「5億円の借金」「鉄塔に立てこもりレスキュー隊まで出動」やっていることは“迷惑系”と変わらない…それでも日本人から愛された「風船おじさん」はどこへ消えた(平成4年の事件)〉から続く

 巨額の借金を抱え、無許可の着ぐるみで鉄塔に籠城するなど、奇行で注目を集めた「風船おじさん」こと鈴木嘉和氏。

【写真】この記事の写真を見る(2枚)

 前編では、事業の失敗による5億円の負債を一発逆転するため、彼が「風船での太平洋横断」という無謀な計画へ傾倒していく姿を追った。

 そして1992年、周囲を欺き自作の風船船でついに空へ飛び立った彼は、海上保安庁の捜索機に向かって手を振ったのを最後に消息を絶ってしまう。

 今なお語り継がれる奇妙なその後とは――。前代未聞の失踪劇を、鉄人社の新刊『知ったら最後、夜眠れなくなる 世界の未解決ミステリー68』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)


写真はイメージ ©getty

◆◆◆

「太平洋は横断できると確信した」

 1992年4月17日、運輸省(現・国土交通省)に無許可で、東京都府中市の多摩川河川敷からヘリウム風船26個付きのゴンドラでテスト飛行を実施。

 数百メートルの上昇を予定していたが、重りの砂袋を誤って地上に落としたことで高度5千メートル超に達し、風船破裂により急降下。出発地点から約24キロ離れた大田区の民家に墜落する。

 左手に軽傷を負った鈴木氏はマスコミに対して「高度5千600メートルに達したとき、太平洋は横断できると確信した」と語る一方、被害を出した民家には謝罪も弁償も行わなかった。

 7ヶ月後の同年11月23日、今度は滋賀県の琵琶湖畔で自作の「ファンタジー号」の飛行を実施する。

 同号は直径6メートルの大型風船4個と補助風船を装備した檜製ゴンドラで、重りは沖縄焼酎「どなん」200本分。ゴンドラ内には48時間分の酸素ボンベ、1週間分の食料(スナック菓子中心)、防寒具、毛布、パラシュート、撮影機材などが搭載されていた。

 当初、鈴木氏はヘリウムガスで満たされた風船の浮力により、ファンタジー号を高度1万メートルに到達させた後、ジェット気流に乗り太平洋を横断、約40時間のフライトで米ネバダ州サンド・マウンテンを目指す考えだった。

 しかし、その計画を知った運輸省はあまりに無謀と判断。飛行申請を却下し、地上とゴンドラをロープで繋いだうえで地上100メートル程度のテスト飛行のみ許可を出していた。

「どこに行くんだ?」「アメリカですよ!」

 前日から密着していたフジテレビのワイドショー「おはよう!ナイスデイ」取材班、飛行に協力していた同志社大学の教授や学生、鈴木氏の支援者などが見守るなか、同氏を乗せたファンタジー号は16時、ゆっくりと空に舞い上がった。地上120メートルの辺りから徐々に高度を下げていく機体。

 と、ここで彼は地上に向かい「行ってきます」と叫ぶや、なんと地面と繋がっていたロープを外す。

 驚いた同志社大学教授の「どこに行くんだ?」という問いに、戻ってきたのは「アメリカですよ!」という返事。

 実は彼の中では当日、そのまま太平洋横断を強行する決意が固まっており、事前に妻に「太平洋横断を決行したら、マスコミが大騒ぎして家に押しかけてくるだろう。だから11月23日はホテルに泊まっているように」と宿の手配をしており、3人の娘にアメリカ土産は何がいいかと聞いて、希望の品を書いたメモをポケットに入れていた。

 まんまと周りを騙した鈴木氏は重りの焼酎を次々に投げ捨てファンタジー号の高度を上げていく。現場にいた人々はただ呆気にとられるよりほかなかったが、事態を悟ったフジテレビの取材班はすぐに鈴木氏に連絡を取る。

 実は、ファンタジー号には当時はまだ珍しかった携帯電話が取り付けられていた。

「ヘリウムが少し漏れているが、大丈夫」

 鈴木氏の言葉は余裕に満ちており、その後、彼は携帯電話を使い妻に何度も連絡し「思ったより高度が出ていない」「海に出たよ」「タバコを吸ったよ」などと話している。出発翌日の24日午前6時には「素晴らしい朝焼けだ! 行けるところまで行くから心配しないでくれ」と報告。

 だが、これを最後に本人からの連絡はぷつりと途絶える。

 同日深夜、ファンタジー号から海上保安庁にSOS信号が送られてきた。不測の事態を察知した同庁第三管区海上保安本部は翌25日午前8時半に捜索機を飛ばし、宮城県金華山沖の東約800キロ海上で高度2千500メートルを飛行中のファンタジー号を発見する。

 ところが、捜索機に対して鈴木氏は元気そうに手を振ったり、座り込んだり、重りを捨て4千メートルまで高度を上げたばかりか自らSOS信号を停止。あまりに奇妙な行動だが、捜索機は同氏に飛行継続の意思があると判断して、発見から3時間後の午前11時半に追跡を打ち切った。

 これが風船おじさんが目撃された最後の姿である。

風船おじさんはどこに消えたのか

 ファンタジー号が消息を絶って1週間後の12月2日、家族からの捜索願を受け、海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカとカナダとロシアに救難要請を出す。しかし、同号が姿を見せることは二度となかった。

 風船おじさんはどこに消えたのか。当時の気象大学校の教頭は、ファンタジー号の風船の素材が塩化ビニールならば、1日に約10%の割合でガスが抜け海に着水したと見解を述べたうえで「生存は難しいだろう」と推測。

 また一部では鈴木氏が事前に2億円の生命保険に入っており、債務返済のために自ら命を絶ったという噂もある。

 その後、残された家族のもとには何度も無言電話がかかってきて、妻はどこかで生存している夫からの連絡かと期待したが、それも3年ほどで途絶えた。

 その一方、家が1億円の抵当に入っていることもあり、妻は夫が残した借金を払い続けた。家族は、鈴木氏が失踪した後も2年に1度、捜索願を更新。

行方不明から8年後…

 戸籍上は生きていることになっていたが、行方不明から8年余りが経過した2001年2月1日、失踪宣告が確定した。

 風船おじさんが失踪直後に死亡した可能性は極めて高い。ただ、その最期がどのような状況だったのかは今も明らかになっていない。

◆◆◆

 彼はなぜ「風船おじさん」として日本中で知られる存在になったのか。

【関連記事】「借金5億円」「鉄塔に立てこもりレスキュー隊まで出動」やっていることは“迷惑系”と変わらない…それでも日本人から愛された「風船おじさん」はどこへ消えた(平成4年の事件)へ続く…

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))