9軒の家が17軒に分割され…住宅街で切り売りされる土地と急速に失われる緑 住人の権利より開発業者の利益が優先される日本は「住環境後進国」だ
周囲の住宅がすべて切り売りされた
これはSさんの自宅の周囲で現実に起き、いまも継続していることである。横浜市内の急行停車駅から徒歩15分ほどの住宅街で、かつては周辺の民家のなかでSさん宅が敷地面積はいちばん狭かった。ところが、いまではもっとも広い。なにが起きたのか。
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はじまりは20年ほど前だった。向かって右隣の家が売却され、土地は分筆されて2軒の建売住宅が建ったのである。芝生が広がる広い庭が端から見ても心地よく、隣家の環境はSさんがこの土地を購入する動機の1つでもあったという。ところが、その緑の絨毯は、境界ギリギリに建って圧迫する住宅に置き換わってしまった。だが、それだけでは終わらなかった。

続いて、裏手の道路を挟んで向こう側の、敷地が広く多くの木々が植えられていた住宅が3つに分筆され、3軒の建売住宅になった。そうこうするうちに、サツキをはじめよく刈り込まれた木々に囲まれた左斜め前の家で、高齢の家主が亡くなって、やはり分譲住宅が2軒建った。すぐ向かいの家は家主がまだ若いから大丈夫だろう、と思っていたが、売却してマンションに転居してしまい、同様に分譲住宅が2軒建った。
それでもまだ終わらない。右隣の裏手の3軒の家が一括して売却され、無機質な4軒の分譲住宅に変わった。Sさん宅にいちばん近接していた裏手の家は、やはり広くて開放的で、木々が美しく植えられていた。夫婦で住宅街の環境問題に取り組んでいたが、高齢で施設に入るや否や、娘が業者に売却してしまったのだ。そして最後が、道路を挟んで左隣。ここも庭がよく手入れされていたが、2つに分筆され、建築条件付きの土地として売り出され、1軒がすでに完成。いまもう1軒の工事がはじまっている。
こうして、緑が多い敷地にゆったりと建てられた家々に囲まれていたSさん宅は、周囲の住宅がすべて入れ替わってしまった。いまでは建ぺい率の限界まで建物が建ち、残りの土地はほとんどコンクリートで固められた狭い家に、すっかり包囲されている。土地の形状から分筆不可能な1軒は、売却されても切り売りされずに済んだが、残りはすべてが切り売りされ、9軒だった隣家は17軒に増えた。
急速に減少する民有地の緑
Sさんの事例は少しも特殊なケースではない。現在、首都圏をはじめ大都市圏の住宅街で広く起きていることで、Sさんの居住エリアは、全体が敷地の狭い建売住宅だらけになりつつある。なぜ、こうなってしまうのか。
Sさん宅の周辺の家は敷地面積が70坪から100坪程度あったが、土地の価格が1坪100万円とすると、70坪で7000万円、100坪だと1億円になる。上物を建てれば最低でも1億円前後にはなってしまう。現在、東京都内の新築マンションの平均価格は1億3000万〜1億5000万円程度だから、それにくらべて高いとはいえない。だが近年、1億円を超える予算をもつ住宅購入層は、多少狭くても都心のマンションをねらう傾向にあり、都心への便が悪くない近郊の戸建ては、もう少し安いほうが売りやすいのだという。
このため前の所有者から古家が建つ土地を購入した業者は、1区画35坪から50坪ほどに土地を分筆し、そこに建売住宅を建てて6000万円から7000万円台で売るのである。このぐらいの販売価格帯なら、より幅広い層が対象になるので、より早くより確実に売ることができる。また、戸数が増えた分、より多くの住宅を販売できるので収益も上がる。
しかし、こうした土地の細分化は、環境の悪化に直結する。まず、土地が分筆される際に庭木は躊躇なく伐採される。また、分筆後は1区画あたりの敷地面積が狭くなり、建物が敷地いっぱいに建つため、樹木を植える場所がない。そのうえ最近の傾向としては、植え込みの手入れなどをしなくていいように、建物の周囲を駐車場などコンクリートで固める傾向にあるので、なおさら樹木が減ってしまう。
東京23区や横浜市などでは、緑の多くを民有地に依存しているが、こうしていま、民有地の緑は急速に減少している。たとえば東京都練馬区では、この10年で民有地の緑が1割ほど減ったというデータがある。この傾向は大都市圏の多くで共通し、緑が減少する速度は増している。
だが、はたして、起きていることは仕方ないことなのか。住環境があまりにないがしろにされていないか。
住人の権利より業者の利益が優先される日本
土地を分筆し、建売住宅を建てたほうが売りやすい、と書いたが、それは隅から隅まで業者の論理である。業者が確実に販売でき、より利益を上げられる、ということが、ほかのすべてに優先されている。環境の悪化によって周囲の住民がこうむる不利益や、民有地の緑の減少のように、地域全体の環境が悪化する危険性について、まったく顧みられていない。
すでに書いたように、業者にとっては広い土地は分筆しないと売りにくいらしい。だから、業者は、できるだけ売りやすいように開発する。横浜市にも敷地面積の最低限度など一定の規制はあるが、既存の住環境や緑を守るには十分とはいえない。一方、周囲の住人は隣家が細分化され、狭い家がひしめき、緑もない環境に変わってしまっても、黙ってそれを受け入れるしかない。業者が利益を上げるために、環境が悪化する不利益に甘んじるしかない。あまりにバランスが悪く、既存の住人の権利が軽んじられすぎてはいないか。
業者の権利が最優先される状況に対しては、本来、地方自治体が介入すべきである。地方自治体には、住民福祉の増進を図る役割がある。各地で日々、住民の不利益が生じている状況を放置しているのは、不作為としかいいようがない。
ヨーロッパの一部の国や自治体では、都市景観や住環境を維持し、無秩序な開発を防ぐため、土地の分割には制限が加えられている。法律や都市計画によって、最低面積が厳しく規制され、極端に狭い土地や変形した土地が生まれて、環境が損なわれるのを防いでいる。たとえばオランダのアペルドールン市では、市街地内で土地を分割して住宅を新設する場合、独立した戸建て住宅は最低300平方メートル、二戸一住宅は1戸につき最低250平方メートルの敷地を確保するよう定めている。
要するに、ヨーロッパには、アペルドールン市のように土地の分割を認める場合にも一定の敷地面積を確保し、住環境への影響を抑えようとする自治体がある。一方、日本では、業者が手間なくスムーズに販売でき、高い利益率を確保できることが優先される。この彼我の差には愕然とするほかない。そもそも現在は、急速に少子化が進み、人口の急減が確実な状況だ。それなのに、業者が利益優先で住宅戸数を増やすのを黙認するのは、社会的に妥当とはいいがたい。
既存の住人ががまんせざるをえない日本のあり方は、世界標準であるどころか、きわめて後進的である。働き方改革にせよ、ハラスメント防止にせよ、権利が重視される社会へと進んでいるなかで、住人の権利が無視されたままなのは不思議でならない。
香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。
デイリー新潮編集部
