金沙遺跡の植物考古学で新成果、古代蜀の農業生産構造を解明-四川省成都市

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中国南西部の四川省成都市文物考古研究院はこのほど、同市にある金沙遺跡の「黄忠小学」地点に残っていた古代の植物についての考古学の研究成果を発表しました。考古学者は50のサンプル、計246.6リットルの土壌から、1745粒の炭化植物種子および破片を浮選法で抽出し、紀元前1600年ごろから紀元前256年までの中国史の商周時代における古代蜀の先住民の農業の様子や食生活の構造を復元するための貴重な物的証拠を提供しました。

専門家によると、各種農作物の割合で粟(あわ)と黍(きび)の場合には比率が51対4であり、粟の優位性が顕著です。研究者は生態的特性の観点から、粟は黍よりも単位面積あたりの収量が高く、食味も良く、保存も容易だと分析しました。粟が多く黍が少ないという現象は、当時の成都平原が比較的暖湿な気候環境にあったことを裏付けます。現地の農業構造は「稲が主で粟が従」であり、このことは金沙遺跡の先住民が暮らす環境の特徴に基づき、中国北部から伝わった外来作物に対して行った戦略的な選択だったと考えられます。

研究では、主に中国北部で栽培されていた粟が、甘粛や青海地域から四川省北西部の山岳地帯を経由して伝わり、最終的に水稲の栽培に適した成都平原での重要な補助作物へと発展したと推測されています。

水稲は南方から、粟と黍は北方から伝わったものであり、この2種類の作物が金沙遺跡で見つかったことは、南北の農業文化が交差した実物による証拠の一つです。現在の植物考古学の資料によると、成都平原で最も早く出現した農作物は黍と粟でしたが、その後、水稲の地位が徐々に向上し、稲がこの地域における主要な農作物になりました。(提供/CGTN Japanese)