名作がいっぱい

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 今年で放送開始から、50周年のメモリアル・イヤーを迎えたアニメ「まんが日本昔ばなし」。あの独特のオープニング曲を覚えている読者も多いのでは。何度も再放送されただけでなく、いまでも復活が熱望される同番組の魅力を秘話で綴る後編は、声優の意外なエピソードから(前後編の後編。文中敬称略。肩書き、媒体名、地名等は当時)。

【写真を見る】「あちらでお会いしたら、また一緒に昔話をやりましょうね」…「まんが日本昔ばなし」を演じ続けた偉大な俳優

主演声優の家には、土間とかまどが!

「まんが日本昔ばなし」と言えば、独特の声=声優を思い出す人も多いだろう。全てのキャラの声を俳優の常田富士男と市原悦子が演じていた。1970年代当時は声優が専業化しておらず、実力派の役者2人として白羽が立ったようである。毎週金曜をメドに2人に台本が渡され、翌週の火曜収録だったが、配役はこの当日に割り振られた。登場するのが3人(匹、個)以上に渡ることも多いため、2人が幾つもかけ持つことになった。

名作がいっぱい

「むか~し、むかしのことじゃったァ……」という冒頭の台詞で有名な常田だが、作品内では「ミミズとか、餅つきの臼や、あと、牛のフン役なんかもやったことがありました(笑)」と言う。

 常田は長野県生まれながら、小学生時は疎開先の熊本県・阿蘇山のふもとに育った。田んぼや湧き水、鹿やタヌキといった動物などと一緒の環境で育ち、「まんが日本昔ばなし」の声優をやるには、非常に役立ったとか。そんな経歴もあり、市原悦子からは、「本当に昔話のお爺ちゃんみたい」と言われていたが、凄いのはここから。

 その後の実生活でも、昔話のお爺ちゃんを地で行ったのである。1985年に自宅を改築する際、なんと土間を作った。“かまど”も用意され、ご飯は、そちらに薪をくべて炊いた。「(電化製品などで)途中の作業を抜くのは良くない」という信条からだったが、週1で収録する「まんが日本昔ばなし」の影響があったのも想像に難くない。同居の息子夫婦はあまり納得していなかったようだが、本人は笑って、こう続けている。

〈孫は喜んでる〉(「週刊文春」1988年6月23日号)。

 なお、1977年に、「まごころの政治」を掲げ保谷市長選に立候補したが(落選)、演説の際、熱心に聞いていたのは、大人より、むしろ子供たちだったとか。

 後年は、役者としての公演の傍ら、生まれ故郷の長野県木島平村で村芝居を指導したり、時にはあの語りで、朗読劇を披露したりの日々を過ごした。

謝罪騒動となった、「山んば」への思い入れ

 そして市原悦子だ。1975年1月放送開始の「まんが日本昔ばなし」の声優のオファーが来た時は、ちょうど人生の過渡期だった。舞台に倦怠を感じており、71年に俳優座を退団。同年、2度目の流産。子供を諦め、74年に白石加代子との共演で舞台に本格復帰し始めた頃であった。そこに降って湧いた仕事。市原は常田に、こう提言したという。

「この番組だけは、観てる人が、ホッと一息つけるものにしましょうよ。何ならそのまま寝てしまうような。今は何もかもがギスギスして、急ぎ過ぎている」

 1974年はオイルショックの余波で経済が戦後初のマイナス成長に。物価は異常高騰し、「狂乱物価」が流行語になり、8月には「三菱重工爆破事件」が起きていた。一種のスローライフに働きかける市原の企図は当たり、現在も望まれるコンテンツであり続けているのは、見て来た通りだ。そして、自身が声を当ててきた昔話の魅力については、こう総括していた。

「深くて、広くて、果てしない。『めでたしめでたし』で終わる話ばかりではない。どんなに努力しても実らないことはあるし、理不尽なことだって起こりうる。人間というのは、自然の中ではちっぽけな存在なんだなって。だけど、そんな中でも、コツコツと皆、生きて行く。そこに、堪らない愛しさを感じるんですね」

 好きな回は、「山んば」が出て来る話。「山んば」とは、山奥にポツリと住む、妖怪視された老女のことだが、幾度となく「まんが日本昔ばなし」には登場する。盟友の常田の述懐が残っている。

〈(市原の声あてで)最高にいいのは山んばをやった時だね。怖くて、悲しくて、おおらかでっていう、山んばが出てくるんですよ。これぞ日本のお袋魂というようなね〉(「毎日新聞」2005年10月12日付け夕刊)

 その真意を明かした時、騒動になったことがあった。2015年5月、NHKの朝の情報番組「あさイチ」に出演した際、司会の有働由美子と井ノ原快彦と歓談していた時のことだった。どうして山んばが好きなのか問われ、市原は、生放送の中、以下の大意を答えた。

「世の中からズレた、外れた、落ち込んだ人が山に行って。体の不自由な人とか外国人が……。疎外されたことで、それが山んばという存在の原点になったと思うんです。そういう人たちは反骨精神や憎しみが強い。だけど、心の通じ合えた人とは、こよなく手を繋いでくれるものだと思うんです」

 この「体の不自由な人」「外国人」を、市原は実際の放送ではある差別的とされる表現を使った。同番組終盤で、有働アナがお詫びをする顛末となった。表現自体には留意すべきだったが、当時、ネットは紛糾。「差別する意味では言ってない」と市原を擁護する声が多かったことを付記しておく。そして、こんな書きこみも見られた。

〈「弱者への慈愛を感じる」〉(「いいことだけ考える 市原悦子のことば」文藝春秋より)

 山んばに対する本人の所見を、もう一つ載せておきたい。

〈孤独を知っているから優しいのね〉(「ゆうゆう」2013年12月号。主婦の友社より)

「お互いに、入れ歯になってもやり続けようね」と、常田に語っていた市原。「まんが日本昔ばなし」をライフワークと捉えていた。2018年7月、常田が逝去すると、以下のコメントを残した。

「あちらでお会いしたら、また一緒に昔話をやりましょうね」

 常田同様、後年は朗読劇やCDにも注力していた市原は2019年1月、逝去。最後に行った仕事は、NHK総合「おやすみ日本 眠いいね」の中の1コーナー、「日本眠いい昔ばなし」の朗読だった(※3)。

 遺骨は、先立った夫とともに、樹木葬にされた。「そうすれば、土に還れるから」と生前、語っていたという。

※3:放映は、2018年12月。作品は「米出し地蔵」だった。

【前編は「最初に鑑賞したのは“元総理と孫”だった…『まんが日本昔ばなし』放送開始50周年、知られざる“映画版”に選ばれた“キツネが登場するお話”とは」】

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。近著「10・9 プロレスのいちばん熱い日」(スタンダーズ)が重版出来中。雑学にも極めて通じており、「世界の国々 おもしろクイズ1000」(メイツ出版)においては、ほぼ全問を作成及び執筆している。

デイリー新潮編集部