「お盆は帰らなくていいよ」76歳母の優しい嘘に甘え、帰省キャンセルの53歳長男を襲う深すぎる後悔
「暑いし、無理して帰ってこなくても大丈夫よ」――母のその言葉を真に受け、お盆の帰省を見送った53歳長男。しかし、その「配慮」の裏にあった母の本心と、直後に襲った突然の悲劇に、彼は一生消えない後悔を抱くことになります。遠く離れて暮らす「遠居」親子のリアルな実態と、見守りの難しさに迫ります。
息子を気遣う母からの電話
「今年のお盆は帰ってこなくていいよ。暑いし、交通費だって高いでしょう」
実家の母・山田洋子さん(76歳・仮名)から電話を受けた、山田達也さん(53歳・仮名)。東京都内で妻と大学生の娘、高校生の息子の4人で暮らしています。メーカー勤務で管理職を務めており、年収は約820万円。住宅ローンは残り約1,100万円あり、教育費もかさむ時期でした。
例年なら、お盆には家族そろって母の暮らす新潟県の実家へ帰省します。父が亡くなってから8年間、その習慣は変わりませんでした。墓参りを済ませ、庭の草むしりをして、母の買い物に付き合う。夜は親戚一同集まって食卓を囲む。それが山田家のお盆でした。しかし、その年は仕事の都合で大型案件の対応が重なっていました。
「本当に帰らなくて大丈夫なの?」
達也さんが聞き返すと、洋子さんは笑いました。
「親戚中が来るから、あなたたちが来なくても、大丈夫よ」
その言葉に甘えることにしました。
「じゃあ、秋になったら帰るよ」
そう約束して電話を切りました。
妻も「お義母さんがそう言うなら」と納得し、今年のお盆は帰省を見送ることになりました。
洋子さんは一人暮らしです。収入は老齢基礎年金と遺族厚生年金を合わせて月約16万円。築42年の持ち家で暮らしています。生活費は月13万〜14万円ほどだといい、預貯金を取り崩すことなく、年金だけで生活ができ、経済的な不安は比較的少ないほうだったといえるでしょう。
国立社会保障・人口問題研究所『第9回世帯動態調査』によると、65歳以上の要介護女性のうち25.3%が「単独世帯(一人暮らし)」であり、その単独世帯の高齢者において、最も近くに暮らす子どもが「他の都道府県」に住んでいる割合は14.4%に上ります。また、『第7回全国家庭動向調査』では、同居していない「夫の母親」との居住距離が「60分以上」離れている割合が42.3%に達しています。このように高齢の親が単身で暮らし、子どもが遠方に住む「遠居」の実態は珍しくありません。日常のコミュニケーションや緊急時の見守り体制をどう確保するかが、別居親子にとって大きな課題となっています。
そして、8月14日。例年なら達也さん一家が実家に到着し、翌日に親戚を迎える準備で忙しくしているタイミングでした。
母を襲った異変、帰省しなかったことへの消えない後悔
ガタン――。近所の人が後に証言したのは、その程度の物音でした。洋子さんは台所で倒れ、脳梗塞を発症していました。幸い、しばらくして様子を見に来た親戚が異変に気づき、救急車を呼びました。搬送先の病院へ駆けつけた達也さんは、医師から静かに告げられます。
「搬送があと数時間遅れていたら、命に関わっていた可能性があります」
その言葉を聞いた瞬間、達也さんの頭に浮かんだのは、病室の母ではありませんでした。毎年のお盆の光景でした。例年なら、自分がそばにいたはずです。異変に気付いて、倒れる前に病院に連れて行ってあげられたかもしれません。もし今年も帰省していたら――そんな考えが、何度も頭をよぎりました。
もちろん、本当に結果が変わったかは誰にも分かりません。それでも達也さんは、自分を責めずにはいられませんでした。
「母さんの『帰らなくていい』を、そのまま受け止めるんじゃなかった……」
洋子さんは一命を取り留めました。しかし、右半身に麻痺が残り、一人暮らしを続けることは難しくなりました。退院後はリハビリ病院を経て、サービス付き高齢者向け住宅への入居が決まりました。実家へ戻る日は、結局訪れなかったのです。
荷物を整理するため、達也さんは久しぶりに実家へ入りました。押し入れから出てきたのは、孫たちの写真を貼ったアルバム。その横には、今年のお盆用に買ってあった菓子やジュースが、そのまま残されていました。
「今年は来ないって言っていたのに……」
周囲から聞いた話によると、洋子さんは「急に来るかもしれないから」と、一応、準備をしていたといいます。来なくていいと言いつつ、心のどこかで家族を待っていたのです。
厚生労働省『2025年 国民生活基礎調査』によると、65歳以上の者のいる世帯のうち「単独世帯(一人暮らし)」は33.8%に達しています。さらに高齢者世帯(65歳以上のみ等)においては、その53.2%を一人暮らし(男20.0%、女33.2%)が占め、身近に頼れる家族がいない高齢単身世帯は増加の一途を辿っています。
こうしたなか、懸念されるのが突発的な病気による要介護化です。同調査によると、要介護者(要介護1〜5)が要介護となった主な原因のうち「脳血管疾患(脳卒中)」は14.4%を占め、特に最も重度な「要介護5」では27.6%と最多の第1位になっています。遠く離れて暮らす親子にとって、日頃の見守り体制は命に関わる深刻な課題なのです。
