熊本地震の被災者ら避難所ロビーに雑魚寝「サウナ状態」、人員不足で物資運びきれず…民間が配送支援も
最大震度7を観測した熊本地震は28日で発生から1か月となる。
10年の時を経て再び熊本を襲った激震は、38人の命を奪い、4万2000棟を超える住宅に被害を与えた。被災者支援や生活基盤の復旧に10年前の教訓は生かされたのか。課題を検証する。
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震度7の揺れから約6時間後の7月28日午後10時半頃。熊本県宇城市の避難所「小川防災拠点センター」に医療支援で駆けつけた「泉川病院」(長崎県南島原市)の泉川卓也院長(53)は目を疑った。
避難した被災者は約800人。クーラーは使えず、約30メートル四方の部屋に高齢者らがぎゅうぎゅう詰めでサウナ状態となっていた。屋外では歩道の上などにゴザを敷いて横になる人が200〜300人に上った。「これはまずいと感じた」
今回の地震では最大で1万467人が415か所の避難所に身を寄せたが、10年前と同じ厳しい環境の避難所が少なくなかった。
約540人が避難した宇城市の「ウイングまつばせ」もその一つだ。地震で建物が被害を受け開設できない避難所もあったため、多くの被災者が集中した。
設備が落下するなどしてメインアリーナに入れず、普段は土足で使用しているロビーには人があふれ、雑魚寝する姿が目立った。人が多すぎて段ボールベッドを置くスペースもなかった。発生当日から身を寄せた女性(65)は「どれだけ掃除しても、砂のざらざらを感じ苦痛だった」と漏らす。
市幹部は「避難所が被災することは想定外だった」と話した。
2016年の熊本地震でも、震度7を経験した益城町や西原村の避難所では、床に雑魚寝する状態が3週間以上続いた。阪神大震災や東日本大震災でも見られた光景だ。
国は自治体に段ボールベッドの備蓄を求めているが、確保する数などの判断は委ねている。宇城市は備蓄が数十個しかなく、国から約1600個を送ってもらった。設置を始めたのは発生6日後の8月3日で、ほぼ行き渡るまで6日かかった。雑魚寝の状態は最長で10日以上も続いた。
人員不足
自治体のマンパワー不足で、物資が被災者に届く手前で目詰まりする「ラストワンマイル」の問題も10年前と同様に起きた。
自治体の要請を待たずに国が物資を送るプッシュ型支援は10年前の熊本地震から始まった。最大で63か所の避難所を開設した八代市では今回、避難所運営に職員数の約3割の300人が必要になり、物資を避難所まで運ぶ人員が不足した。保管拠点の八代トヨオカ地建アリーナでは、運びきれない物資が積み上がった。
国が送る物資と自治体のニーズとのギャップを埋めるため、今回は、自治体が必要な物資を登録するシステム「B―PLo」も活用できるようになったが、利用は低調だったという。
物資が届く時期がわからず、自治体からは「利用しづらい」との声が上がる。八代市も急ぎで必要な水や消耗品の注文には使わず、日持ちする食料品などに限って入力した。
内閣府幹部は「システム改良の余地があるかもしれない。自治体の意見を聞きながら検証する」と語る。
民間協力
自治体の人員不足の対策として、効果を上げたものもあった。国が被災自治体ごとに支援する自治体を割り当てる「対口(たいこう)支援」の枠組みで、前回の熊本地震を機に制度化された。
総務省によると、発生翌日以降、8月25日時点で計8市町に65の都道府県や政令市から延べ1万7041人が派遣され、避難所運営や建物の被災調査などを支援してきた。
民間も大きな役割を担った。内閣府は、物資輸送の協定に基づき、サカイ引越センター(堺市)に協力を要請。同社の従業員50人が各地の避難所に段ボールベッド約1500台を運び、組み立ても担った。宇城市の避難所に医療支援に入っていた医師は「ものすごい速さで段ボールベッドを作ってくれた」と感謝する。

物資であふれていた八代トヨオカ地建アリーナでは、市と災害協定を結んでいたヤマト運輸(東京)が7日から支援に入り、需要に応じた配送ができるようになった。
27日現在の避難者数は2460人で、ピーク時の2割となった。10年前も県の総務部長として地震対応に当たった木村敬知事は自戒を込めて語る。「餅は餅屋だ。今後は、早い段階から民間事業者の力を借りることを考えたい」
11月に発足予定の防災庁は基本方針で、「避難生活環境の抜本改善」を掲げる。災害のたびに繰り返される劣悪な環境を変えられるか。真価が問われる。
(牟田口洸介、広瀬航太郎、中村由加里、塚本康平)
