「プーさん」は哲学である


 プーさん、本名ウィニー・ザ・プーの最初の名前はエドワード(愛称、テディ)であった。


 そうした紆余曲折を経て『くまのプーさん』は1926年10月14日に発売された。


 そして「プーさん」として世界中に広まった。それから100年近くを経て羽生結弦と共にある。相愛にある。


 ここで二人のもうひとつの共通点、哲学的な思索もまた見てみよう。


 プーさんで哲学?


 いやいやプーさんはとても哲学である。羽生結弦と同じ、哲学の人なのである。


元俳優でオックスフォード大学の文学博士でもあるJ・T・ウィリアムズの『クマのプーさんの哲学』はときにこじつけが過ぎる部分も含めてとても楽しい本である。安い文庫版もあるのでぜひ読んでみてほしいが、そこにはある意味、羽生結弦とプーさんの相愛も見えてくる。キャラクター造形だけでなく、プーさんという存在そのものが羽生結弦と共にある運命にあったことも。



頭のいい、真摯なクマ


 ウィリアムズは本書の冒頭で、わざわざ大文字にして「頭の悪いクマ」と書く。


 いやいやプーさんの哲学なのになぜそんなことを書くのか失礼じゃないかというのは早急だ。これはソクラテスの「無知の知」のことである。


 〈プーは「ものすごく頭のいいクマ」なんだ〉


 プーさんの物語にある「心配性のプーの歌」の一節だが、おかしなことばかりをするように見えるプーもしっかりと意味がある。ましてプーは自分がそうであることを知っている真摯なクマだ。だから頭が悪くて、頭がいい。


プーの物語にはこのようなやりとりもある。相手はクリストファー・ロビン。心優しい少年である。ある意味、羽生結弦はロビンでもあるように思う。プーとロビンもまた無二の親友だ。