能登の夏を彩るキリコ祭り。おととしの能登半島地震以降、祭りを開催できないという地域もある中、祭りで地域を盛り上げようと様々な地区でキリコ祭りが行われています。

おととしの地震で震度7を記録した石川県志賀町もその1つ。祭りを通して地域を盛り上げる住民たちの1日を取材しました。

冨木八朔祭礼は旧暦の8月31日の夜、冨木八幡神社の男神が女神の居る住吉神社に出向き、逢瀬を楽しんだという伝説に由来する祭りです。

担ぎ手の確保などを目的に、近年では毎年8月の最終土曜日と翌日の日曜日に開かれるようになりました。能登半島地震が発生したおととしは縮小開催となりましたが、今年は去年に引き続き、通常通りの開催となりました。

志賀町富来地区にある10地区から大小合わせて16基のキリコが参加し、富来の夜を彩ります。

そのうちの一つ貝田地区。29軒71人の住民が住む小さな集落は、8月末になると賑やかな掛け声が響きます。

人情あふれるもてなしの宴「ヨバレ」 能登の祭りを支える地域の一体感

29日正午。貝田地区には、続々と訪問客らが訪れます。

住宅の座敷で行われているのは「ヨバレ」と呼ばれるもてなしの宴です。能登地区では多くの祭りで客を歓迎するための宴会が行われます。

宝達志水町から訪れた女性「この地区の祭りは人情味がありますよね。元々は主人がヨバレを行っている家の方と知り合いなんですが、主人が亡くなった後も呼んでいただけるなど、もてなしの仕方などにも心の広さを感じます」

集まった人たちの話題は自然と祭りの話に。今年の祭りをどのように行うかで盛り上がります。

貝田地区に住む20代男性「楽しいですよね。年に1度ですから。志賀町で一番大きい祭りということもありますし、富来のみんなが一堂に会して祭りを盛り上げる一体感が半端ないです」

高さ8m・重さ800kgの巨大キリコが動く!50人の担ぎ手を動かす「能登の繋がり」

午後3時になると、キリコには50人を超える担ぎ手たちが集まります。多くは能登地区の住民たち。貝田地区では県が主導する祭りの担ぎ手ボランティアを頼ることなく、知人やその伝手などを頼って担ぎ手を集めています。

貝田地区・日爪康光さん「毎年手伝いに来てもらうことで、祭りの活気を維持することができる。だからこそヨバレでもてなすし、繋がりを大切にしている」

この日、北陸地方は前線の通過に伴い、志賀町の最高気温は23.6度と平年よりも6度以上低く、6月上旬並みの涼しさに。

貝田地区・宅田欣央さん「こんなに涼しいのは生まれて初めてかもしれないね。それくらい涼しいわ」

例年、残暑の厳しい中で祭りが行われる中、今年は担ぎ手たちにとっても祭りを執り行いやすい気温の中での担ぎ出しとなりました。

冨木八朔祭礼で使用するキリコは最も大きいもので高さ約8メートル、重さ約800キロと能登地区の中でも大型のキリコ。祭りに伝わる独特のリズムの唄に合わせてキリコが田んぼに囲まれたのどかな道を練り歩きます。

貝田地区からキリコが集まる冨木八幡神社までは約2キロ。道中、休憩を挟みながら約4時間かけてキリコを担ぎます。

途中、キリコが休む時には担ぎ手たちが太鼓を叩くなどして沿道の観客を沸かせます。

時代が変わっても消えない情熱 「祭り」がつなぐ能登の笑顔と、子どもたちへ渡す未来のバトン

夕方になり、空が暗くなり始めると、キリコに明かりが灯ります。

いよいよ初日のクライマックスである神社境内でのキリコの乱舞です。

「サーセィ」という掛け声と共にキリコを持ち上げたり、勢いよく境内を駆け上がったりする姿は、能登の勇壮さを表しています。

朝方までの雨はすっかり晴れわたり、月の輝く境内に漆塗りと金箔で燦然と輝く巨大なキリコが乱舞する様に、訪れた人たちは惜しみない拍手を送っていました。

貝田地区・日爪康光さん「祭りがあるからみんな能登に残る。盆や正月には帰らずとも、祭りだけは帰るという人もたくさんいる。富来にとって、祭りは何よりも大切な行事だと思う」

冨木八朔祭礼・安田雄一郎壮年会長「今年は祭りを更に皆さんに楽しんでいただくために、カプセルトイやデジタルマップを作製するなど、新しい取り組みにチャレンジしてきました。冨木八朔祭礼は伝統がある祭りなので、祭りの楽しい思い出を特に子供たちに作ってもらい、今後継承していってほしいですね」

「祭りがあるから、ここに帰ってくる」--。

新しい工夫を取り入れながら未来へ繋ぐ人々の笑顔と熱気が、富来の夜を力強く彩っていました。時代が変わっても、故郷を愛する人々の情熱が消えることはありません。