終戦から81年 「国のために志願した」97歳元予科練生の証言【徳島】
8月15日。
終戦から81年が経ち、戦争の記憶は私たち日本人の中から薄れつつあります。
当時、海軍の予科練生として、終戦を迎えた97歳の鳴門市の男性に、戦争の記憶と平和への思いを聞きました。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「6月15日か16日に、松山航空隊をB29が8機か9機で爆撃した。跡形もなくなるような爆弾を食らった」
「私の隣の部隊の兵隊が60何人と、そのあたりを通っていた兵隊20人、約80人が生き埋めになった。目の前で…この時だけは…」
元海軍の飛行予科練習生です。
飛行予科練習生、通称「予科練」は海軍が全国から選抜した少年を訓練し、熟練の搭乗員に育てようとした制度で、創設から15年間で約24万人の少年が入隊しました。
たてまえ上は志願制でしたが、国は市町村に志願者を割り当てて若者たちを徴収しました。
あげく入隊し、卒業した兵士の多くが特攻などで、その尊い命を落としたといいます。
1929年に鳴門市で三人兄弟の末っ子として生まれた黒崎さんは、撫養中学校の3年生だった15歳の時に予科練生として、松山航空隊に配属されました。
現在97歳。
配属から終戦までの予科練での日々、戦争の記憶、そして平和への思いを81年目の夏、黒崎さんが語ってくれました。
(記者)
「予科練生になったのは国からのお達し?志願?」
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「無論志願、国のため」
1941年、開戦。
その3年後、黒崎さんは自ら予科練に志願しました。
特別なことではなく、当時の男の子はそれが当たり前でした。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「父親は死んでいなかったが、母親一人。最後に松山の駅で別れた時に(母が)私の手を握りながら、『例え手足一本になっても這いながらでも戻って来るんでよ』『絶対に人様には迷惑をかけたらあかんよ』『この2つだけは守ってよ』『這いながらでもいいけん戻って来るんでよ』と」
勇ましく志願した少年の胸に、母の言葉が突き刺さりました。
こうして松山航空隊へと配属された黒崎さんでしたが、それまでごく普通の中学生でしかなかった15歳の少年にとって、予科練での生活は想像を絶するものでした。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「朝6時半に起床。ラッパひとつで約1万人が飛び起る」
「訓練の内容は主にモールス(信号)。1分間60秒、60秒で60の数字を打たないといけない」
「ツーツーツーツーツーと、これだけ打つけど1秒で打てと、打てますか。絶対に打てませんよ、(できないと)右手を鞭で叩かれる」
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「訓練で一番辛かったのは、冬のさなかの腕立て伏せを4時間、手の外側だけ雪が解ける。(額からは)汗がぼたぼた落ちて形ができる」
「1万何千人がやっている、こんなこと、いくら体育が好きでもできない」
厳しい予科練での生活でしたが、たったひとつ、楽しみがありました。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「毎週一番喜ばしいのは、これぐらいの栗まんじゅう」
「水曜日の(午後)3時が来たらこれをくれる。これだけが一週間の楽しみ」
入隊から約9か月後の1945年6月、黒崎さんら松山航空隊をアメリカ軍の空襲が襲います。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「(仲間が)『おい黒崎、隣がないわ』見たら隣の防空壕がない、80人入っている防空壕が、屋根がつぶれている」
「跡形もないような爆弾食らった。80人が生き埋めになった、空襲で」
「私はそこから、約70メートル西に離れた防空壕に入っていて助かった」
九死に一生を終えた黒崎さんは、空襲で亡くなった約80人の仲間の遺体を、近くの浜辺で火葬しました。
その後、大きな打撃を受けた松山航空隊から高知県宿毛市の陸上戦闘部隊へと移り、1945年8月15日、そこで終戦を迎えました。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「外で敬礼して太陽がきつい日に、直立不動で1時間、『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び』で泣いた」
「第二次世界大戦前でも勝つと言ってた、そのつもりだったが負けた、谷底に落ちたような気持ち、みんな泣いた」
「その(戦争に負けた悔しさ)の中には、家に帰れるという気持ちは正直なところあった」
こうして徳島へと帰った黒崎さんは、最愛の母との再会を果たします。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「『人にも負けんように頑張れよ』と言った母親でも、私の顔を見てふにゃふにゃふにゃと座り込んだ」
「『戻って来たんか、よかった。はぁ よかった』って」
黒崎さんの戦争は終わりました。
16歳の夏でした。
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「戦争は二度としてはいけない。それは身をもって感じた」
「僕たち(戦争経験者)が言葉で引き継がないとわからない。役目だと思う」
❝97歳となった今年、中学生に向け戦争体験を伝えた❞
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「全部戦死をしたんです。爆弾によって砂が崩れた」
(元予科練生・黒崎良祐さん〈97〉)
「自衛隊をもう少しかっちりとしたものにしないといけない。親・子・孫・ひ孫を守らないといけない。未だにそれは思う」
「攻めることはできんし絶対にしてはいけない。守るのは敵が攻めてきたら守らないかん」
あの日から81年。
かつて国のために予科練を志願した少年は今、この国の未来のために平和の尊さを語り続けています。
81回目の終戦の日を前に、97歳の元予科練生の証言をお届けしました。
