「家のあちこちに注射器や血で汚れた服が散乱して…」母親が毎日薬物を乱用、薬がないと暴れ出し…おおたわ史絵が明かす、学生時代の壮絶な家庭環境〉から続く

 幼い頃から常に母の機嫌に振り回され、顔色をうかがいながら育ってきたという、おおたわ史絵さん。やがて母は薬物依存症に陥り、「いっそ死んでくれ」と願うほど、母娘関係に苦しんだという。

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 おおたわさんの母はなぜ、薬物依存から抜け出せなかったのか。当時、母娘はどのような関係だったのか。依存症専門の外来の先生から、父とおおたわさんの入院を勧められた理由とは--。(全5回の3回目/4回目に続く)


おおたわ史絵さん ©鈴木七絵/文藝春秋

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「我が家は何をしているんだ」母の薬物依存に気づいたきっかけ

--お母さんが薬物依存だと気付いたきっかけは何でしたか。

おおたわ史絵さん(以下、おおたわ) 大学5、6年生の病院実習の時に、病院でオピオイドを見かけたことです。ナースステーションでたくさん薬品が置いてある中で、ひときわ厳重に管理されていたのがオピオイドのアンプルでした。

 そのアンプルは金庫に入れて管理されており、一本使う度にノートに記載してダブルチェックの判子まで押すことが義務付けられていたのです。

 実習担当のドクターに「あの薬はそんなに強い薬なのですか」と聞いてみると、「多幸感が強く依存症になる人が後を絶たない薬なので、ナースやドクターの中にもこっそりくすねて自分で打ったりする者がいるため厳重に管理されている」と言うんですよね。そこで初めて「我が家は何をしているんだ」と気が付きました。

「ママの注射をなんとかやめさせよう」

--違法薬物ではなく、医師が許可して処方された薬物なのであれば「安全だ」と思ってしまいそうですね。

おおたわ 実は、合法薬も違法薬物と同じくらい問題の根は深いんです。処方薬はドラッグストアなどでは手に入らないので普通はハードルが高いのですが、医療関係者なら簡単に入手ができます。だから処方薬依存に陥るのは、医師本人や看護師、その家族が多いのではないかと思います。

 うちの場合は父が医師で、母は看護師でしたから、注射器やアンプルの扱いにも慣れていて、自分で注射を打つことができることも依存への近道になったのだと思います。

 その日、家に帰って父に「ママの注射をなんとかやめさせよう」と話しました。病院での厳重管理について話すと、父も事の重大さに改めて気が付いたようで、まず母から注射器を取り上げたのです。

「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」と大暴れ

--お母さんはどのような反応だったのですか。

おおたわ 彼女にとっては命の水ですから、もう大暴れですよ。「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」とおもちゃを取り上げられた子どものように騒いだかと思えば、今度はか細い声で「ねぇ史絵、ママ具合が悪くてどうしようもないよ、痛いよ、辛いよ、注射をちょうだい」と私に取り入ろうともしました。

 母が落ち着いている時間に「パパが死んで薬が手に入らなくなったらどうするの」と聞いたことがあるのですが、母は「その時は死ねばいい」と答えたんです。それくらい彼女の中では、薬のない人生は考えられなかったのだと思います。

--お母さんを治療に繋げようと試みたこともあったのでしょうか。

おおたわ いくら制止しても激しく抵抗するため、半ば強制的に入院させたこともあります。依存症は精神科領域の病であるため、当時は統合失調症やうつ病の人たちと同じ閉鎖病棟に入れられたんですね。

 今では、依存症にはグループセラピーが一番の治療であることがわかっていますし、閉じ込めたところで治るわけがないこともわかっていますが、当時はまだ平成にもなっていませんでしたから、そもそも依存症患者を診てくれる病院はほとんどなかったんです。母の入院も、大学病院に無理矢理頼み込んでようやく入れてもらうことができました。

 2週間ほど隔離入院している間、当然薬を打つことはできませんから病院側から「はい、じゃあ2週間薬を断つことができたのでもう退院でいいでしょう」と言われてしまい、あっさり退院になったんです。

落胆続きの人生で、これ以上落胆しようがないところまで落ちていた

--お母さんの状態は良くなったのでしょうか。

おおたわ 一定期間隔離しただけで本質は何も変わっていませんから、治るわけがないんですよね。帰宅する車の中で母は「あんなところに私を押し込めて、精神病扱いしてひどいじゃない!」と怒鳴り散らしていましたし、すぐにまた注射を欲しがってそこらじゅうのものを投げて壊し、荒れに荒れました。

--診てくれる病院もなく、入院もダメだったとなるとご家族の落胆も大きかったのでは。

おおたわ 落胆続きの人生で、これ以上落胆しようがないところまで落ちていましたね。何百回と裏切られるともう傷付きようもないし、期待もしなくなってしまって。

 大学生の頃からは「我が家は死んだもの勝ちだな」と思うようになりました。先に死んだ人が一番先に楽になれる。長生きしたいという願望は全くありませんでしたし、「死ねば楽になれる」と思って生きてきました。

母親から「早く死ね」と言われるように…

--当時は、お母さんとどのような関係性だったのでしょうか。

おおたわ 顔を見る度に「早く死ね」と言われていました。私が薬物のことを良く思っていないと気付いているので、気まずかったのでしょう。

 父は「娘にそんなことを言うもんじゃない」とたしなめていましたが、私は自尊心が地の底まで落ちていたので、母に「死ね」と言われても「また言ってるな」と思うくらいで、すでに落ち込みもしませんでした。

--ご結婚されてから、ご家族との関係性はどのように変わりましたか。

おおたわ 物理的に離れることができたので、楽にはなりました。研修医時代から一人暮らしをしていましたが、結婚したことで「自分は独立した家族を持っている」という言い訳が立ち、自然と母たちのことを視野から外せるようになったんです。

 でも、根源にある問題は何ひとつ解決していなかったので、父に押し付けただけ、父が1人で苦しんでいただけでした。本当にかわいそうなことをしてしまったと思います。

「ママがもう限界だ」父からSOSの電話

--パートナーはご家庭のことを知っているのでしょうか。

おおたわ 知っています。一般的には引かれるような話だと思いますが、夫は変に構えず、普通の出来事のように接してくれました。「介入して良くしよう」という風に背負い込もうとせず、いい距離感を持ってくれるような人ですね。

 私が落ち込んでいる時はそのまま泣かせておいてくれるので助かっています。おそらく、相手が彼じゃなければやってこれなかったと思いますし、彼がいたことで救われました。

--結婚して数年後、お父さんからSOSの連絡があったそうですね。

おおたわ 父から電話があり、弱々しい声で「ママがもう限界だ」と言っていました。その頃の母は薬の量がどんどん増えて、日に4本も5本もオピオイドを打つような状態だったそうです。父が薬を渡すのを拒むと、執拗に薬をせがみ、大騒ぎし、しまいには父を突き飛ばしたり手をあげたりするようになっていました。

 当時、父は70代で母は60代。腕力でも10歳年下の母に敵わなくなっていたのです。「さすがにもう目を背けてはいられない、本気で向き合わなきゃいけない」と現実に引き戻されたような思いでした。

「患者は母なのに?」依存症専門医が父と娘の入院を勧めた理由

--その後、お母さんの依存症にどのように向き合われたのですか。

おおたわ 依存症の患者を診てくれる病院がないか、死に物狂いで探し始めました。そんななか、当時パーソナリティを務めていたラジオ番組で依存症について取り上げる機会があり、薬物依存者の回復施設「DARC(ダルク)」を取材させていただくことができました。

 母にダルクの存在を教えたかったのですが、母は自分を依存症だと思っていないので、「ダルクのような自助グループに参加してみたら?」と真っ向から言っても怒るだけで……。

 それでも諦めきれず、ひたすらネットで検索を続けていると、薬物依存症の当事者の方のブログに行き着きました。そこに書かれてある「竹村先生」という名前を頼りに調べていき、都内に依存症専門の外来があることを突き止めたんです。

--さっそく病院に行ってみたのですか。

おおたわ すぐに電話をして、私1人ではありますが受診しました。当時は藁にも縋るような思いだったので、迷いはありませんでしたね。

 今は閉院していますが、表参道にある「外苑神経科」の竹村道夫院長は依存症の世界ではかなり有名な先生だったようです。先生から「お父さんとあなた、2人で入院しなさい」と言われ、父も私も医者の仕事を整理して入院することにしました。

--お母さんではなく、おおたわさんとお父さんが入院を勧められたのですか。

おおたわ 私も「患者は母なのに?」と思いましたが、先生いわく、依存症患者の家族は多くが病的な状態になってしまっていて、まずは家族が患者本人から離れて治療を受ける必要があると言うんです。

 言われてみれば、当時は四六時中、母の問題で頭がいっぱいで自分の生活どころではない日々が続いていました。悪い想像ばかりが頭をよぎって、夫に聞こえないように毎晩ベランダで泣いていたんです。

 そんな風に毎日苦しい状況でしたから、先生の言うことを信じて、父と2人で入院することを決めました。

撮影=鈴木七絵/文藝春秋

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(吉川 ばんび)