今も現役

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第80回は間寛平さん。言わずと知れた関西芸人の大御所だけにエピソードは尽きませんが、インタビューで聞いた、とっておきの秘話を。

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「アメマ裁判」

 まとまった芸能スキャンダルの読み物ができないかと考え、「プレイバック 芸能スキャンダル史」という連載を始めたのが15年前のことだった。当初、数十回程度の予定が月〜金に掲載され、回を重ねること約600回(16年に書籍化したので新たに加えた分も含む)。時期的には戦後から2016年のSMAP解散騒動前後までを入れた。

今も現役

 この連載では「芸能プロ関係者」とか「消息通」のコメントは入れず、事実関係、本人が語ったコメントを中心に記事を構成した。批判的な言い回しは極力避け、淡々と記述したので多少、擁護調になったのは仕方がない。しかし、スキャンダルの真相はともかく、本人のコメントよりも重いものはないと考えた。

 担当してくれたライターは、毎日のように国内最大の雑誌図書館で知られる大宅壮一文庫に通って徹底的に資料を集め、それが膨大な量になった。今、思い返しても、あのような連載がよくできたと思う。

 その中で、爆笑スキャンダルの一つが間寛平(77)の「アメマ裁判」。39年前のことだ。

 寛平は関西ローカルの番組内の人形劇「パペットレビュー」で、奇妙なマントに頭巾姿の「アメママン」を演じた。「またも出ましたアメママン。いつもニコニコ朗らかに」と登場。いかにもコテコテの関西ギャグっぽい。これが大人気になって周囲から「アメママンバッジを作ったら当たりまっせ!」と言われてその気になり、原価630円、販売価格1500円のバッジを10万個作った。

 ところが、作って3週目で番組が修了。大量のアメマバッジが売れ残り、業者から請求された製作費6000万円を支払えない。業者は「契約書にハンコも押してあるので払え」と怒りが収まらず、裁判になった。

 裁判では「契約書を読んでも、甲が誰で、乙が誰か、さっぱりわからんのですわ」と寛平。芸人にとって、契約書とか裁判の陳述書など、おそらく見るのも初めてで、理解しようもなかったのだろう。

 そこに世事に疎い裁判官が「アメマとはどういう意味ですか」とクソ真面目に質問する。これに対して寛平は「アーメマー」のギャグを繰り返し、法廷は爆笑の渦に包まれた。

 6000万円は計画的に返済したが、借金しても法廷で笑いを取るというドタバタ劇を演じた寛平はまさに規格外のキャラクターというしかない。コンプラのご時世でもあるから、昨今の関西芸人がテレビで常識的なことをしゃべるのをよく見かける。

 ひとっつも面白くない。

 お笑い芸人なら寛平のように、コンプラをかいくぐる、突拍子もないギャグで世間を笑かしてほしいと思う。

ナイトマラソンを

 インタビューしたのは、コロナの真っ只中の21年5月だった。寛平ちゃん、コロナなんか何も気にしていなかった。

 新曲「8、9、10の歌」のPRを兼ねてのインタビューだったが、「8、9、10」とは何? と思ったら「5、6、7(コロナ)の上を行く」の意味で、世の中、コロナで暗くなっているけど、くよくよしててもしゃーないがなといったところか。「この曲、ヒットせんかな、紅白狙ってますから」とあの人懐こい笑顔で語ってくれたが、まさに規格外である。

 寛平といえば、マラソンランナーが代名詞。マラソンとヨットで世界一周したアースマラソンでも知られる。この時はこうも語った。

〈世界一過酷という、ギリシャのスパルタスロンでは真夜中の真っ暗闇の中で、自分と明かりだけを頼りに戦った。それが楽しいんですわ〉

 その時も語っていたが、ナイトマラソンを広めようとしていた。真っ暗な山の中を、懐中電灯を持って熊やイノシシが出そうなところを走る。夕方4時にスタートして夜中の9時にゴール。70歳を超えてさらに新たなことにチャレンジする。究極のチャレンジャーでもある。

 そんな寛平だけに、周囲からはさぞ変わり者扱いされているかと思ったら、後輩にはことのほか優しく、面倒見がよくて慕われている。

 99年に吉本新喜劇の座長になった辻本茂雄(61)は、二度も寛平に救われた芸人だ。最初は顎ネタを封印して仕事がなくなった時。漫才コンビを組んでいた時はボケ役だったのだが、寛平が座長として企画した広島横断ツアーで回った際、「めっちゃツッコミ面白いぞ」と評価してくれ、あっちこっちで広めてくれた。

 そして「超!よしもと新喜劇」(TBS系)で東京に進出したが、今度は「大阪のニオイがきつすぎる」といわれて干された。そんな時に声をかけてくれたのも寛平で、「ほんなら2人でコントしょーか」と誘われ、全国を回った。寛平のボケはもちろん規格外だが、「辻本相手だと安心してボケられる」と評価してくれた。「すっごくうれしかった」と辻本は感激した。

〈寛平さんってとにかくやさしい。ボクだけにじゃなくて。今も売れない芸人使ってコントしたり、劇団立ち上げたりしてますから〉

 辻本は「カンペーイズム」と言っている。

「俺らが拾う」

 芸人だけではない。グラドルの熊田曜子(44)は寛平、次長課長らとかつて大阪の番組に出演していた。熊田は話の流れについていけず、一言もしゃべることができなくて反省する日々。そんな時に南紀白浜空港で寛平とばったり会って、「ラーメンを食べよう」と誘われ、悩みを聞いてもらった。

「一言もしゃべれないこともあって、すごく悔しい」と言う熊田に対して寛平は、「なんでもいいから思いついたことを言ったらいいよ。その後は俺らが拾うから」とアドバイスしてくれた。

 それからは自由に発言するようにして、次長課長から「そんなことも知らんのか」とツッコまれた時に、「これが俺らが拾う」ということかとわかったそうだ。熊田はこう語っている。

〈おかげさまで今はテレビの仕事が楽しくて仕方ありません。それもこれも、あの寛平さんの一言があったから。感謝しても感謝しきれません〉

 規格外とやさしさ。この二つに尽きるということだろう。

峯田淳/コラムニスト
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デイリー新潮編集部