【特集】“松本城を救った男” 通説を覆す新事実!? 城は「買い戻し」されなかったのか…新たな研究結果が判明 その真相は【長野・松本市】
長野県松本市のシンボル、国宝松本城。
「明治の初めに、売却された天守を市民が買い戻して、城を救った」、そう伝えられてきました。
ところが、この通説を覆す新たな研究結果が判明、真相を追いました。
年間91万人余りの観光客が訪れる松本城は、姫路城などと並ぶ国宝の城で、現存する五重六階の天守としては日本最古とされています。
その松本城は明治の初め、取り壊しの危機に陥りました。
天守を買い戻し救ったのは、市民の市川量造。松本市では、長くそう語り継がれてきました。
ところが今、その「松本城を救った男」の歴史を揺るがす、新たな研究結果が明らかになりました。
松本市 松本城整備課 元研究専門員 小山淳一さん
「(松本城の)買い戻しはなかったと。買い戻す状況は起こり得ない」
これまで松本城は、市民の力で守られ、天守は博覧会で集めた資金によって「買い戻された」と語り継がれてきました。
しかし、この通説に異を唱えるのが、松本市松本城整備課の元研究専門員、小山淳一さんです。
話は明治5年にさかのぼります。廃藩置県のあと、主を失った松本城の天守は売りに出され、取り壊しの危機にさらされました。そこで立ち上がったのが、城下の下横田町で副戸長を務めていた市川量造です。市川は、明治6年から天守を会場に博覧会を5回開催し、城の保存に尽くしたとされています。
そしてこれまで、博覧会で集めた資金で天守を買い戻したと言い伝えられてきました。
その根拠とされているのが、市川が筑摩県に提出した建言書です。そこには「天守落札代金は同志募って納める」と記されていました。実際に、松本城に設置された功労者紹介の看板にも、「天守買い戻しに尽力し」と説明されています。この買い戻しに疑問を抱いた小山さんが注目したのは、ある公文書でした。
松本市 松本城整備課 元研究専門員 小山淳一さん
「明治6年の2月15日に出されました“陸軍省第四十七”という文書がありまして。『昨年中に払い下げで入札されたものについて一切取り消しにする』と。落札が無効になった時点で、買い戻す必要がなくなったということですし、市川による買い戻し自体が起こり得ない状況になっていた」
明治5年に売りに出された松本城。翌年、城地は太政官達によって陸軍省の所管となりました。一旦は落札されたものの、その後、入札は取り消しに。
小山さんは「市川が私財を投じて天守を買い戻した」という通説に疑問を投げ掛けます。
広く語られてきた買い戻し説。しかし、その根拠はどこにあるのか…。
松本市松本城整備課 元研究専門員 小山淳一さん
「以前から買い戻しについては、本当だったかどうか疑いをもってみていた。まさか、但し書きにこんなことが書いてあったとは知らなかったもので、非常にびっくりして、これだ!と嬉しく思いました」
買い戻し説が事実ではなかったとする新たな見方について、松本市の臥雲義尚市長は。
松本市 臥雲義尚市長
「自分のお金を出し、また、人々から寄付を募って松本城天守を買いもどし、取り壊しの危機から救いました。ここの、買い戻しという言葉がそのまま使われることは、少し見直した方がいいのではないかと、私自身は感じている」
市は、歴史的事実の検証を進めながら、「松本城を守った人々の思い」をどう伝えるかが重要だとしています。
そして、市の教育委員会が教材として配布している「わたしたちの松本城」も、この新たな研究結果を踏まえ、内容の見直しを進めています。
松本市に驚きが広がっています。
松本市教育委員会 教育政策課 堀内健 指導主事
「僕自身もその話を聞いたときに、えっ!て驚きだったんですよね。一生懸命、先生方が作っているんですけれど、来年には(修正して)配布したいなというところで、急ピッチで作業しています」
これまで、当たり前のように受け止めてきた歴史が覆るかもしれない。市民は…。
松本市民
「いや、そんなことはない。初めて聞いたな」
松本市民
「(買い戻したという)そういう確かな文献が見当たらない、そのことは史実として受け止めなければならない」
松本城を救った市川量造。今、その見方は変わろうとしています。
けれども、城を守りたいという思いが、松本の人々に受け継がれてきたことに変わりはありません。
明治から150年以上。松本城は、きょうも街のシンボルとして市民を見守っています。

