〈イオンモール爆発〉館内に戻ったのに被害を免れた生存者の証言 「食品売り場に寄ったことで助かったのかも」
【全2回(前編/後編)の前編】
過去の震災でも類のない惨事の全貌がようやく見えてきた。7月28日の熊本地震発生から1時間23分後に起きたイオンモールの爆発。果たして生死を分けたターニングポイントは何だったのか。真相解明を求める遺族たちと、被害を免れた生存者たちが重い口を開く。
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【写真を見る】「爆発直前に撮影」 イオンモール熊本の「緊迫の館内」
遺影と骨壺が置かれた厳かな祭壇を前にして、主の一人を失ったミニチュアダックスフントは、ただただ不安そうにほえ続けていた。
「娘がかわいがっていたから、犬も変化を感じているのかもしれない……。祭壇に写真を飾っているでしょう。あれから2週間以上がたちましたが、やっぱり写真を見ると辛いです」

と嘆くのは、イオンモール熊本(熊本県嘉島町)で起きた爆発で長女を亡くした父親である。
「娘は30代独身でした。店舗名まではよく分からんけど、アパレル大手のオンワードホールディングスの系列店で働いていた。亡くなったオンワード従業員の3人のうちの一人です。地震が16時27分に起きて、その8分後に娘から電話がかかってきた。“家は大丈夫だけど、そっちは?”と娘に聞いたら、“後片付けをしないといかん”ちゅうて、帰りはいつも通り22時くらいになると言っていた。それが18時前のニュースでイオンが爆発したと聞いて、娘に電話したけど、もうつながらんで……」(同)
なぜ娘は亡くなったのか。地震発生から1時間23分後に起きた爆発の衝撃は、今なお遺族の心を揺さぶり続けている。
「地震の後、イオンの役員が謝罪に来ましたが、われわれが憤っていたからでしょうね。ただただ謝るだけで、その後の補償の話をするような雰囲気ではなかった。とにかく遺族たちは憤っています。どう考えても、危険な建物に自分の判断では入らんでしょう」(同)
生存者たちの証言
地震発生時、イオンモールの中には、買い物客とテナントなどの従業員合わせて約4500人がいた。
イオンの災害マニュアルに従い、およそ30分後の17時ごろには野外への避難がいったん完了していた。
にもかかわらず、それから50分後に起きた爆発で、死者7名・負傷者26名の被害が生じてしまった。当初イオンが開いた社長会見では、地震後の再入館を認めるアナウンスはしていないと断言した上で、経緯を再調査するとした。
ところが今月11日には、イオンは避難完了後に現場判断で再入館を認めたケースがあったとして、釈明に追い込まれたのである。
いかなる判断が人々の生死を分けることになったのか。その理由を探るためにも、地震当日イオンモールでいったい何が起きていたのかを、現場にいた生存者たちの証言から検証してみよう。
“皆さん、屈んでください!”
イオンモールのテナントに勤める20代の女性従業員は、こう振り返る。
「今までに経験がないほどの激しい揺れで、体感的には10分くらい続いていたように思いました。本当に恐怖の時間でした。方々からお客様の悲鳴が聞こえて、泣き叫ぶ子供もいた。売り場の商品はバカバカと落下して、陶器やガラス製品は音を立てて割れて棚から全て消えた。レジ付近の天井に埋め込まれた業務用の大型エアコンまでガタンと落下したんです。重さは100キロちかくありそうでした」
イオンモールの飲食店でアルバイトをしていた10代の女性に聞くと、
「シフトを終えて退店後、モール1階でウインドーショッピングをしていた時に揺れ始めたんです。次々にマネキンが倒れて割れ、建物からはギシギシと軋む音が聞こえた。ここにいたら危ないと急いで避難を始め、吹き抜けのあるイベントスペースに出ました」
そこにはパニック状態に陥った買い物客が20〜30人ほど集まっており、イオンの女性スタッフが必死に避難誘導をしていた。
「まだ揺れていたので、女性スタッフが大声で“皆さん、屈んでください!”と叫んでいました。私たちは手で頭を押さえながら身を寄せ合った。天井からは煙のようなものがモクモクと降ってきて、息苦しく咳き込むほどでした。焦げた匂いなどはしなかったので、建物が軋んだことで生じた埃だったと思います」(同)
ようやく揺れがおさまり、なんとか外へ出ることができた。
「イオンのスタッフが出入り口に立ち“モール内には立ち入らないでください”と連呼していた。地震が起きて20分ほどたった頃、バイト先の店長から安否確認のLINEが送られてきて、同僚はみんな無事だったことが分かりました。その後、バスが来たので帰宅することにしました」(同)
幸いバイトを終えていた彼女は、私物が手元にあり、館内に戻ることなく帰宅できたのだ。
「私物を取りに行くと決意」
一方、着の身着のままで避難を余儀なくされたという前出の女性従業員は、
「地震の影響でスプリンクラーが誤作動を起こして“火災が発生しました”という館内放送まで流れて混乱していました。お客様の避難誘導が完了後、上司からは“何も持たず逃げて”と指示されたので、貴重品を預けたロッカーへ戻る時間もなくて、駐車場へ避難することになったのです」
この店舗のみならず、多くのテナントでは勤務中はバックヤードに貴重品や私物を預ける決まりとなっていた。このため、自宅や車の鍵、財布などを持たずに避難した従業員が多かった。
そこで、地震発生から40分ほどたった17時過ぎの時点で、イオン側から再入館が認められたのだ。
「イオンのスタッフから“安全確認ができていないので帰れる人は帰ってください。荷物がないと帰れない場合は、店舗ごとに何人かで集まり再入館して、必要な物を回収したらすぐ戻ってきてください”と言われました。それで私は同僚と私物を取りに行くことを決意。何も音がしないくらい館内は静まり返っていました」(同)
なんとかロッカーの私物を回収後、同僚を待っていた彼女は、フードコートで働く友人と遭遇した。
「この飲食店員も貴重品を取りに戻って来たそうで、ついでにガスの元栓を締めたと言っていました。そうこうしているうちに、防災センターの人が避難を呼びかけに来たので、再び駐車場へと向かった。館内にいた時間は正味10分ほどだったと思います」(同)
この時点では爆発までは30分くらいの時間があったわけだが、まさに間一髪だった生存者もいた。
「ついでに1階東側にある食品売り場をのぞきに行こうと」
イオンモール1階にあったアパレル店の女性従業員が言う。
「私を含めて3名のスタッフで一時は外へ避難していたのですが、17時10分くらいになると、ちらほらと館内に戻る従業員が目に付くようになった。それで出入り口に立っていたイオンのスタッフに聞くと、“貴重品など私物を取りに戻るなら入ってもよい”と言われたので、17時20分ごろに店へ戻りました」
気になっていたのは店に残した売上金と、電源が入ったままのパソコンだった。
「会社に電話すると“売上金は気にしなくていいから、すぐ逃げろ”と言われました。それで火災防止のためパソコンの電源を落として17時半過ぎには店を出て外へと向かった。その際、スタッフの一人が“何かガス臭くなかった?”と聞いてきましたが、私は気付きませんでした。とにかく空腹だったので、ついでに1階東側にある食品売り場をのぞきに行こうとなったんです。地震後は大混乱になって食料を調達するのが大変かもしれない。セルフレジがあれば何か買えたらいいなと思って」(同)
これが結果的に彼女たちの命を救う行動となった。
「食品売り場の入り口でイオンのスタッフに止められ、最寄りの1階売場出口から避難するよう促されたのです。そこで言われた通りに外へ出て3分くらいたった頃でしょうか。突然、近くに雷が落ちたようなドカーンというすさまじい爆音が聞こえたんです。晴れているのになぜだろうと振り返ると、建物の南側から白い煙が上がっていた。何が起きたのか全く分かりませんでしたが、建物から離れようと必死に走りました」(同)
「普段通りのルートを通っていたら、爆発に巻き込まれていたかも」
爆発はイオンモール2階の南側付近で起き、がれきが1階まで突き抜けるほどの威力だった。
「爆発した付近には、私たちがよく使う従業員のための通用口がありました。あのまま普段どおりのルートで南側から外へ出ようとしていたら、爆発に巻き込まれていたかもしれないと考えると恐ろしいです。あの強烈な爆発音を聞くと、とても助かっていなかったと思います。すぐ避難しないといけないのに、食欲を優先して迂回(うかい)したことで、助かったのかもしれません」(前出のアパレル店女性従業員)
その南側の通用口付近で亡くなったのが、冒頭で触れたオンワード系列の店舗に勤務する女性だった。後編では、この女性の兄が語った、会社側の説明への違和感などについて報じる。
「週刊新潮」2026年8月27日号 掲載
