月村了衛氏が最新刊について語る(撮影/国府田利光)

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 舞台は山陰の海に面した〈暮内町〉。集落ごとに方言が微妙に異なり、それほど地理的に閉ざされてもきた町に、月村了衛氏は東京の中堅商社をリストラされ、やむなく妻〈香苗〉の故郷に身を寄せた34歳の主人公、〈垂水柊一郎〉を置く--。

 そう。この国の漁業や地方社会の闇を構造的に描き、「週刊ポスト」連載中から広く注目を集めた、『腐魚の海』である。

 長年この町で漁師を営み、かつては町会議長も務めた義父〈檜垣真三〉のもと、漁師として再起を図りつつあった矢先、彼は妻と義父を突然事故で失うことに。しかし2人が夜釣りに出かけるのを見たという住民の証言にも納得できず、モヤモヤした思いを抱えながら、義父の船で漁を続ける彼はある夜、板きれに身を預け、沖を漂流する大男を救助してしまう。それが操業中に上官から海に落とされたと訴える北朝鮮の軍人、自称〈ホン・イルナム〉だった。

 この運命の出会いを機に、柊一郎はヤクザや北朝鮮や当の漁師までが〈密漁〉に手を染め、限られた資源を巡って睨み合う日本の海の現実を知っていくのだが、これらはまだほんの序の口。香苗が生前、〈この海はね、きれいだけど、腐っているの〉と呟いていたように、その後も相次ぐ事件の先には、さらに深くて暗い闇が待ち受けていたのである。

「元々私は海というよりは、山好き、登山好きでして。打ち合わせの際に担当編集者が出してきたのが、まだ発売前だった窪田新之助さんの『対馬の海に沈む』でした。地方のある農協の暗部に肉薄したノンフィクションですが、こうした構造は漁協も体質的に有しているのではないかと感じました。同時に思い出したのが鈴木智彦さんの『サカナとヤクザ』で、それらの本に記されている実情をもとに構想を固めていきました。しかも担当編集者が各地の漁協に関する興味深い話を相当数教えてくれまして、こんなに恐ろしい話が日本各地にあるのかと驚きました」

 まずは意識の朦朧としたイルナムを自宅に寝かせ、食事まで用意した柊一郎は、むろん〈通報〉することも考えた。が、かつてコンビニでおにぎりを万引きした老人を見かけ、警察に突き出す格好になった時の違和感が忘れられず、ついつい先延ばししてしまったのだ。

〈巨額の裏金を作っていた政治家が起訴すらされないといった報道に接するたび、柊一郎はあの老人を思い出さずにはいられなかった〉

「私もそうなんですけど、誰であろうと釈然としない思いは残ると思います」

 こうして日本語の話せないイルナムと通訳アプリで会話をし、寝食を共にする同居生活が始まった。が、やがて彼を匿うことに限界を感じた柊一郎はイルナムに聴覚障害者のふりをさせ、遠い親戚として皆に紹介。国道沿いの大型商業施設へ買物に行き、フードコートでうどんを食べたりもしたが、実はこの時、柊一郎は他にも問題を抱えていた。妻の死後、夫婦して世話を焼いてくれた隣人の〈吉田〉が地元のヤクザと共謀する密漁現場を見てしまうのだ。

 しかも狭い町だ。香苗の元同級生〈近夫〉に誘われ、地元のスナック〈ちどり乃〉へ行くと、そこには吉田とその一味がおり、〈あんた、一昨日の夜、見たじゃろ、あれを〉〈いずれは知っとかんといかんことがいろいろある〉と言って、柊一郎をあれの仲間にしようとする。

 さらに彼は、ちどり乃で働く香苗の後輩〈理恵〉や在日韓国人の〈順花〉から地元の大手加工会社〈ニチラン水産〉が技術実習生に対して行った数々の蛮行について聞かされ、〈この町にはまだまだ自分の知らない顔がある〉〈ニチランのような企業の工場は、日本中の港に存在する〉と、改めて思い知らされるのだった。

「柊一郎は普通の人にしたかったんです。妻や義父の死も全部自分のせいにして、くよくよ悩んでばかりいる。でもリアルな人間は普通そうだろうと思うんです。元々故郷を嫌っていた妻に落ち込んだまま死なれたりしたら、それは不正を糺すどころじゃないだろうと。私ならもっとウジウジしてますよ。断言します(笑)」

私の書くヤクザはなぜか人気になる

 本作はそんな彼が後半、この町の何が香苗達を死に至らしめたのかを探ろうと、ようやく腹を括る成長譚でもある。例えば市場に並ぶ魚のうち、種類によっては約半分が今や密漁物で、判別は不可能なことなど、その過程で彼が知る事実はほとんどが日本の現実だ。

「この作品は有難いことに連載中のアンケートが大変よかったと後で聞きました。書店員の皆様からも沢山のご感想を頂戴していて、今作では特に『怖い』というご感想が多かった。それも、この町が醸し出す、空気そのものが『怖い』と。

 例えば男尊女卑がここまで露骨な町なんて、令和の日本にはなさそうに思える。でも全国の書店員の方々の反応を見る限りでは『ある、ある』という感じで、つまり表向きはないことにされていたり、誰もが薄々気づいていながら見て見ぬふりをしている事実が今も、日本のそこら中にあるから、怖いんだと思うんですね。地域によって濃淡はあるでしょうけど、この国に根を張る〈陰湿な家父長制〉、漁協や名士達が町を食い物にし、さらに上には上がいるこの国の社会構造。それらがすべて相似形になっていると感じます」

 また酒生組に派遣された密漁の名参謀役〈鰐口〉や意外にも芯の強い理恵など、社会の埒外に置かれた人物ほど魅力的で、物語のよりスリリングな牽引役を担うのも、月村作品ならでは。

「なぜか私の書くヤクザは登場した途端、人気をかっさらっていくんです(笑)」

 そして企業側や権力側がさらなる町の利権を巡って蠢く中、〈自分を責めるのは勝手だが、無駄ってもんだ〉と鰐口に一喝される主人公の姿は、悩むだけでは何も世界は変わらないことを、私達に教えているかのよう。

「まさにそういうことです。本来なら糺したり抗ったりすべきだった問題を〈よくあること〉として受け流し、見て見ぬふりをしてきた、我々みんなが同罪なんだと。

 もちろん地方にも美点はあります。ただ私が喜劇も悲劇も、エンタメ作品も非エンタメ作品も書くように、全ては表裏一体なんですよ。先の福岡県議の一件のような事態が当たり前に起きているのに、マスコミも国民もすぐに忘れるのが今という時代であり、それはかなりマズいだろうと」

 だから月村氏は一方的な犯人探しや批判ではなく、この国の構造を物語に描く。もちろん読者の予断を覆す怒涛の展開や、手に汗握るアクションシーンも忘れずに。

【プロフィール】
月村了衛(つきむら・りょうえ)/1963年大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部文芸学科卒。2010年『機龍警察』でデビュー。2012年『機龍警察 自爆条項』で日本SF大賞、2013年『機龍警察 暗黒市場』で吉川英治文学新人賞、2015年『コルトM1851残月』で大藪春彦賞、『土漠の花』で日本推理作家協会賞、2019年『欺す衆生』で山田風太郎賞、2025年『虚の伽藍』で高校生直木賞、2026年『地上の楽園』で中央公論文芸賞を受賞した他、『半暮刻』『対決』『テロル』など話題作多数。来春は映画『エンジュ』も公開予定。175㌢、64㌔、A型。

●構成/橋本紀子

※週刊ポスト2026年9月25日・10月2日号