「優しさだけでは、続けられなかった…」資産8,000万円・子のいない夫婦の世話をしていた50歳姪、84歳叔父の遺言書を見て、介護を「やめた」ワケ【CFPが解説】
作成した遺言を定期的に見直している人は、まだまだ少ないのが現状です。しかし、老後の生活環境や周囲との関係性が変化した際、過去に作成した遺言を放置してしまうと思わぬすれ違いを生むことも……。事例を通して、遺言を見直すべき適切なタイミングと注意点について、株式会社アイポス代表の森拓哉CFPが解説します。
増える「子のいない夫婦」、その老後
国立社会保障・人口問題研究所が実施している「出生動向基本調査」によれば、結婚持続期間15~19年の夫婦のうち子どものいない夫婦の割合は、1980年代以降、緩やかな上昇傾向にあり、直近の2021年の調査では1割に迫る水準となっています。晩婚化や価値観の多様化を背景に、子どものいない夫婦は今後も増えていくとみられます。
子育ての負担がない分、堅実に資産を築く夫婦も少なくありません。「子どもを頼りにはできないけれど、お金さえあれば、老後は大丈夫」。そう考えるのも無理はありませんし、実際そのとおりの面もあります。ですが、相続の相談を受けていると、お金があっても守りきれないものがある場面に出会うことがあります。今回は、子どものいない夫婦の相続にまつわる、ある家族の事例を紹介しましょう。
※事例は、実際にあった出来事をベースにしたものですが、登場人物や設定などはプライバシーの観点から変更している部分があります。また、実際の相続の現場は、論点が複雑に入り組むことが多々あり、すべての脈絡を盛り込むことは話の流れがわかりにくくなります。このため、現実に起こった出来事のなかで、見落とされた論点に焦点を当て、一部脚色を加えて記事化しています。
「妻に全部」という、ごく自然な結論
Aさんと妻Bさんは、子どものいない夫婦です。自宅の評価額は約3,000万円、預貯金は約5,000万円と、合わせて8,000万円ほどの資産を築いてきました。
Aさんが65歳で仕事を退いたころ、自分の身に万が一のことがあったときに備えて「もしものときは、財産はすべてBに」という内容の遺言を書きました。子どものいない夫婦の場合、財産の行き先を考えるときに登場してくるのが、配偶者以外に、亡くなった人の兄弟姉妹です。
Aさんには姉がいましたが、当時から姉は「私のことは気にせず、全部Bさんに残してあげてね」と繰り返し口にしていました。そんな姉の後押しもあり、AさんがBさんにすべての財産を相続させることへの違和感はまったくなかったのです。
ここで少し法律の話に触れておきます。兄弟姉妹は、配偶者や子とは相続における立場が異なります。配偶者や子には、最低限の取り分を法律上主張できる「遺留分」という権利がありますが、兄弟姉妹にはこの遺留分がありません。
つまり、「妻にすべてを相続させる」というAさんの遺言は、姉が反対しようとしまいと、法的には最初から揺るがない、非常にシンプルで有効な内容となります。姉自身の心情も、法律に対して抵抗するものがあるわけでもなく、実際になんの異論も挟みませんでした。
自主的に介護を担った姪
転機が訪れたのは、Aさんが82歳、Bさんが78歳になったころです。二人暮らしを続けるAさん夫婦に、体力的な衰えが目立つようになりました。
このとき、高齢夫婦のお世話係として動いたのが、Aさんの姉の娘、つまり姪にあたるCさんです。当時50歳でした。
「母(Aさんの姉、Cさんの母)はもう高齢で、叔父さん夫婦の面倒までは見られない。(仕方がないけど)私がやってあげるしかない」と、住み替えの手続きや老人ホーム探しに奔走してくれました。
Cさんの母(Aさんの姉)も長寿だったため、Cさんは一度もAさんの法定相続人ではありませんでした。Aさんの姉が存命である以上、代襲相続(先順位の相続人がすでに亡くなっていた場合に、その子が代わって相続する仕組み)も発生せず、Cさんは制度の上では「相続人ではない親族」という立場のままだったのです。
そのような関係性のなかで、Cさんは損得を考えて動きはじめたわけではありませんでした。良心の赴くままに叔父夫婦を手助けしていたのですが、「これだけ体を張ってお世話をしていれば、いずれなにかしらの形で報われるものだろう」といった期待が、歳月のなかで、Cさんのなかに自然と芽生えていきました。
2年後に知った、遺言の中身
CさんによるAさん夫婦への支援は、2年ほど順調に続きました。ところが、Aさんが84歳になったある日。Aさんの入院手続きや今後の生活費について相談に乗っていたCさんは、やりとりのなかで、Aさんが以前作成した遺言の存在と中身を知ることになります。
「財産はすべて妻Bへ」
Cさんの名前は、どこにもありません。
Cさんを責めるべきことは、誰にもできないでしょう。叔父であるAさんと、血縁関係のないBさんのお世話まで含め、手厚いサポートを2年間続けてきたわけです。
「でも待てよ。この先何年もなんの報いもないのに一人でこの役割を担っていくのか……」。そう考えたとき、それまで自然に張っていた気持ちの糸が、すっと緩んでしまいました。「がめつい」というより、尽力してきた自分に対する評価や配慮がどこにも用意されていなかったことへの、静かな失望だったのでしょう。
その後もCさんは、Aさん夫婦と縁を切ったわけではありませんでした。ただ、以前のように自分から動くことは少なくなり、連絡や訪問の頻度も次第に落ちていきました。
そうして3年が過ぎた87歳のある日、Aさんは息を引き取ります。最期の日々、Cさんは十分なサポートをする気持ちを持てないまま、Aさんを見送ることになりました。
用意した遺言書を見直すタイミング
Aさんの遺言そのものは、法的にはなんの問題もありません。「妻に全財産を」という選択は自然な気持ちですし、兄弟姉妹に遺留分がない以上、争いの起きようのない、きれいな遺言でした。
悔やまれるのは、その内容を見直す機会を持てなかった点に尽きます。Cさんの支援が始まった82歳のタイミングこそ、Aさんにとって遺言を振り返るいい機会だったはずです。いくらかの財産をCさんに遺す内容へと書き換えることは、老後の暮らしを安定させる意味でも十分に検討価値があったはずです。身内からのサポートを受けはじめた事実そのものが、遺言を更新すべき重要なサインだったのではないでしょうか。
一方で、Cさん側にも立ち止まって考える機会が必要だったと感じます。遺言の中身がどうであれ、自分は叔父夫婦を最期までサポートする覚悟があるのか、ないのか。支援を始める段階で、「Aさん夫婦にどうしてほしいのか」という自分自身の意思を、一度整理しておくべきだったのかもしれません。Cさんの厚意は、最初から見返りを期待したものではありませんでした。その厚意そのものは、尊いものです。ただ、無償の厚意は、いつまでも続けられるものではないでしょう。継続の可否を自分で決断し直す機会がないまま負担が積み重なると、ある日突然、関係が静かに終わってしまう恐れもあります。
家族への思いやりとして作成する遺言だからこそ、生活スタイルの変化に合わせて定期的に内容を再確認することが大切です。
森 拓哉
株式会社アイポス 繋ぐ相続サロン
代表取締役

