《喧嘩と野球に明け暮れ…》「史上最凶」風俗スカウト集団ナチュラル会長“木山”の知られざる経歴《公開指名手配で逮捕》
7月10日に行われる、風俗スカウト集団「ナチュラル」会長の第2回公判。十数年前、歌舞伎町で誕生したナチュラルは、いかにして莫大な収益を生むトクリュウとなったのか。創業者である“木山”こと小畑𥶡昭被告(41)の知られざる経歴を辿ることで、その全貌を暴く。
メンバー1500人の最凶スカウト集団
「争いません」
法廷に立った筋骨隆々の男は肩を怒らせ、淡々とした口調で起訴内容を認めた。5月21日、東京地裁で行われたのは、国内最大規模のスカウト集団「ナチュラル」会長の「木山」こと小畑𥶡昭被告(41)の初公判である。2023年から翌年にかけて、スカウトした女性を性風俗店に斡旋したとして、職業安定法違反(有害業務の紹介)に問われていた。
「木山は六代目山口組系落合金町連合幹部に60万円のみかじめ料を支払ったとして、昨年1月に東京都暴力団排除条例違反の疑いで逮捕状が発付されました。その後、逃亡。今年1月21日、公開手配のポスター10000枚を作成し、公開捜査に切り替えたところ『奄美に似ている人物がいる』という情報提供があったのです」(社会部記者)

手配写真の「木山」こと小畑𥶡昭被告
潜伏先の奄美大島で身柄が確保されたのは、同月26日夜のことだ。その後、職業安定法違反容疑などで再逮捕された。
「広告ナビ」「ホワイト」「スマイル」などと名称を変えながら活動を続ける匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)の代表格であるナチュラル。約1500人のメンバーを擁し、全国の風俗店などから掻き集めたブラックマネーは年約50億円を超える。暴力団とは共存関係で、多額の資金が流れていると見られる。木山が一代で創り上げた組織は、いかにして最凶スカウト集団と化したのか――。
1985年2月、木山は双子の兄として埼玉県入間市に生まれた。出生時の名は小長谷寛昭。父は都内の小学校で教鞭をとり、後に校長を歴任した名物教師だった。教育熱心な家庭に生まれた少年時代の木山は野球に没頭。自宅の庭でバットを振り回し、「長嶋茂雄みたいになりたいんだよね」と周囲に語った。小中学校時代の同級生が明かす。
「小学4年生の秋、兄弟は現役自衛隊員が監督をやっている少年野球チームに入団。僕らの代は入間市で3位に入るくらい強く、アイツらは野球一筋で上手かった。2人とも健康志向で懸垂など筋トレが好きだった」
中学に入ると、喧嘩に明け暮れた。
「僕らが5人くらいで帰ろうとしていたところ、2、30人が『俺たち、格闘技やってんだぜ』と、喧嘩を吹っかけてきた。でも、兄弟は喧嘩が強くて負けなかった。武器を持って喧嘩を仕掛けられても素手で立ち向かっていた。『顔は殴らない』というルールがあって、それを守っていた」(同前)
自らに課した規律を忠実に遵守する。別の同級生は、木山の持つ独特なこだわりを明かす。
「当時、畑で野焼きすることが禁止だったんです。でも、そのルールを守らない地元のおじさんがいて、それを目撃した彼が『おい、やめろよ!』と言って喧嘩腰で乗り込んでいった」
高校時代の担任教師の証言
中学卒業後、武蔵越生高校に進学する。高校時代の担任教師が証言する。
「スポーツ推薦の特待生として入学しました。双子だったから家庭の事情を考慮し、1人分の学費は免除。当時は特に問題を起こすような生徒ではなかった」
だが、高校時代の木山は早々に挫折を味わう。
「レギュラーになる実力はなく、ベンチ入りしたことすらなかった。そして、肩を痛めて投げられなくなってしまった」(野球部員)
木山は「筋トレ」と「トラブル」で己の存在を証明しようとした。
「『負けたくない』と思っていたのか、体を鍛えていた。後輩が揉めていると『やれよ!』とけしかける。活躍している同級生にはオラつかないけど、後輩には当たりが強かった」(同前)
高校卒業後、地元の駿河台大学に進学。野球を続けたが、芽は出なかった。野球部メンバーが振り返る。
「肩くらいまである茶髪のロン毛で、普通の田舎の大学生風でした。2年生になって急に『辞める』と言って、辞めちゃったんです」
その頃、木山は西東京随一の歓楽街、立川という新天地に身を置き始める。06年、21歳の彼は、立川のスカウト集団Lの門を叩いたのだ。
この続きでは、▼Lの元幹部が語る木山の働きぶり、▼ナチュラルを「史上最凶のスカウト集団」と呼ばれるまで発展させた手腕、▼慶應義塾大学、京都大学卒の秀才らも取り込んでいった木山の人心掌握術などのトピックを詳しく報じている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」および7月9日(木)発売の「週刊文春」で読むことができる。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2026年7月16日号)
