(イラスト:矢田勝美)

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女優として多忙を極めても、暮らしは大切に。どのような時代でも、自分には誠実に。没後30年となるいまも、その生き方は多くの人を惹きつけ、60歳から筆をとった随筆は長く愛されています。俳優の桃井かおりさんに若き日に過ごした沢村さんとの時間を聞きました

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●沢村貞子(さわむら・さだこ)
1908年東京生まれ。日本女子大学在学中、教師への夢を断ち、築地劇団に参加。投獄を経験する。34年に映画女優デビュー。以降、名脇役として舞台、テレビでも活躍。文筆に長け、『私の浅草』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。『貝のうた』『わたしの献立日記』『寄り添って老後』『わたしの人生案内』など著書多数。81歳で女優を引退し、執筆に専念。96年没

何もサボらず、そして見事に生き崩して

沢村貞子さんと初めてお目にかかったのは『花へんろ』(※)というドラマです。脚本の早坂暁先生に「つらい痛いだけじゃなく、もう流行り物じゃない、美味しいものをどんどん乗っけて食べてもらえる、ご飯みたいな女優さんになりなさい」と誘っていただいた復帰作でした。

NHKドラマにも、着物にもまともに慣れていなかった桃井が、衣装合わせで先ずご挨拶したのが〈あの沢村貞子〉さんでした。流石に緊張してる桃井に笑顔で「はいはい」と、お返事はさっぱりしたものでした。でも見学していたその衣装合わせが凄かった。

「商売人でもこれくらいのおばあさんなら白足袋ね。衿は硬くしないでね、でもよれちゃうとメチャクチャね。どっかにお気に入りの何か、目立たなくぶら下げたほうがいいかな? うん何か持ってくるわね」

たった十分かそこいらで済ませて、ただ物凄く濃く見事な衣装合わせだったのを覚えています。それからは嫌われてる節もなかったので(笑)、図に乗ってセットの火鉢囲んで、色々お話ししてくれるようにもなりました。

火鉢の鉄瓶の摘みにはレース編みのカバーが帽子のようについていて、それは沢村さんが編んでつけてくれた物でした。

「こんなのちょこちょこって出来るんだから、誰に頼まれなくたってやればいいことでしょ」

いつだって沢村さんの言うことは正しかった。何も言わずに私の衿まで直して、知らぬ間にお世話になって、こちらにお礼言う隙を与えない。

※大正から昭和にかけて、四国の遍路道にある勧商場を営む一家でのできごとを描いた連続ドラマ。1985年からNHKで放送された

ある時「はい」と手渡されたのは、縮緬の小風呂敷に包まれた手弁当。

「ついでだからね、食べる暇ないでしょ。何も入ってない寿司ご飯だから食べいいから」

それは漆の信玄弁当箱(お椀を二つ合わせたような三段重ね)で、上蓋を開けると内蓋がありお漬物! 二段目に酢牛蒡! 三段目は胡麻がパラついた、本当に何も入っていない酢飯です。この酢飯がぽわ~んとして美味しくて美味しくて。半年ものの梅酢だそうで、「梅! ただお酢でつけときゃ出来るの」。その梅酢は、引き続き我が家の宝になりました。

「牛蒡は叩いてちょこっと酢入れて、すり胡麻擂って混ぜりゃ終わり。暇な時? 暇じゃなくてもちょこっと作っときゃ色々ね? なんかの時あると嬉しいね」

お弁当箱にのど飴ひとつ入れて返すと、

「昔はお裾分けのお返しに、庭の椿一輪挿したり、マッチとかね? なんか入れて返すのよ」

なんて素敵な話がついてきた。

《着物の内干し》と評したリハーサルでは、いつも見事な着物技を眺めさせて頂きました。肩からすっとんとおりた着こなし、どこも苦しくなくて、胸元と帯周りはゆったり。でもきちんとしている。沢村さんならではの正義とお行儀がそこにある。

誰が真似できるわけもないが「着付けのコツは?」と伺うと、

「着るのよ。生きてるのと同じで、毎日着てれば出来ないことが出来るようになるでしょう? 着慣れて馴染んで、その先に着崩すって言うでしょ?」

ちゃんと生きて、何もサボらず、それを苦ともせず、生き慣れて、そして見事に生き崩しておられた。私がみた唯一の女性でありました。

いま桃井も、沢村さんが引退なさった歳にさして遠くありません。振り返ると、包丁を手に「今日も何か一品、ちゃちゃっと作っておこう」と思えるのは沢村さんがいたからです。私たちの先を沢村さんがサッサと歩いていてくれることに、また改めて感謝しています。