十六の目を持つ半神、ホヴァラ――【連載】奈倉有里「猫が導く妖しい世界」#16

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この連載では、スラヴの昔話からやって来た物知り猫“バユーン”が、ロシア文学研究者・奈倉有里さんとともに皆さんを民間伝承の世界へとご案内します。
今回はどんな不思議に出会えるでしょうか?
※2026年度『まいにちロシア語』テキスト7月号より抜粋
(スラヴ:ロシアやウクライナ、ポーランド、ブルガリアなど、ヨーロッパ東部から北アジアに広く分布する、スラヴ系諸語を話す人々の暮らす文化圏)

第十六回 たくさんの目が見ている

失くしもの

 最近よく、ものがなくなる。といってもメガネとか髪を結うヘアゴムとか、そういう日用品はもともとしょっちゅう見失って、「あれどこいったっけ?」と探していると、バユーンが呆れ顔で「枕元にあったでしょ」などと教えてくれるのだけど、ここのところはいつもだったら定位置にあるものまで消える現象が起きている。
 先日は、本棚の上にあった地球儀がなくなった。特になにかに使うわけでもなくあまり意識していなかったので、いつなくなったのかはよくわからない。ふと目線を上げたときに「あれ?」と違和感があり、よく考えたら地球儀がないと気づいた。一応バユーンにも「ここにあった地球儀知らない?」と訊いてみたが、「えっ、そういえばないね」と不思議そうにしている。触りもしないものがなくなるなんて妙だな、と思っていると、さらに今日は、付箋を貼りながら読んでいた本から、なんと貼っておいた付箋がごっそりと消えていた。ぜんぶ剝がしたら覚えているはずだし、さすがにおかしい。
 「ひょっとして、ものを消す妖怪なんていうのがいたりして?」とつぶやくと、バユーンが「ああ、いるにはいるけど、うーん、あいつかなあ」と自信なさげに答え、「ホヴァラっていう半神がいるんだ」と話しはじめた。
 なんでも、ホヴァラ(Ховала)という名前は、古いロシア語で「隠す、しまう、とっておく」といった意味を持つховатьという単語からきているらしい。半神、つまり半分神様で半分人間なだけあって、本体の姿はふつうの人間とあまり変わらない矍鑠とした白髪の老人なのだけれど、問題は背後だ──炎に包まれた目が十六個、ちょうど観音様の輪光みたいな感じの円形になってふよふよと漂っている。十六の目はそれぞれ見る方角が決まっていて、その目に睨まれたものはどこかへいってしまうんだとか。
 「へえ、そうなんだ。でもなんか、目が十六個もあるわりには地味なことするね。読みかけの本についてる付箋を隠すなんて」と感想をこぼすと、バユーンは「あ、違う違う。ものがなくなるのは副次的な作用で、本来はもっとすごいことをしてるんだ」と言って説明を続けた。
 まず、ホヴァラは夜に現れる場合に特にありがたい効力を発揮する。というのも、その燃える目には人の怒りや憎しみや絶望を焼きはらう力があるからだ。夜になるとこの老人は明るく光って辺りを照らし、人々にぬくもりと生命力をもたらし、負の感情から解き放ってくれる。だから夜ホヴァラが通り過ぎた村は、人も穏やかになり、作物も健やかに育ち、すべてが良い方向に向かう。しかし昼に現れたら注意が必要だ。目から闇を放って睨んだものを(ときには人も)消してしまったり、目の炎で火事を起こしたりすることもあるらしい。

隠す意図?

 なんだか複雑だ。一方では生命力を与えておきながら他方では奪うなんて矛盾しているし、しかも昼間に闇の存在になって夜になると逆に光の存在になるのも奇妙に思える。
 釈然としない顔をしていると、バユーンが「ただし」とさらに補足する。「夜にしても昼にしても、やたらめったら出てくるわけじゃない。たいていなにか深い意図があって人の住む場所にやってくる。人間にはすぐにはその意図がわからないことも多いけど」。
 なるほどね。それなら確かに半分神様だっていうのも頷けるかもしれない。ホヴァラの仕業でなにかものがなくなったら、その「深い意図」とやらに気づかなきゃいけないのか。でも、どうやって?
 「バユーンはホヴァラがなにを考えてるか、わかる?」と訊いてみるけれど、「いや、さっぱりわかんない」らしい。「僕もホヴァラにはまだ会ったことがないんだ。噂によると、財産をたくさん蓄えている場所に現れて、お金に集まってくる欲深い人間をこらしめるともいうけど……」バユーンはそこまで言うと部屋を見回した。風に吹かれてガタガタと屋根が音をたてる。財産どころか、下手をすれば家そのものも倒れそうだ。「逆に財産がなさすぎる家にはなんかくれるんだったかなあ……あんまりそういう話は聞かないけど」。今日のバユーンはどうも歯切れが悪い。
 部屋の防災ラジオと屋外の防災無線から同時に六時を告げる音楽が鳴り響いた。原子力発電所のあるこの町で役場から各家庭に配布される防災ラジオは、万が一のことがあったときのために勝手に電源が入る仕組みになっており、毎日、朝七時、正午、夕方六時に作動確認を兼ねてチャイムや音楽が鳴り響き、また勝手にぷつりと切れる。慣れるまでは心霊現象みたいでいちいち驚いていた。勝手についたり消えたりするラジオなんて。
 いまはもう慣れた。「こんな時間か、ごはんにしよっか」と立ちあがり、ギシギシいう急な階段を降りる。バユーンもついてくる。
 冷蔵庫をあけてなかを確認する。よし、鮭の切り身もししとうも味噌もちゃんとある。まあ、食材を隠すとしたら、もっと他愛のない妖怪か。座敷童とか、バユーンとか。

見えないものはなんだろう

 魚をグリルに入れる。しばらくすると、焼き魚とごはんの炊けるいい匂いが漂いはじめた。外は暗くなってきている。さっきのホヴァラの話を思いだし、「でも考えようによっては面白いよね」と言ってみる。「暗くなるとお化けが出るとか怖いことが起こるっていうのはよく聞くけど、ホヴァラにかんしてはむしろ夜になれば出てきても安心だもんね」と続けると、待ちかねて椅子の上から魚焼きグリルを覗き込んでいたバユーンは「うん」と相槌を打って、「それ、けっこう重要なところなんだ。つまり、昼には闇、夜には光になるっていうところ。光と闇、善と悪、そういう既存の対立を崩して反対の要素を融合させることによって最終的には望ましい調和を取り戻す、ってのが、ホヴァラの本来の役割だから」と答える。
 反対の要素、か。付箋の反対の要素ってなんだろう。それに、地球儀の反対も。なにかがなくなり、調和がもたらされる……。まるでヒントの足りないパズルみたいだ。もしほんとうにホヴァラがこの町にいるのだとしたら、夜をどんなふうに照らすつもりなのだろう。負の感情やものごとを浄化し、すべて焼きはらうとしたら……。
 そこまで考えてやっぱり怖くなり、「ねえバユーン、でも、もし負の感情をすべて忘れちゃうとしたら、ちょっと困ると思わない?」と言いながら考える──つまり私は、たとえば後悔とか悩みとか、前向きとはいえない感情を抱えながらなにか大事なことを考えていたとして、もしそれがあまりにもきれいさっぱり見えなくなってしまったら、考えることをやめてしまいそうで怖いのだろう。
 「まあね……あっほら、もう焼けてるよ!」とバユーンが騒ぐ。私は慌てて鮭とししとうをグリルから出してお皿に並べ、味噌汁とごはんをよそう。「少なくともユリはごはんを食べてるあいだくらい、考えるのをいったんやめてもバチはあたらないと思うけど……」と横からぶつぶつ言っているバユーンのぶんも魚を並べてから、また窓の外を見る。心なしかいつもより空の色が明るい。それに、空気も生ぬるい。
 魚をつつきながらまだぼんやりとしている私に、バユーンは「安心しなよ、ホヴァラは大事な感情まで持っていくことはないはずだから」といつになく優しく語りかける。
 バユーンの言葉に頷きながら、私はもういちど、本に貼った付箋と、地球を模したちいさな球体を思い浮かべてみる。地球儀はなくなったけど、ほんとうの地球は私たちの足元にある……。ひょっとしたらホヴァラは、「ある」ことによってかえって見えなくなるようなものを隠しているのかもしれない。この丸い世界を、もういちど見つめるために──。

奈倉 有里

1982年生。ロシア文学研究者。著書に『夕暮れに夜明けの歌を』『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』『ことばの白地図を歩く』『ロシア文学の教室』『文化の脱走兵』『背表紙の学校』、訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。

イラスト 山田 緑
公式HP:http://midoriyamada.net/