星野真里さんと長女のふうかさん(本人のインスタグラムより)

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 8月29日から30日に放送された『24時間テレビ』で、女優の星野真里さん(45)が語ったエピソードがSNSで大きな論争を呼んだ。星野さんの長女・ふうかさん(11)は国指定難病の「先天性ミオパチー」のため電動車いすと人工呼吸器を常用しており、公立小学校の特別支援学級に在籍しながら、交流授業として通常学級にも参加している。

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 そんな状況下で、星野さんは小学1年時の授業参観で、ふうかさんが教室のいちばん後ろにひとりで座り、教師に声をかけられないまま授業が進む様子を目にしたという。その状態を「いさせてもらっているだけ」と感じてショックを受け、学校に改善を求めたというエピソードを涙ながらに語ったのだ。

 この発言には「配慮の押し付けだ」「支援が必要なら特別支援学校に行けばいい」といった批判がXを中心に相次いだ一方、「合理的配慮は権利だ」と擁護する声も多く、議論は教育のあり方そのものへ広がった。

 現場の教員の目に、このやりとりはどう映っているのか。特別支援学校の現役教員で、『特別支援教育が教えてくれた 発達が気になる子の育て方』(かんき出版)などの著書がある平熱さんに話を聞いた。

支援には「児童4人に教員2人」の比率も

 果たして、星野さんの主張は「配慮の押し付け」とまで言われるべきものだったのだろうか。

 平熱さんは、保護者の要求が「押し付け」になるかどうかは、その主張の内容と学校側の人員・カリキュラム的な余裕、力量などによって左右されるため、一概には言えないという。ただ、実際問題として、対応が難しい場合が多いことも指摘した。

「常に逼迫している学級現場では、保護者による『合理的配慮』の主張が、『配慮の押し付け』と受け取られてしまう可能性もあるのかもしれません。

 支援が必要な生徒が同じ場で学ぶ「インクルーシブ教育」が国を挙げて推進されているが、それを実現するためにはどの程度の人員が必要になってくるのか。

「例を出すと、特別支援学校の小学部では、児童4人のクラスに教員が2人なんてこともざらにあります。わたしたちの現場ではこれくらいの比率じゃないと十分なサポートができない現状があるのも確かです」

 特別支援学校では4人に2人でようやく成り立つ支援が、小学校で30~35人を1人で受け持つ教員に求められていたら。そのような状況下で消耗していくのは間違いなく教員だろう。

「現場に余裕がない状況での要求は『やってあげたいけど、実際は無理だ』になるのはある程度仕方がないと思います。

 ただ、悪いのはシステムです。もっと教育にお金をかけてほしいです。余るくらい人も設備も時間もほしいです。教育現場も、保護者も、学ぶ子どもたちも、どの立場もしんどいんです」

「みんないっしょが正解」なのか?

 平熱さんは「インクルーシブ」という言葉それ自体には否定的ではないものの、必ず目指さなければならないものだとは考えていないという。

「『みんないっしょが常に正解』とはまったく考えていません。障害のあるなしに関係なく、みんながそれぞれ自分のやりたいことを一番実現しやすい環境に身を置けることがベストだと思います。その結果、たとえば『普通級』『支援級』『支援学校』と子どもたちの学ぶ場所を分けることに、わたしは否定的な感情を一切もっていません」

 今回の騒動では「障害のあるなしにかかわらず子どもたちは一緒に学ぶべきだ」という立場と、「それは押し付けだ」という立場がぶつかっている側面もあった。だが、そこは本質的ではないと平熱さんは語る。

「大切なのは、全員が常におなじ場で学ぶことではありません。分けたあと、見下したり虐げたりしないことです。『普通級>支援級>支援学校』ではなく『普通級=支援級=支援学校』なんです。

 もちろん、これは子どもたちがおなじ場で学ぶことをすべて否定するわけでもありません。ただ、『みんないっしょが常に正解』ではないことも確かです」

みんなが「ちょっと我慢する」社会へ

 それでは、我々は障害のあるなしという差をどのように受けとめていくべきなのだろうか。

「『障害がある』ことを見下したり虐げたりするのは絶対に間違っています。一方で、それを理由になにもかも許されることもまた間違いです。

 大切なのは障害のある人と社会、両者の歩み寄りです。どちらもが『ちょっと我慢する』くらいがいい落としどころではないでしょうか」

「健常者優先」でも「障害者優先」でもなく、お互いがお互いの立場を理解し、譲歩すること。いささか理想主義的に聞こえるかもしれないが、この姿勢なしでは、万人にとって少しでも良い社会を作っていくことはできないのだろう。

 最後に平熱さんはこう締め括った。

「障害のあるなしや、稼げるかどうかが人の優劣ではないことを、わたしたちは何度も確認していきましょう」

 星野さんの発言をめぐる論争も、現代社会において必要なことだったのだろう。議論の先により良い未来が拓けることを祈るばかりだ。