖し、チームは勝手に結束した。

 試合分析の的確さと執拗ぶりはすさまじく、何千本というビデオを研究・検証し、その論理を完璧に近づける。そこから外れる要素を許さない。

【根暗なサイエンティストではない】

 たとえばチリ代表の監督としてワールドカップ南米予選を戦っている最中、MFのアルトゥーロ・ビダルが紅白戦で何度かアクロバティックなプレーで周りを沸かせたことがあった。だが、ビエルサはビダルの側に走り寄り、丁寧だが強い調子で説教をした。

「あなたが先ほどからしているすべてのプレーは、チームにとっては無秩序でしかありません。まったくもって何の役にも立たないプレーばかりです。もし、あなたが私のもとでプレーしたいのなら、要求された役割を忠実にこなすことです。あなた自身が必要だと思うことをしてもらっても困るんですよ」

 こうした言い方は、場合によっては嫌悪される。ただ、ビエルサは根暗なサイエンティストというわけでもない。

 ベレス監督時代、ビエルサは守護神ホセ・ルイス・チラベルトとの不和が報じられていた。ふたりはほとんど口をきくことがなかった。チラベルトは奔放な性格で、「陰湿な戦術家と馬が合わない」と決め込んでいたという。ビエルサ自身、これといった手を打たなかった。

 ある日、遠征の飛行機で隣の席になったふたりは、機体が激しく揺れる乱気流に巻き込まれる。人生の終わりと思うほどの混乱状態だった。

 そのとき、ビエルサは落ち着いた様子で、微笑すら浮かべてチラベルトに話しかけたという。

「あなたは幸せですか?」

 チラベルトは唖然とし、その後で大笑いした。彼も豪傑である。その剛胆さに触れ、すっかり意気投合したのだという。

 神経質そうな学者然とした印象は一面に過ぎず、恐れ知らずの肝の太さと、好戦的な面も持ち合わせている。アルゼンチンリーグ時代のある試合で、ロッカールームから選手をピッチに送り出すとき、彼はこんな言葉を投げた。

「街中で殴り合いの喧嘩になると、ふたつのタイプの男がいます。相手を殴りつけ、流血を見て、怯んでしまう者。もうひとりは相手を殴り、流血を見て、さらに興奮して殴り続け、相手を殺してしまう者。みなさん、これから向かう場所にはすでに血の匂いがしていますよ」

 ビエルサはただの戦術オタクではない。内奥に激しさを持つ。その言葉は、選手やスタッフを掌握するだけの力があるのだ。だが......。

 北中米ワールドカップでは、自慢のロジックが選手を掌握しきれなかった。彼にとっては論理がすべてで、それが伝わらなかったことが、失敗につながっている。だから、自らを「有毒」とまで言った。

 ただ、ビエルサが多くの指導者を啓発したのは間違いない。それには値札がつけられないほどの価値がある。やはり彼は「狂気のリーダー」だ。

マルセロ・ビエルサ
1955年、アルゼンチン・ロサリオ生まれ。ニューウェルス・オールドボーイズで現役生活を送るが25歳で引退。1990年、同チームの監督に就任したのを皮切りに、アトラス、クルブ・アメリカ、ベレス・サルスフィエルド、エスパニョール、アルゼンチン代表、チリ代表、アスレティック・ビルバオ、マルセイユ、ラツィオ、リール、リーズ、ウルグアイ代表などの監督を歴任。

小宮良之●文 text by Yoshiyuki Komiya