「ビニールカーテンで日本一」従業員50人・創業70年の老舗メーカーに全国から"熱中症対策"の依頼殺到のワケ
■酷暑でスポットライトを浴びる商品
酷暑が猛威を振るう昨今、ビニールカーテンがスポットライトを浴びていることをご存じだろうか。ビニールカーテンといえば、コロナ禍の際、レジと客とを仕切るものとして普及したが、普段、活躍しているのは倉庫や工場などの労働現場だ。ここで働く人たちを熱中症から守るものとして、産業用ビニールカーテンが今、酷暑より“アツい”のだ。
このビニールカーテンでシェア1位を誇るのが、1955年に創業された石塚株式会社だ。ビニールカーテンの素材となる塩化ビニールの卸売からスタートし、2代目は文具や日常雑貨など加工業にも進出、現在の3代目で文具から産業用にシフトし、建設業許可も取得し、素材の卸売、加工だけでなく施工まで担う体制となっている。
祖父が興し、父が裾野を広げた家業を継いだ3代目社長、熊谷弘司さんは44歳。爽やかな笑顔に、優しい人柄が滲み出る人物だ。

■ビニールカーテンで日本一
今、なぜ、ビニールカーテンが工場で引っ張りだこになっているのだろうか。
「そもそもビニールカーテンは雨や風、埃、虫などの対策として工場で使われるものですが、熱中症対策としては、工場の空間全体を冷やすより、ビニールカーテンで人がいる空間だけを仕切って、そこにのみ空調を効かせて空調効率を上げるという使われ方をしています」

2025年6月1日、国が職場での熱中症対策を義務化したことで、社ではさらなる多様な要請に応えるためにビニールカーテンに限らず、工場全体で熱中症予防につながる商材を幅広く展開することとなった。
「熱には、5つの侵入経路があります。屋根、壁、窓、そして溶鉱炉などの機械熱、そして空間に滞留する熱ですね。アルミの遮熱シートは屋根に貼ると熱を97%跳ね返し、工場内の温度を11度下げます。機械や炉の遮熱には210度に24時間耐えられるアルミシートを溶鉱炉などへ施工することで、200度から25度に下がったという実績もあります」
シートやカーテンの素材は国内メーカーで大量生産されているものを使うが、工場によって間口が全て違うため、カスタマイズしてオーダーメイドで施工する。施工実績は、2025年度で年間約200件。2023年の東京商工リサーチの調査では、ビニールカーテンに関わる売上高No.1を獲得した。
「調べていなかっただけで、ビニールカーテンというものが世に出てからずっと、うちが1位だったと思うんです。卸から加工、施工まで、一気通貫でやっている他社はないですし、そこがうちの強みですね」
■生き残る道がこれしかなかった
熱中症対策義務化という社会の要請にしっかり応え、業績を上げることができたのは、父の代ではファイルや手帳カバーなどの文具や雑貨が4分の3を占めていた事業構成を、産業用ビニールカーテンへシフトチェンジを果たしたからだ。
「文具が海外で安価に生産されるようになり、さらにペーパーレスの時代になり、文具の仕事はどんどん減っていき、産業用へシフトするしか生き残る道はなかったわけです。施工もできるように建設業許可を取得し、卸から加工、施工までワンストップでできるようにしたことで、利益率は確実に向上しました」

■コロナ特需で利益率2倍に
2020年に入り、間もなくのこと。とにかく、注文の電話が鳴り止まない。コロナ禍が日本全国を覆い、セブン‐イレブンがレジ前にビニールカーテンを設置したことがテレビで報じられた直後、電話が止まらなくなった。
「それまで工場だけで使っていただいていたものが、日本全国の店舗に広がったので、机に座っているだけで注文が来る状態になったのです。最大瞬間風速は、3カ月続きました。店舗から始まり、次に医療機関、介護施設へと広がって、まさに特需でした。ピークを過ぎてからも強いニーズが、1年半は続きましたね」

2019年と比較して、2020年の利益率は2倍以上に。しかし、そのままイケイケどんどんが続くわけがない。コロナ禍を脱し、世が平常に戻った時期、粗利は減少に転じた。
「みんな、何もしなくても注文が来る状態に慣れてしまって、あぐらをかいてしまったんです。このままではいけないと、まず組織の形を大きく変えました」
■「フラット組織化」で大失敗
コロナ禍以前、社長に就任した直後の熊谷さんは、フラットな組織づくりを目指した。
「私自身、仕事に対して自分の裁量で取り組むほうが楽しいと思っていますし、みんなもそのほうがいいだろう。組織と組織の間に落ちたボールを誰が拾うのかという問題を見てきたので、みんなが自由に動ける状態にしたいと思い、フラットな組織にしたんです」
そこには、社長と末端社員の意思疎通を分断するという、古参幹部の弊害を排除するという意図もあった。
「古参幹部の機能を無くすために、その人たちを飛ばして、私が直接、部下とやり取りをするようにしたんです。最初の頃は問題があぶり出されるなど、建設的な意見を吸い上げることができ、うまくいっていました」
熊谷さんは社長として、会社の方針を社員に浸透させるためにどうすればいいのか、一貫してその手法を模索してきた。
最初に行ったのは年に1回、社員一人一人と面談するという、社員に“寄り添うマネジメント”だった。しかし、何ごともやりすぎはよくないと熊谷さんは振り返る。「寄り添いすぎちゃった。甘やかしすぎちゃった」と、今は思う。
■「やりたいことしかやらない」現象が…
“寄り添うマネジメント”を推し進め、行き着いた着地点の一つが、「やりたいことしか、やらない」という自由だった。
「うちの仕事は基本、営業兼○○と、営業がメインです。しかし、チラシ作りを任せた人が、『自分はチラシを作っているから、営業に行かなくても許される』と、自分の存在意義を営業以外のとことに見出すようになったり、『自分は文具の仕事がしたいです』と産業用にシフトする会社の経営方針に従わなかったりするケースなどが出てきました。
そして、一緒にお客さまへ貢献する仲間というよりも、『会社側が、自分たちのことを良くしてくれるんでしょう』と自分達がお客さまになってしまった。管理職が機能しなくなり、私が逐一、現場に行って指示を出さないといけない状態でした。利益率の減少を踏まえ、これでは会社が立ちいかないと、カチッとしたピラミッドの組織に変えたのです」
今、熊谷さんは直属の部下としか話さない。フラットな組織を試した経験から、熊谷さんはこう考える。
「フラットの理想って、みんなが経営者意識を持つという考えだと思うのですが、経営者と同じ給料を払えないのに経営者意識を持てというのは、経営者の自分勝手な主張だなって思いますね」
フラットな組織はピラミッドを突き詰めて極めた先にある、遠い理想であると位置づける。

■社員が“全力疾走”するようになったきっかけ
コロナ後、熊谷さんは評価体系と報酬体系の改変にも着手した。そもそも社長就任時には、評価制度が何もないという状態だった。
「役員が『期待を込めて、彼を課長に』というレベルでしたから、社長就任後すぐに評価制度を導入しました。最初は、定性的な評価項目を取り入れたんです。しかし、評価する人によってあまりに差が大きかったので、コロナ後は全部の評価項目を定量化しました。数字で出すようにしたんです。例えば、固定費をいくら下げた、業務改善提案を何件出した、業務上のミスは何点とか、全て数字で見るようにしました。もちろん、課長や部長になる上での一定の定性的要件は設定していますが、客観的に判断できるものを基準に変えたのです」
また、評価頻度もこれまで年に1回だったものを、四半期に1度に変えた。
「社員にとってはリスタートできる機会を増やしたことで、毎期、全力疾走してくれるようになったことが大きいですね。こちらには、評価項目を1年で4回試せるという利点もありました。営業であれば粗利での評価を最重視しますが、見積もり件数を何件取ってきたとか、重視する項目を変えられるので、多角的に評価ができるのはいいですね」
■平均年収は629万円を超えた
客観的な評価は、そのまま社員の納得のいく報酬につながる。熊谷さんは「社員の年収」を経営目標の1つに据えている。
「上場企業の平均年収を目指しています。そもそも経営の目的が、社員とそのご家族の生活の安定と向上を実現することなので、それを端的に表せる指標が年収だからです。理想は物価上昇率よりも大きい上昇率」
机上の空論では決してない。現に2025年度の平均年収は、東証グロース市場に上場している企業の平均年収である629万円を超えたという事実がある。

■社長渾身の「経営計画書」84ページ
会社の基本方針を、どう社員に浸透させるのか。1対1の個人面談から始まり、社内ブログで発信もしてきたが、一度、形にしてみようと「経営計画書」の冊子を作ったのが、2023年のことだった。18ページの冊子から始まり、4冊目の今年度は84ページに及ぶ、熊谷さんの渾身作だ。
「最初の年にみんなに渡して、『1年後に回収するよ』って言ったんです。読むだろうと思っていたのですが、8割ほどの人が読んでいなかった。形にして良かったのは、社員は会社の方針にさほど興味がないという現実を知ったことです。会社の方針を浸透させるために、この興味のないものをいかに読ませるか。そこで毎週の朝礼で、私が1項目ずつ読んで解説するようにしたら、翌年度から開封率は上がりました。読み込み度と会社の方針への理解度は、相関します。読み込んでいる人ほど会社の方針への誤解が生まれにくいし、細かく指示をしなくても大丈夫ですね」

ここに詳らかにされているのは会社の方針や方向性、目標としている数字だけでなく、社員の年収にも及ぶ。
「年収を社員に開示するのも含めて、基本的には包み隠さずに、クリアにこういう状況だとみんなに見える状態にして、『だから、これから頑張ろうね』と。ブラックとかホワイトではなくて、目指すのはクリアな会社。透明性を高くすることを心がけています」
■社員と家族を第一に考える原点
直近2025年度の売り上げは、24億5000万円。利益率も改善しコロナ特需のころを上回っている。
話を聞く限り、順調なキャリアに見えるものの、熊谷さんは首を振る。「いや、ずっと足掻き続けているんです」と。
「社長になる前は、会社の理想とするところに時間をかけて近づいていくと思っていたのですが、美しい成長の飽和曲線なんてなくて、日々、右往左往して、近づいたり離れたりを繰り返してきた。でも今は、前よりは近づいているという思いはありますね」
熊谷さんの根っこにある思い、それはあくまで「経営の目的は、社員とその家族の生活の安定と向上」だ。
そこに一切の揺らぎがないのは、高校生の時に目の前で繰り広げられた、逃れようのない“悪夢”があった。
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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待--その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)
