今年(2026年)初め、韓国社会を騒然とさせた事件がある。いわゆる「モーテル連続殺人事件」。モーテルとは、韓国では日本でいうラブホテルのような宿泊施設を指す。今、この事件の一審判決が波紋を広げている。

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 被告は、犯行当時20歳だったキム・ソヨン。彼女は、複数の若い男性をモーテルに誘い、薬物を混ぜた飲み物を飲ませ、2人を死亡させた。ほかにも4人の男性が同様の手口で重軽傷を負ったことが明らかになっている。


一連の犯行はモーテル(日本のラブホテルのような宿泊施設)でなされ、韓国では「江北(カンブク)モーテル連続殺人事件」などと報じられている ※イメージ写真 ©AFLO

検察は死刑を求刑

 検察は犯行が計画的かつ複数回に及んでいたこと、2人の死者を出したことなどを理由に死刑を求刑した。しかし、一審裁判所は「未必の故意」と、キム被告は幼少期に不遇な環境にあったことなどを考慮し、死刑ではなく無期懲役を言い渡した。

 韓国社会に大きな衝撃を与えた凶悪犯罪に対して裁判所がこのような判断を示したことで、韓国では国民の「法感覚」と司法判断との間に大きな隔たりがあるとの批判があがっているのだ。

ネットで若い男性達に接近

 キム被告の犯行は、昨年(2025年)の終わりごろ、オンラインで男性たちと接触したことから始まった。自分の写真ではなく、別人になりすましたSNSアカウントを作成。複数の名前を使い分けながら、若い男性たちに接近した。

 ネット上で親しくなった後、実際に会うようになり、男性と直接会った際には「静かな場所で一緒に過ごしたい」「デリバリーを頼んで食べよう」などと誘い、近くのモーテルへ連れて行った。

薬物入りの飲み物を渡して…

 モーテルに入ると、キム被告はあらかじめ用意していた薬物入りの飲み物を男性たちに渡した。そして男性が意識を失うと、そのまま放置して現場を立ち去った。通報や救助を求めることなく、被害者が料金を支払ったデリバリーの料理まで持ち出してモーテルを後にしたことが明らかになり、世間に衝撃を与えた。

 検察によると、キム被告の犯行による被害者は計6人に上る。犯行の動機は複雑で、今も明確に説明されていない。被害者に宿泊費やデリバリーの費用などを負担させていたことなどから、財産に対する欲求が犯行の主な要因の一つだったと検察は判断した。

被告は「サイコパス」

 これに加え、男性に対する過度な警戒心や、他人の被害に共感できない傾向などが複合的に作用したとみている。また、捜査過程で実施されたサイコパス診断検査でも、サイコパスの範疇に該当すると評価されたと伝えられている。

 検察がキム被告の一連の犯行に明確な殺意があったと判断した重要な根拠は、最初の犯行後の行動だった。

 1人目の被害者は、薬物入りの飲み物を飲んで意識を失ったものの命に別状はなかった。すると、キム被告は生成AIに対し、薬物と酒を一緒に摂取した場合にどのような危険が生じるのかなどを繰り返し質問した。

 AIから死亡に至る可能性があるとの趣旨の回答を得た後も、犯行をやめなかった。それどころか、その後の犯行では最初の犯行時より薬物の量を2倍以上に増やしていたことが捜査で判明している。そして最終的に別の被害者は死亡してしまったのだ。

韓国で広がった「殺人レシピ」

 キム被告が犯行に使用した薬物を入手した経緯も、計画性をうかがわせるものだった。検察によると、キム被告はPTSD(心的外傷後ストレス障害)があるように装って精神科から処方薬を入手し、犯行のためにあらかじめ準備していた。死亡した被害者の司法解剖では8種類の薬物が検出され、投与された薬物は少なくとも50錠に相当する量だったとされる。「被害者を眠らせようとしただけだ」というキム被告の主張とは、大きな矛盾があった。

 この事件は韓国社会で大きな注目を集めた。ある調査報道番組が、犯行に使われた薬物について具体的な情報まで取り上げたことで、「殺人レシピ」という言葉が広まった。その後、SNSには「殺人レシピ」をはじめ公表された情報を組み合わせて犯行手口を整理した投稿まで登場。さらに、似た手口で男性に薬物を使って金品を奪う事件まで発生し、模倣犯罪の可能性も指摘された。

犯行後には日本旅行も…

 さらにこの事件の奇妙なところは、キム被告の犯行後の行動だった。キム被告は2人の男性が死亡した後も平然と日常生活を続け、裁判所に提出した自筆の答弁書によると、2月初めには姉とともに日本への旅行さえしていた。

 また、「自身の個人情報が公開されたことで夢が壊れた」と訴える一方で、「刑期を終えた後は母親から仕事を教わり、配達の仕事をしながら暮らす」という将来の計画まで記していた。

 こうしたキム被告に対し、検察は死刑を求刑した。2人の被害者が死亡し、犯行が事前に計画され、最初の犯行後に薬物の危険性を確認したにもかかわらず犯行を繰り返したことなどを考慮すれば、最も重い刑罰が妥当だと主張した。検察はまた、キム被告が犯行について真摯に反省する態度も見せていないと指摘した。

一審は無期懲役の判決

 しかし、一審裁判所はキム被告に死刑ではなく無期懲役を言い渡した。裁判所は、「過去のトラウマから男性との身体的接触が怖く、しばらく眠らせようとした」というキム被告の主張を認めなかった。

 一方で、当初から被害者を殺害する明確な意図を持っていたと断定するのは難しいと判断した。ただし、犯行を繰り返す過程で薬物の危険性と被害者が死亡する可能性を認識しながら犯行を続けたとして、「未必の故意」による殺人を認定した。

 そのうえで、幼少期に父親から繰り返し家庭内暴力を受けていたことなど、不遇な家庭環境や社会的孤立、知的能力の低さなども考慮し、無期懲役を言い渡すとした。「死刑は人間の生命を永久に奪う究極の刑罰であるため、特別な事情がある場合に限って例外的に言い渡すべきだ」というのが裁判所の判断だった。なお、一審判決には双方が不服を申し立てており、今後、控訴審が行われる予定だ。

死刑求刑→無期懲役となった例

 検察が死刑を求刑したにもかかわらず、韓国の裁判所が無期懲役を言い渡すケースは、この「モーテル殺人事件」だけではない。2023年、釜山で当時23歳のチョン・ユジョンが同年代の女子大学生を殺害し、遺体を切断して遺棄した事件でも、検察は死刑を求刑したが、最終的に無期懲役が確定した。

 同年、ソウル・新林洞(シンリムドン)で通行人1人を殺害し、3人を殺害しようとしたチョ・ソン(当時33歳)、死者2人を含む計14人の死傷者を出した京畿道(キョンギド)・盆唐(プンダン)の無差別襲撃事件の犯人チェ・ウォンジョン(当時22歳)も、検察が死刑を求刑したにもかかわらず、無期懲役が確定した。

 韓国で最後に死刑が執行されたのは1997年12月。現在、死刑制度は法律上存在しているものの、実際の裁判ではほとんど機能していない刑罰となっている。

 問題は、こうした司法の“慎重な判断”が国民の「法感覚」と必ずしも一致していないことだ。韓国ギャラップが2022年に実施した調査でも、死刑制度の維持に賛成した人は69%に上り、廃止すべきだと答えた23%を大きく上回った。

 一方で、司法に対する韓国国民の信頼は高いとは言い難い。OECDが2023年に実施し、2024年に発表した調査では、韓国の司法に対する信頼度は33%にとどまり、OECD平均の54%を大きく下回った。

「それなら、どのような犯罪に死刑を科すのか」

 もちろん、司法に対する不信の原因を凶悪犯罪の量刑問題だけで説明することはできない。しかし、多くの国民が「これほどの犯罪なら最も重い刑罰を受けるべきだ」と考えるような事件で、裁判所が繰り返し求刑より軽い判決を下せば、司法に対する信頼が低下するのは避けられない。

 韓国の裁判所は、モーテル殺人事件のような凶悪犯罪についても「死刑は例外的な刑罰」と位置づけ、無期懲役を言い渡してきた。しかし韓国国民の間では、「それなら、いったいどのような犯罪に死刑を科すのか」という疑問が積み重なっている。

 裁判所がその判断の根拠を国民に納得できる形で説明することは、司法への信頼を守るために避けて通れない課題となっている。

(金 敬哲)