「自分から絶縁されるべきなんだよ」東野圭吾の書籍に心揺さぶられた死刑囚たち
ベストセラー作家の東野圭吾さんが先月23日、68歳で亡くなって以来、その死を悼む声、惜しむ声が国の内外に広がっている。今月5日に発売された代表作「ガリレオ」シリーズの最新作で遺作となった「永遠の記憶」(文藝春秋)もすごい勢いで売れているようだ。
そんな光景を見やりつつ、筆者はかねて取材した2人の死刑囚のことを思い出していた。
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「手紙」の登場人物に自分を重ね、親族との絶縁を考えた死刑囚
1人目は、高橋明彦(逮捕時45)。2012年7月、福島県の会津美里町で民家に侵入し、住人の夫婦を刃物でめった刺しにして殺害したうえ、現金などが入った財布やネックレスを奪った男だ。田舎暮らしに憧れ、妻と共に東京から福島に移住したが、仕事が見つからず、車上生活するまで困窮したうえで及んだ凶行だった。
筆者は高橋が裁判の一、二審で死刑判決を受け、最高裁に上告していた頃、1年7カ月ほど面会や文通を重ねた。ある日、その収容先である仙台拘置支所で面会した際、高橋のほうから話題に出してきたのが、東野さんの代表作の1つ「手紙」(文藝春秋)だった。
「俺も今、あの小説のような心境なんだよね。そろそろ、決断しないといけないと思うんだよね」
筆者はそう聞いて、高橋が何を考えているのか、すぐに理解できた。それ以前に「手紙」を読んだことがあったからだ。
同作は、両親を早くに亡くした兄弟の物語。兄・剛志は、弟・直貴を大学に入れるための金欲しさに盗みに入った家で住人を殺し、服役。「強盗殺人犯の弟」になってしまった直貴は人生の節目節目で差別され、幸せをつかめない。そんな直貴が剛志との絶縁を決断するまでの日々が丹念に描かれ、読む者の涙を誘う内容になっている。
一方、高橋は事件後、妻とは離婚していたが、自分のせいで姉やその子どもたちが辛い思いをしているのではないかと気にかけていた。そんな中、獄中で読んだ「手紙」に共感し、姉ら親族と絶縁する決断を下さないといけないと考えるようになったのだ。
「まあ、俺の場合、本来は絶縁する側じゃなくて、される側だけどね。でも、自分からそうしないといけないんじゃないかと思うんだよね」
高橋の物憂げな話しぶりからは本気で苦悩している様子が伝わってきた。
死刑囚に被害者遺族の痛みを想像させた「虚ろな十字架」
2人目は、西口宗宏(逮捕時50)。2011年11、12月に堺市で歯科医夫人の女性と象印マホービン元副社長の男性を殺害し、現金などを奪った男だ。
西口は保険金目的で自宅に放火した前科があり、当時は仮釈放されたばかり。就職が決まらず焦る中、身元引受人の内妻に「就職が決まった。給料をもらえる」とうそをつき、取り繕うために連続強盗殺人事件を起こしたのだった。
筆者は西口が裁判の一審で死刑判決を受けてまもない頃から4年8カ月ほど面会や文通を重ねた。ある日、その収容先である大阪拘置所で面会中、西口が東野さんの本をよく読んでいると言うので、筆者は後日、自宅にあった東野さんの2作品を郵送で差入れた。そうしたところ、西口はそのうちの1作である「虚ろな十字架」(光文社)に感銘を受けていた(ちなみに差入れたもう1作品の題名は失念した)。
同作は犯罪被害者遺族の物語。一人娘を殺害された男性・中原道正が犯人に死刑判決が出た後、妻の小夜子と離婚。数年後、その小夜子も刺殺されてしまう。残された道正は小夜子の生前の足取りをたどりながら、死刑制度の意義について考えを深めていく…そんな社会派ミステリー小説だ。
西口がこの作品にどう感銘を受けたかについては、西口から届いたはがきに書かれた感想をそのまま見ていただくのがわかりやすい。以下、引用して紹介する。
〈昨年末に差入れて頂いた東野圭吾氏の二冊ですが、やっぱりおもしろいな!うまいな!!と思わせてくれるものでした。特に「虚ろな十字架」は現在4度目の読書に入っています。
片岡さんはこの小説が死刑に関するものとご存じで送ってくださったのでしょうか!?
本の帯には「死刑は無力か?」と書かれています。
虚ろな十字架は死刑判決を受けたものに重い十字架を背負わせるのではなく、虚ろなものだと言う意味です。
総ての者がそうではないでしょうが、自分を含め、同じフロアに居られる確定者の方を見ていても、東野氏はすごい点に目を付けられ作品にされていると思います。
只、私がこの本をこう何度も読み返すのは被害者の家族の方々の痛みが自分の心に刺さるからです。自分は殺人者なのだと自覚出来るからです。本真にありがとう〉(2018年5月31日消印の葉書より。句読点と行替えの箇所など一部を改めた)
西口は小説を読み、単に楽しむだけではなく、自分が殺した被害者たちの遺族の痛みを想像し、罪の重さを再認識したわけだ。この作品には、死刑囚の心情をそのように促す力もあったということだろう。
高橋、西口はいずれも裁判で死刑が確定して以後、拘置所の定めにより弁護人など一部の者以外とは面会や手紙のやりとりができなくなった。筆者も現在は2人と面会などはできないため、2人に東野さんが亡くなったことへの思いを聞くこともできない。取材者として少々残念だ。
文/片岡健 内外タイムス

