2026年名古屋場所2日目、突き落としで大の里を破る藤ノ川

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 2026年の本場所も残すところあと2つ。白熱する優勝争い、若手力士のめざましい活躍もあって令和の相撲人気は高止まりを続け、チケット争奪戦は相変わらずの厳しさだ。だが、いつの世も真に人を魅了するのは、力士たちの磨かれた技と個性。ノンフィクションライターの武田葉月氏が、注目すべき現役力士たちを紹介するシリーズ「令和の名力士たち」。第7回は先の名古屋場所で横綱を連続で破り、会場を興奮のるつぼにした21歳、藤ノ川が登場する。

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【写真】気合いみなぎる本場所の土俵、リラックスした巡業先…頼もしき若手「藤ノ川」の素顔

「今夜は焼肉だ!」と笑顔で帰路に

 藤ノ川が前頭筆頭で臨んだ2026年7月の名古屋場所は、2日目に横綱・大の里との対戦が組まれた。同年春場所、大の里と初めて対戦した時には藤ノ川が勝っているとは言え、体重差70キロの横綱のパワーは計り知れない。

2026年名古屋場所2日目、突き落としで大の里を破る藤ノ川

 立ち合い、大の里は藤ノ川を突き起こして前に出たものの、土俵際、藤ノ川の捨て身の突き落としに大の里の巨体が土俵に落ちた。

 名古屋場所の会場・IGアリーナには座布団が舞い、大歓声が沸き起こる。観客がさらに驚いたのは、藤ノ川が受け取った懸賞金の「分厚さ」だ。両手で大事そうに懸賞金を抱えながら、花道を下がっていく藤ノ川の姿に、観客のボルテージはさらに上がる。

「立ち合いは、バシッと当たっていけた。最後(の突き落とし)は無理やりだったけれど、相手の体が返るのが見えました」

 インタビュールームに呼ばれた藤ノ川は、こう冷静に振り返った。そして、

「(懸賞金で)今夜は焼肉だ!」

 と、笑顔で帰路についた。

2日連続の「金星」に大歓声

 生きのいい21歳の若手は、翌日も横綱・豊昇龍との取組が組まれた。じつは、豊昇龍戦も過去1戦1勝。

 この日も、豊昇龍に土俵際まで押し込まれたのが、土俵際でヒラリと身をかわして、突き落としで勝利を決めたのだ。2日連続の「金星」に、歓声はさらに大きくなった。

 2日目の大の里戦で、手にした懸賞は53本。3日目の豊昇龍戦も48本もの懸賞が付いていた。なんと2日間で101本、金額にしたら600万円超えとなる。

 それでも藤ノ川は、

「立ち合い、当たっていけたから突き落としが決まったんだと思います。昨日は焼肉屋に行けなかったので、今日こそ付け人たちと一緒に行きたいですね!」

 と、意気揚々。177センチ、123キロの体は幕内最軽量。それでも、果敢に横綱に挑んでいく「藤ノ川」の姿は、ファンの目と心にしっかり刻まれた。

妹と母親が立て続けに亡くし

 父親が幕内力士・大碇(おおいかり)だったため、子どもの頃から、相撲は身近にあった。父の勧めもあって、自宅近くの少年相撲道場に通って、相撲の腕を磨いた。

 ところが、少年時代の藤ノ川は体が小さく、同学年の少年たちに勝てるだけの力はなかった。

 弟が2人、妹が1人生まれた頃、悲しい出来事が起こる。妹と母親が立て続けに亡くなってしまったのだ。残された父と3人兄弟は、呆然とするしかなかった。現役を引退していた父は親方になっていたが、仕事上多忙で東京にいられないことも多い。

「この子たちをしっかり育てていかなければならない!」

 父は覚悟を決めて、3人兄弟の弁当を作り、相撲の大会などにも足繁く通った。

 藤ノ川は当時のことを多くは語らない。けれども、この時、

「齋藤家の長男として、弟たちと一緒にがんばらないと!」

 と、長男の自覚を持ち、泣き言などは口に出さない強い心の持ち主になった。

 相撲を続けた藤ノ川に実力がついてきたのは、中学3年生の頃だ。全国大会で団体優勝を果たし、続いて進んだ名門・埼玉栄高相撲部では主将を務めるなど、相撲だけではなく、チームをまとめる力も評価された。

スピード出世の背後に「父の教え」

 高校を卒業するにあたって、藤ノ川のもとには大学相撲部からのスカウトが舞い込んだ。ところが、藤ノ川が選んだのは「プロ」で相撲を取ること。1日でも早く、一人前になって、父親を安心させたいという思いもあっただろう。ともあれ、高卒で大相撲の世界に入ったという決断は、結果的に「吉」と出た。

 四股名は、父親の四股名「大碇」から、「碇」の字を受け継いで、「若碇(わかいかり)」。若碇は、序ノ口、序二段、三段目を一場所で通過して、2023年秋場所では、幕下に昇進。その後も出世は順調で、1年後の24年九州場所では十両に昇進。若干19歳で「給料」がもらえる関取に上がることができたのだ。

 若碇の相撲の良さは、まず基本に忠実なこと。そこに動きの鋭さが加わるので、相手力士がスピードについていけない。

 父の甲山親方は、長年、新弟子を教育する「相撲教習所」で、新弟子たちの指導をしている。相撲の所作、取り方だけではなく、礼儀や生活の基本までを教える「鬼教官」である。いつの間にか身についた父の教えは、若碇のスピード出世につながったのだろう。

伊勢ノ海部屋伝統の四股名を継ぐ

 十両を4場所で通過して、25年名古屋場所では、幕内に昇進。このタイミングで「若碇」から「藤ノ川(6代目)」に改名した。

 当初、若碇は、出世したら、父親の「大碇」の四股名を継ぎたいと考えていた。ところが、先代・伊勢ノ海親方(元関脇・4代目藤ノ川)からの提案は、伊勢ノ海部屋伝統の四股名、「藤ノ川」を継いでもらいたいというものだった。

 4代目藤ノ川は、20歳で幕内に昇進。178センチ、108キロの細身の体でしぶとい相撲を取り、「今牛若丸」と呼ばれて人気を集めたのだが、ケガのため26歳という若さで引退。その後、長く親方業をしていた。

 また、5代目藤ノ川は、同志社大相撲部から鳴り物入りで伊勢ノ海部屋に入門、本名の「服部祐兒」から「ハットリくん」と呼ばれて、幕内までスピード出世したものの、腰痛が原因となり20代で引退。その後は大学教授などを務めていたのだが、藤ノ川が改名を公表する数週間前の6月6日、64歳でこの世を去っていた。

 そんな出来事も起因になったのだろう。先代親方は、

「自分が生きているうちに、藤ノ川を継いでもらいたい」

 と、若碇に期待をかけたのだ。

 もちろん、若碇に断る意志はなかった。こうして、オールドファンには懐かしい「藤ノ川」の四股名が久しぶりに、幕内の土俵に帰ってきた。

魂がほとばしる「気合相撲」

 細長く筋肉質だった4代目、190センチを越える長身からたまに小手投げなどの技を見せた5代目、そして、小兵で筋肉質な6代目とおのおのタイプは違うものの、若碇が「藤ノ川」を名乗って1年。ついに、6代目がブレイクした。

 2026年名古屋場所では、こんな相撲もあった。

 埼玉栄高相撲部の先輩、192センチ、185キロと大柄な小結・王鵬に対して、真っ向から吊り技を見せて、しのがれても、しのがれても、果敢に攻め立てる相撲に、館内から驚きの声が上がった。そして、最後はすくい投げで藤ノ川の勝利。

「(王鵬関は)重かったです。思い切り当たっていったら、(2本)入ったので……」

 と、足腰の強さを披露した。

 この名古屋場所では8勝と勝ち越して、殊勲賞を受賞した。8月の夏巡業中では、精力的に稽古していた姿が印象的だった。

「来場所、三役に上がれますかねぇ? 目標としては、今年中に三役に上がりたいと思っていたので、上がれたら本当にうれしいですね」

 と、語っていた藤ノ川。

 好きな言葉は「気合」。魂がほとばしる「気合相撲」で、秋場所も暴れ回ってほしい。

藤ノ川成剛(ふじのかわ・せいごう)
本名、齋藤成剛。2005年2月22日、京都市出身。埼玉栄高から、23年初場所、初土俵。24年九州場所、新十両昇進。25年名古屋場所、新入幕。父は甲山親方(元幕内・大碇)、次弟は幕下・碇潟。177センチ、123キロ。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞1回。伊勢ノ海部屋所属。

武田葉月
ノンフィクションライター。山形県山形市出身、清泉女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に取材、執筆中。著書に、『横綱』『ドルジ 横綱朝青龍の素顔』(以上、講談社)、『インタビュー ザ・大関』『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士』(以上、双葉社)などがある。

デイリー新潮編集部