地域ぐるみで子育て世帯を支援する一般社団法人「シェア実家」を起業し、代表理事を務めながら保育士として現場に立っている、フリーアナウンサーの豊崎由里絵さん(38)。

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 テレビ局を退社した2019年から今日に至るまで、2人のお子さんの育児をしながら、次々と新しい挑戦を続けてきた豊崎さんの、目まぐるしくも充実した激動の日々について詳しく伺います。


豊崎由里絵さん

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小学生でアナウンサーを目指し、イベントコンパニオンを経て第一志望のMBSに入社

--平日は生放送の『堀潤 Live Junction』(TOKYO MX)に出演されているほか、関西の番組にも多く出演されていますが、毎日どのようなタイムスケジュールで働いているのですか。

豊崎由里絵さん(以下、豊崎) 月曜から木曜は10時から16時まで「シェア実家」で保育士として働き、18時にTOKYO MXに入って、20時からの生放送に出演。今も金曜や週末は月3回のペースで大阪に行きますが、ほとんどが日帰りですね。

--保育士とアナウンサーの兼業、それだけでもパワフルですよね。では、少し遡って伺います。2013年に大阪の毎日放送(MBS)のアナウンサーになられましたが、学生時代からアナウンサーを目指していたんですか。

豊崎 小学生の時から「本読み」の宿題が好きだったのと、アナウンサーっていろんなところに行けたり、チャレンジしたりできる職業だと思っていたので、卒業文集には「アナウンサーになる」と書いていました。

--卒業された青山学院大学はアナウンサーを多く輩出していますが、大学時代からその準備をされていましたか。

豊崎 就職活動をする年はTBSのアナウンススクールに通いました。そのほかに、日本テレビのイベントコンパニオンをしていました。主に日本テレビの番組やイベントのアシスタントなどをやるんですが、アナウンサーの仕事を間近に見られるので、当時はアナウンサーになるための登竜門と言われていました。大学で3年上の江藤愛さん(TBSアナウンサー)も一緒にイベントコンパニオンをしていて、とてもお世話になりました。

--在学中にアメリカ留学もされていますね。

豊崎 そのアルバイトで貯めた100万円で語学留学したんですが、お金が尽きてしまい10ヶ月で帰ってきました。それでも1ドル99円前後の頃だったので経験できたことですね。

--MBSはTBSと同様で、テレビだけでなくラジオ番組での仕事もされますよね。

豊崎 私の世代には多いと思うのですが、中高生のころはテスト勉強をしながらよくラジオを聴いていたんです。他局ですがABCラジオの『ミュージックパラダイス』が好きで、当時のパーソナリティがアナウンサーの方だと知って「ラジオ局もある放送局に入りたい!」と思うように。

 在京キー局の採用が早い時期に行われるのが一般的ですが、私が就活した年は地方局の試験が先だったんです。MBSは第一志望で、その採用試験がとにかく楽しくて、会う人みんなが面白く「ここならアナウンサー職じゃなくても入社したい」と思えた唯一の企業でした。

仕事が楽しすぎて産後2ヶ月半で職場復帰→半年後に退職

--それだけ会社が大好きだったからこそ、2017年にご結婚されて翌年第1子が生まれてからも、すぐに職場復帰されたんですね。

豊崎 制度としては2年の育休が取れたのですが、私は出産予定日の6週間前に産休に入り、産後2ヶ月半で復帰しました。出産したのはちょうど30歳。仕事が一通りできるようになって一番楽しい時期と妊娠・出産が重なるのは女性の宿命かもしれませんが、私は妊娠中もずっと「早く仕事に戻りたい」と思っていたんです。

 そんなタイミングで、4月から夕方の新番組が始まると知りました。スタッフからは「起用したいけれど、焦らず好きなタイミングで復帰してね」と言っていただけて。そのお気持ちが本当に嬉しかったですし、ぜひ期待に応えたいと思って早々の復帰を決めました。

--2ヶ月半ってあっという間ですよね。復帰後はどのような仕事の仕方を?

豊崎 保育園は、妊娠中から見学に行って準備していたのですが、なかなか決まらず、第12希望まで書いて8つめで決まりました。仕事は、通常8時間のところ、10時から16時までの時短勤務。声をかけていただいた情報番組に出る週2日は19時までの勤務でした。

--そんな中での育児で一番きつかった経験は?

豊崎 夫の長期出張中に、生後1ヶ月半の息子がRSウイルスで入院したときです。付き添い入院が必須ではなかったものの、生まれたばかりの子を一晩中1人ぼっちにさせるわけにいかず、4日間病室で一緒に過ごしました。

 私自身も産後で身体が辛いときに、シャワーや大人のベッドがあるわけでもない病室で24時間過ごすのは今思い返すととても辛く、子育てには外から見えなかった課題が本当にたくさんあるのだと改めて気付かされました。

--復帰から半年後には退社。フリーランスへの転身もまたスピーディでした。先のことを見越して周到に準備されていましたか?

豊崎 それが私、思いつきで行動してしまうタイプで、何の準備もしないまま辞めてしまったんです。あれだけ大好きだった会社なのに、不思議と迷いはありませんでした。というのも、子どもを産んでみて初めて知る感情があまりに多かったんです。

 以前のように残業したり、飲み会に参加したりできず、会社員でいる以上「100%の力で仕事に向き合うべきなのにそれができない」という現実と闘っている感覚でした。その一方で、子どもの顔を見るともっと子どもと過ごす時間も増やしたい。制度も整っている温かい職場だからこそ、このモヤモヤを抱えたまま働き続けるのは失礼だし難しいなと。「違う道を考えてみるのもありかもしれない」と思いました。

--レギュラー番組を失うという不安は感じませんでしたか。

豊崎 ありましたけど、産休に入るときにレギュラー番組を降りなければならないという経験をすでにしていましたから、その時の方がずっと不安でしたね。

コロナ禍で仕事が激減、新たな道として保育士資格を取得

--退職されてすぐにコロナ禍に見舞われ、フリーランスという立場は業種を問わず影響を受けましたよね。

豊崎 フリーランスとして決まっていたテレビのお仕事なども含めて、一度すべてが白紙になってしまいました。この先どうしようかなと思いつつ「仕事がないなら、この間に2人目を考えようかな」って。

--なんと前向きな発想! 第2子が生まれた後に、保育士のアルバイトをされていたと知ってそれも驚いたのですが、もともと資格はお持ちだったのですか。

豊崎 保育士の資格は、第1子妊娠中に取得していました。

--そんなに短期間に……。しかもお仕事で結構悩んでいる期間でしたよね。

豊崎 保育士は絶対的に人数が不足しているので、資格を取りやすくする仕組みが整っているんです。半年ごとに試験があって、9科目全部を一度に合格できなくても、合格した科目は2年間持ち越せます。私の場合、1回目で2つ落としてしまったのですが、半年後の試験で合格して、その後の実技試験を経て取得しました。

--それは、会社員としてだけでなく、アナウンサーのお仕事自体への不安もあった、ということですか。

豊崎 それも多少はありましたね。自分の都合とはいえ、任せていただいていたレギュラー番組を一度すべて降りる経験をしたので、やっぱりどこかで不安はずっと抱えていたんだと思います。

--「自分の都合」と仰いましたが産休ですよね。それは、仕事に対する責任感が人一倍強いから?

豊崎 どうでしょうね。私が入社した年は久しぶりのアナウンサー採用で、若手も少なかったので本当にいろんな経験をさせてもらいました。でも、復帰後は、以前のように働くことは難しくて、働きやすさを求めて社内に保育園を作りたいと考え当時の社長に提案したこともあったのですが叶いませんでした。大きな企業が1人1人に合わせて柔軟な対応をするのはなかなか難しく、希望が叶わないのは当然のことだと思いました。

「休憩中に連絡帳と草むしりを…」元MBSアナ豊崎由里絵(38)が感じた保育園の過酷な労働環境と「シェア実家」を立ち上げたワケ〉へ続く

(川村 夕祈子)