名将たちの甲子園初出場物語
須江航(後編)

前編:「2018年8月12日を一生忘れない」 仙台育英・須江監督が語る、惨敗から始まった日本一への物語はこちら>>

 仙台育英の須江航監督は、基本的に緊張することはないという。甲子園という大舞台であっても、自分は動揺しないだろうと思っていた。

 ところが、初めての甲子園でのシートノックを終えると、捕手の選手から「先生、ノックの順番を飛ばしていましたよ」と指摘を受けた。

「後にも先にも、そんなことはこの時だけでした」

 須江監督はそう言って、頭をかいた。


2022年夏に東北勢として初の日本一を果たした仙台育英・須江航監督 photo by Ryuki Matsuhashi

【継投ならぬ"継捕"で挑んだ浦和学院戦】

 仙台育英の学生コーチを務めた高校3年時に、記録員として春夏連続で甲子園のベンチに入った経験がある。春の選抜は準優勝しており、ベンチから見える景色にはすっかり慣れたはずだった。ところが、監督として初めてやってきた甲子園は、観客の数が尋常ではなかった。

「100回大会でお客さんもたくさん入っていて、こんな大観衆(4万1000人)は見たことがありませんでした。高校時代の夏の甲子園は初戦ですぐ負けてしまいましたし、3万人以上の観客が入っている甲子園は初めてでした」

 立ち上がりから、仙台育英は劣勢に立たされる。先発右腕の田中星流が浦和学院の5番打者・佐野涼弥に2点適時二塁打を浴びた。その裏の攻撃で、須江監督は浦和学院の先発右腕・渡邉勇太朗(西武)の恐ろしさを目の当たりにする。

「ベンチに帰ってきた1番から3番までの選手が、次々に『スライダーが見えないです』って言ってくるんです。今まで見たことのない曲がり方だと。『これが高卒でプロに行く投手の球なんだ』と知りました。甲子園に出場するレベルの投手の球と、ドラフト上位指名でプロに行く投手の球では、超えられない差があるんです」

 この夏、仙台育英は特殊な戦術を採用していた。3人の捕手を小刻みにつなぐ「継捕」という戦術である。

 浦和学院戦も、先発マスクはチーム一の強肩である我妻空。4回裏に打撃力の高い鈴木悠朔が代打で登場すると、そのまま守備へ。8回裏には攻守にバランスの取れた阿部大夢が代打出場、そのままマスクを被っている。

 この戦術を採用した背景には、仙台育英のチーム事情があったと須江監督は説明する。

「この年は田中、大栄(陽斗/当時2年/トヨタ自動車)と中心投手はいたのですが、継投のバリエーションがもう少しほしいと考えていました。そこで捕手を替えると、配球の組み立ても変わります。『継捕』をすることで、継投と同じ効果があるのではないかと考えました。あとは、選手のモチベーション。『多くの選手にチャンスがあるんだよ』というメッセージを込めたつもりでした」

【木っ端微塵に散りました】

 渾身の策だったが、浦和学院の圧倒的な力の前には、なすすべもなかった。守備では蛭間拓哉(西武)の本塁打など12安打を浴び、計9失点。須江監督は「浦学の応援歌が心地よかったことだけは覚えています」と語る。

 攻撃は渡邉ら4投手の前に散発4安打に封じられた。0対9の完敗だった。

 須江監督はあらためて、「木っ端微塵に散りました」と振り返る。

「すばらしい学びを得ました。個々のフィジカル、スキル、そのスケール感を前にして、何をとっても勝てる要素がありませんでした。チームとしてのベースを上げなければ、全国トップクラスのチームには勝てないとわかりました」

 じつは対外試合禁止処分が明けた際に、須江監督は高校球界を代表する名門に練習試合を申し込んでいる。大阪桐蔭、履正社、星稜の3校である。日本のトップ校を体感することで、自分たちの現在地を確認したかった。

 大阪桐蔭には10点以上の差をつけられ、完敗。履正社には辛うじて勝利したものの、相手はエースが登板しなかった。星稜には当時2年生だった奥川恭伸(ヤクルト)が投げなかったにもかかわらず、敗れている。

 そして、甲子園では浦和学院に完膚なきまでに叩きのめされた。須江監督は独特の表現で総括した。

「当時の選手を悪く言うようで心苦しいのですが、ボクシングで言えば階級が違いました。単純にフィジカルから構成される能力が違いすぎました」

 試合後の囲み取材で、須江監督は鈴なりのメディアを前にこんな宣言をしている。

「1000日以内に甲子園で優勝したいと思います」

 2年では時間が足りない。全国のトップ校に追いつき、追い越すには3年弱は必要。そんな思いから「日本一1000日計画」が始まった。

【2022年夏に悲願の全国制覇】

 フィジカル、スキル、メンタル。日本一になるために必要な要素は多岐にわたった。ただし、一度にすべての要素を引き上げるのは、至難の業だった。須江監督は「今年は投手力、翌年は打撃力と毎年何らかのテーマを決めて、一つひとつ獲得していきました」と振り返る。結果的に浦和学院戦の大敗から1000日以上かかったものの、2022年夏の全国制覇へとつながった。

 翌2023年夏の甲子園初戦で、仙台育英は再び浦和学院と相まみえる。両校は2013年夏にも対戦しており、その時は仙台育英が大激戦の末に11対10でサヨナラ勝ちを収めた。不思議なことに、5年ごとに甲子園で対戦する奇縁が続いている。

 2023年の仙台育英は高橋煌稀(早稲田大)、湯田統真(明治大)、仁田陽翔(立正大)ら豪華投手陣を擁しており、須江監督はロースコアの展開を想定していた。春には練習試合を戦い、仙台育英が敗れている。監督は森士監督から息子の森大監督に代わっていたが、須江監督は「やっぱり浦学は強いな」と実感していた。

 ところが、試合は思わぬ展開になった。序盤から仙台育英打線が爆発し、19安打で19得点を奪う。一方、浦和学院打線も18安打を放ち、9得点。最終的に10点差がついたとはいえ、須江監督にとって気が気ではない試合だった。

「あんなに打てた試合も、打たれた試合もありません。抽選会の前に森士さんからお電話をいただいて、『当たらないようお願いします』なんて話をさせてもらっていたんです。でも、意外とそういうことを言っていると、当たってしまうものなんですよね。浦学さんとは、不思議なご縁がグルグル回っていると感じます」

 今や仙台育英は、高校球界のトップ校のひとつになったと言っていい。将来有望な中学野球の逸材から選ばれる高校になり、OBの多くはプロ、大学、社会人と野球界の一線級で活躍している。須江監督は甲子園優勝監督インタビューでの「青春って密なので」というコメントが流行語になり、全国区の監督となった。

 それでも、須江監督が初心を忘れることはない。

 2018年の選手たちへの思いを聞くと、須江監督は噛み締めるように言葉を紡いだ。

「自分が子どもの頃から野球をやってきたなかで、もっとも楽しい1年間でした。選手たちと一緒にチームをつくり上げている実感があって、『早く明日にならないかな』というワクワク感がありました。とにかく、彼らのことを尊敬していました。『自分が高校生の頃は、こんなに頑張れなかったよな』って。本当に感謝しかありません」

 2018年8月12日。それは須江監督が初めて甲子園で采配を振った日であり、屈辱の大敗を喫した日でもある。そして同時に、仙台育英が東北勢初の日本一へと歩み始める、偉大な第一歩を刻んだ日でもあった。

菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi