《30キロ制限の道を時速100キロ超で爆走》競泳五輪メダリスト・本多灯被告の危険運転、暴走の引き金は「スポーツカー」への「絶対負けたくない」という“対抗心”
東京オリンピック男子200mバタフライ銀メダル、パリオリンピック日本代表など、現代の日本競泳男子を牽引する一人である本多灯選手。そんな本多選手が自動車運転死傷処罰法違反(危険運転致傷)の罪で、起訴された。突然の報道に驚いた方も多いのではないだろうか。
【写真を見る】かつてメダルを首にかけ笑顔を見せていた本多灯選手
事故は2025年11月に起きたものだったが、日本水泳連盟への報告は2026年7月と時間が空き、出場が予定されていた8月のパンパシフィック選手権、9月のアジア大会への出場を急遽辞退することとなった。
各所に波紋を広げている今回の事故はなぜ起きたのか。
8月25日の初公判で明らかになったのは、選手としての苦悩とそこから立ち直ろうとする姿だった。いずれも、競技と切り離すことのできない事情である。傍聴を行った裁判ライターの普通氏がレポートする。【前後編の前編】
法定最高速度30キロの道を、時速88〜108キロで
事前に明らかになった情報は多くはなかったが、初公判が開かれた東京地裁立川支部には多くの傍聴希望者がかけつけるなど関心度の高さがうかがえた。
本多被告は、深い紺色のスーツ、白いYシャツにストライプのネクタイを着用し、一礼してから法廷に入った。水泳選手特有の肩幅の広さ、胸板の厚さで堂々とした体躯だったが、競技時と異なりその表情は不安そうだった。裁判を通じて発する言葉はあまり大きくなく、聞き取りが難しく感じることもあった。
起訴状によると、本多被告は2025年11月21日午前8時26分ごろ、多摩市のモノレール線路沿いにある道を普通自動車で走行していた。その道路は法定速度が30キロに設定されており、現場付近は左方向にカーブを描いていた。本多被告はその地点の進行において制御が困難な速度である88〜108キロで走行したことにより、カーブを曲がり切れず対向車線にはみ出し、対向車線を走っていた60代男性の普通自動車と衝突。加療28日間の胸骨、肋骨の骨折などを負わせたとされる。
本多被告は「間違いありません」と、その起訴事実を認めた。
今年7月21日の法改正までは、同法は「その進行を制御することが困難な高速度」と規定されていたが、改正により一般道路では法定速度を50キロ以上、高速道路では法定速度を60キロ以上オーバーしての事故には同法が適用されることとなった。また、数値基準に満たなくても、道路、交通の状況に応じて同法が適用される可能性がある。
信号待ちの前方に停まっていた「スポーツカー」
本多被告はなぜこのような危険な運転に至ってしまったのか。検察官が証拠によって、立証を行っていく。
本多被告は大学を卒業したのち、会社員として勤務しながら水泳競技を続けていた。事故現場の道路は、通勤経路や練習のために毎日のように使用していた。
捜査機関に対して本多被告が供述したところによると、事故直前、赤信号で停車をすると目の前にスポーツカーが停車しているのが見えた。スポーツカーが好きな本多被告は、気になって見ていたという。
発進すると、その加速力を見て「絶対負けたくない」と対抗心を抱いたのだという。必死にスポーツカーの後ろを追いかけて、直線では時速130キロにまでなった。
いささか納得し難い主張に思われるが、その当時の心境も供述している。事故当時は、試合前の追い込み期間であった。しかし、思うような結果が出ずにストレス、不安を感じ、冷静さを欠いていたと供述している。
被害者が捜査機関に語った「強い処罰は求めません」
事故現場は、法定速度が30キロで周囲に住宅などが立ち並ぶ生活道路であった。対向車線を走っていた被害者は心底驚いたことだろう。当時の状況について、対向車線で猛スピードで走る車とすれ違い、危ない運転だと思っていたら、その後ろから本多被告の車両が車線をはみ出してきて正面衝突した。被害者は胸骨骨折などの重傷を負ったが、本多被告の事故時のスピードは80キロ以上であり、さらに重い結果となっていても不思議ではなかった。
そんな本多被告に対して、被害者は捜査機関に対して以下のように供述した。
「被告人はまだ若く、スポーツ選手として頑張って欲しい。強い処罰は求めません。」
その被害者の言葉をどのように受け取ったのだろうか。
法廷は被告人質問へと移った。証言台に立った本多被告が、途切れがちな声で語り始めたのは、日本選手権連覇の座を失い、世界水泳選手権の代表からも漏れた男の、競技者としての苦悩だった。そして裁判官は、その供述に一つの鋭い疑問を投げかけることになる──。
(後編につづく)
◆取材・文/普通(裁判ライター)
