<Q.豊田氏の考えは理解できた?>
■トヨタ自動車 近健太社長
「正直なことは『もっといいクルマって何ですか』だった。答えを待っていた。それが違うんだ そんな答えはないんだよと。みんなが考えてそれぞれ行動していく先にある。僕は最初分からなかったです。(豊田社長から)『少し会話できるようになったな』と1年ぐらいたって言われたのはよく覚えている。逆に言うと、1年間ぐらい会話にならんかったのかなと思いました。」

トヨタは、さらなる危機に直面します。
同じ年に起きたリコール問題です。

トヨタはアメリカでの死亡事故をきっかけに、世界で数百万台規模のリコールを実施。2010年には豊田章男氏がアメリカ議会に招致され、下院の公聴会で厳しい追及を受けました。

その後、事業撤退や海外工場の閉鎖など厳しい決断を相次いで下すトップの姿を目の当たりにしました。

■トヨタ自動車 近健太社長
「すごく孤独だったなと見ていて感じました。本当にぐっと考え込んでいた姿もありました、1人で。トップの決断は、その決断によって悲しい思いをする人の顔を思い浮かべながらするのだということを当時よく聞きました。」

社長という同じ立場になった今、約8年間秘書として見た豊田氏の姿が自身の〝軸〟になっているといいます。

■トヨタ自動車 近健太社長
「いまは(トヨタの)責任者というと豊田章男会長1人だと思う。責任を取るといって本当に取ってきた豊田のこれまでの行動があって、責任者になっている。いつか近が言っていることが責任を取っていることだと、世間の人・ステークホルダー・株主・販売店・仕入れ先・客が思ってくれるように、ひとつひとつやっていくしかないのというのが、今の『責任』に関して私自身の考えです。」

新潟のモノづくりに話が及ぶと、トヨタとの意外な関係を明かしてくれました。

■トヨタ自動車 近健太社長
「トヨタ初代チーフエンジニアの中村健也氏は、長岡高等工業学校(現新潟大学工学部)出身。中村氏は関西の出身だが、わざわざ長岡まで学びに来た。トヨタでは、センチュリーやクラウンの生みの親ですね。(新潟は)それくらいモノづくりの基盤がある。」

トヨタのピックアップトラック『ハイラックス』。そのアップグレードパーツのひとつ『士別フィン付きアンダーカバー』は、燕三条地域の企業と共同で開発しました。高難度のプレス加工や職人の『手曲げ』など、燕三条ならではの技術が生かされています。