【プレイバック’16】「嫌われ百合子」一人ぼっちの都知事選でも揺らがなかった自信と“勝算”

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ライバルは石田純一!?

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は10年前の’16年7月29日号『怖かったのは石田純一、鳥越俊太郎も増田寛也も私の敵じゃない 嫌われ小池百合子「たった一人の都知事選」』を取り上げる。

’16年6月に公用車の私的使用や政治資金不適支出問題により、辞職した舛添要一氏の後任を決めるために行われた’16年の東京都知事選。いち早く、出馬の意思を表明をしたのは小池百合子元防衛相(当時63)だった。寝耳に水だったのは自民党都連執行部。『嵐』の櫻井翔の父、桜井俊前総務事務次官(当時62)に出馬を要請したものの、固辞されていた。その隙を縫うように小池氏が事前に何の「根回し」もなく、突然出馬宣言をしたからだ。

都議会自民党は、元官僚の増田寛也元総務相(当時64)の擁立を都連に要請。都連は何とか小池氏に出馬を断念させようと働きかけたが、小池氏はそれを突っぱねた。当初は党の推薦を依頼していたがそれを取り下げ、党に進退伺を出して退路を断ったのだ(《》内の記述は過去記事より引用、肩書は当時のもの)。


《タレントの石田純一(当時62)が都知事選出馬会見を行った直後の7月8日夕方、小池百合子氏の姿は、東京・赤坂にあった。

午後5時半、雑居ビルから一人出てきた小池氏は、事務所の送迎車へ乗り込み、1時間ほどドライブ。後部座席で、石田が会見後に生出演したニュース番組を熱心に見ていた。都内各所を回り、午後9時ごろに再び送迎車へと乗り込んだ小池氏は、そのまま夜の街へ消えた》

小池氏が一番怖れていた候補が、実は石田純一氏だったという。タレントとして好感度が高かった石田氏が出馬すれば、浮動票を食い合う可能性があったからだ。しかし、石田はこの3日後に出馬の見送りを表明。「野党統一候補なら立候補する」と言ったものの、声がかからなかったことと、「個人的な事情」が理由だった。

孤立したかと思いきや……

14日の告示日に出そろった有力候補者は、自民党推薦の増田氏や、民進党など野党4党が支援するジャーナリストの鳥越俊太郎氏(当時76)など、大政党を後ろ盾とするライバルたち。だが、小池氏の自信はまったく揺らいでいなかった。当時の記事で事務所関係者は次のように語っていた。

《「党に守られながらの候補者たちに対し、自分だけは身ひとつで逆風のなか戦う。一貫してそのイメージを作り上げてきた小池さんの目論見通りに、選挙戦は進んでいる。増田さんは安定した組織戦を行うでしょうが、無党派層の取り込みは難しい。鳥越さんのことは多少警戒していましたが、しっかりとした政策があるわけではないことが出馬会見で明らかになり、自身の優勢は変わりないと、小池さんは計算しています」》

逆風は強かった。自民党都連は所属議員やその親族に、「推薦していない候補者を応援した場合は除名などの処分を科す」と記した文書を配るなど、徹底した“小池潰し”をしていた。また、1万ヵ所を超えるポスター貼りなど、多数の人手も必要だった。

だが、その一方で非自民の都議や、自民党都連に反旗を翻した区議など、小池氏の応援に集まる人たちも少なくなかった。また、小池氏は公明党の女性支持者に人気が高く、「自民ほど支持者への縛りが厳しくない公明は、小池氏有利と見て水面下でサポートしている」との噂もあったのだ。

怖れていた無党派層の食い合いは起こりそうになく、サポートしてくれる人たちも集まりつつあった。一部で「本命」とも言われた当時の心境を、小池氏本人は本誌にこう語っていた。

《「都議会のドン相手に戦っています。私はいじめられればいじめられるほど元気が出るし、勇気もわく。政策を作るまでは徹夜に近い日もありましたが、いまは落ち着いてぐっすり寝られています。食事もいつも通りとれています。ごくごく普通にいつも通り過ごしています。(支持者も)全国から続々と集まってきてくれている。彼らも私に勇気をくれます」》

嫌われても嫌われても、それを力に変える女・小池百合子。都知事選は彼女の思い描くペースで進みつつあった──。

ぶっちぎりの圧勝だった

投票が行われた’16年7月31日。締め切りの夜8時を過ぎると同時に報道各社は小池百合子氏の当確を打った。投票率は前回の46.1%を大きく上回る59.7%で、小池氏が291万票を獲得し、179万票の増田氏、135万票の鳥越氏を大きく引き離しての勝利。前日までは接戦が伝えられていたが、フタを開けてみれば小池氏の圧勝だったのだ。

選挙戦で小池氏は都政の透明化や行財政改革を訴え、都議会最大勢力である自民党との対決姿勢をアピールした。増田氏は自民、公明両党から強力な組織的な支援を受けたが、一部は小池氏を支持する分裂選挙に。さらに前述のように自民党都連の親族までを対象にした厳しい締め付けが、かえって反発をよんだという指摘もあった。

野党4党の支持を受けた鳥越氏も、元々民進党内の支持を固めきれていなかったところに、週刊誌で女性スキャンダルが報じられて失速。無党派層の票は小池氏に流れてしまい、せっかくの保守分裂というチャンスを活かすことができずに終わった。

選挙戦を振り返り、小池氏は『FRIDAY』’16年8月5日号の単独インタビューに次のように語っている。

《選挙戦が始まった当初は、ほかの候補に比べ圧倒的に人手が足りないと覚悟していたんです。都内1万4000ヵ所の掲示板すべてにポスターを貼ることは難しいかもしれない、と思っていました。

ところが、フタを開けてみると捨てる神あれば拾う神ありで、あちこちから手が挙がってきた。名前は言えませんが、自民党の議員の方を含めて、他党も、「手伝わせてほしい」という方がたくさんいたんです。結果的に、ポスター貼りは大政党のバックアップを受けた候補より早く進んだくらいでした》

政党や組織に頼らないスタイルで、逆風を乗り切った小池氏。だが、それまでさんざん「小池潰し」を行ってきた“都議会のドン”との対決はここからが本番だったのだ。