「日ハムはノーマークだった」「巨人への想いもあったし…」ハンカチ王子・斎藤佑樹が今だから明かす“あのドラフト会議”のウラ側
〈日ハムでも巨人でもなく…「ハンカチ王子」斎藤佑樹が入団を望んでいた“意外な球団”とは?「この3チームはどこも同じくらい行きたかった」〉から続く
早稲田実業時代にエースとして夏の甲子園を制覇、早稲田大学では東京六大学野球リーグで31勝を挙げた「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹。大きな注目を集めたドラフト会議では4球団に1位指名された。
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もともと関東を希望し、ヤクルトやロッテといった意中の球団もあった中、結果的に斎藤が入団したのは北海道日本ハムファイターズだ。「まさか名前が挙がるとは」と驚いたというドラフト会議当日の記憶について、ベースボールジャーナリスト・石田雄太氏の新著『ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶』(カンゼン)から一部抜粋してお届けする。

「まったくのノーマークだった」という日ハムに1位指名され、競合の末入団した斎藤 ©文藝春秋
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「日ハムは、ノーマークだった」
ドラフト当日はどこに行くことになるんだろうと、不安よりもワクワクしていましたね。日本ハムというのは、まったくのノーマークだったんです。事前には、指名してくれる可能性すらまったく聞こえてきませんでしたし、まさか名前が挙がるとは思ってもいませんでした。
ただ一度だけ、「ああ、そういえば」という出来事がありました。4年秋の、あれはシーズン前か、シーズン中だったか定かではないんですが、日本ハムの山田正雄さん(当時はGM、のちにスカウト顧問)が早稲田のグラウンドに来ていたことがあったんです。
本当に失礼な話なんですが、その頃、山田さんの顔と名前が一致していませんでした。
新聞の記事で『山田GM』という方が日本ハムの編成を担当していることは知っていましたが、山田さんがグラウンドに足を運んで下さった時、誰だかわかりませんでした。早稲田のブルペンはレフトの奥にあるんです。ネット裏のほうから行くと、グラウンドのなかを通らないとたどり着けない場所なんですね。だから基本的には関係者しか入れない。
ただ、ひとつだけ別ルートがあって、ライトのフェンスの後ろ側をずーっと歩いていくと、アメリカンフットボール部のグラウンドがあって、乗馬部もあったりして、そういう中を抜けてくればブルペンまで来ることはできる。でも、ふらっと来られるようなところじゃないのは間違いありません。
「正直、巨人への想いはありました」
ところがドラフト前のある日、そっちの別ルートを通ってブルペンに入ってきたおじさんがいたんですよ(笑)。普段は選手しか通らないルートですし、そもそも選手しかいないはずのブルペンに、スーツをバリッと着こなしたおじさんが入ってきた。福井優也、大石達也と「近所のおじさんが入ってきちゃったのかな」なんて、ひそひそ話をしていたんですが、そのおじさんこそが山田GMだったんです。
その時、後輩が「すみません、関係者以外は入れないんですけど……」と言いにいったはずです。そこで山田さんが「日本ハムのスカウトです」と名乗って、そうだったのか、あの人が超有名な山田さんか、となった。その時は大石を見に来たんだと思っていましたし、まさか僕を見に来てくれていたとは想像もしませんでした。それがいざドラフトとなったら、日本ハムも1位で指名してくれたので、本当にビックリしました。
指名する前は何のアクションも起こさないという話は聞いていましたが、それにしても、こんなに何にもないんだということにはあらためて驚かされましたね。應武監督もビックリしていた……というか、むしろ半分、怒っていたかな。何の挨拶もなかったじゃないかって(笑)。
ヤクルト、ロッテ、ソフトバンク、日本ハム……4球団が1位で指名してくれて、クジ引きの結果、日本ハムが指名権を獲得した瞬間は寮のテレビで見ていました。真っ先に思ったのは、北海道は高校の時に甲子園の決勝で戦った駒大苫小牧のふるさとだ、ということでした。僕は群馬で生まれ育って、高校から東京へ出てきて、なんとなく関東に馴染みがありました。だから僕はずっと関東にいるんだろうなという思い込みがあったんです。
それが人生を左右するドラフトで北海道と縁が結ばれるとは……それはまさかでしたし、僕の運命はこういう流れだったのかという気持ちになりました。
もし関東にそのままいたら、自分のテリトリーのなかだけでものを見ていたような気がするんです。それがいきなり北海道へ行くことになって、ものの見方の幅はすごく広がるんじゃないかという期待はありました。僕は日本ハムに入って、北海道と縁を結んでもらって、本当によかったと思っています。
巨人ですか? 正直、巨人への想いはありました……あったというより、強かったと言ったほうが近かったと思います。子どもの頃から巨人のことは好きでしたし、球界を引っ張ってきたリーダーですから、巨人に入りたいと思っていた時期もありました。でも、やっぱり巨人とは縁がなかったんだと思います。
〈「読んだら、涙が溢れてきて…」ハンカチ王子・斎藤佑樹が今でも忘れない“栗山英樹からの手紙”「監督もウルっとしていた」〉へ続く
(石田 雄太/Webオリジナル(外部転載))
