「てっきりコロナかと」謎の高熱と吐血が続き、病院で「明日死んでもおかしくない」と“余命1日”宣告…イケメンすぎる税理士(33)を襲った病の正体
税理士という一見お堅い職業に従事しながら、30代で未経験からホストとなり、入店初日で4000万円、初月で8700万円の売上を記録した男性がいる。夜野仁さん(33)だ。「税理士とホスト」という異色のキャリアだけでなく、かつて“余命1日”宣告されたこともあるなど、非常に波乱万丈な人生を振り返ってもらった。
【衝撃】「てっきりコロナかと」夜野さんを襲った病の正体とは?

ホストとしてナンバーワンに輝いたこともある“イケメンすぎる税理士”の夜野仁さん ©石川啓次/文藝春秋
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完全未経験→30歳を超えてホストになった経緯
--税理士とホストの二足の草鞋は、どのような経緯で誕生したのでしょうか。
夜野仁さん(以下、夜野) 大学を中退し、放送大学で学位を取得した後、税理士試験に合格したのが29歳でした。
そこからすぐ公認会計士の知人と事務所を立ち上げた中、最初のお客さんが偶然、六本木にあるバーのチーママ(=小さいママ、店で2番目のポジションの人物)だったんです。開業直後だったので集客も必死で、そこのキャストやオーナーの方から知人を紹介してもらっていくうちに、ナイトワーカーからの相談が増えていったんですね。
ちょうどその頃は、インボイス制度も始まり、税制面が厳しくなる転換期だったので、無申告が多いと言われている夜職からの需要が増えるだろうとも考えていたんです。そこで、ナイトワーカーを顧客層として取り込んでいこうとマーケティングしました。
そうした流れもあり、2024年に国内最大手のホストクラブで働くキャストから税務相談を受けていた際、独立して新店舗を開業したいという相談を受けて。そこで人手が足りないから「キャストとして働いてみないか」と誘いをもらったんですね。「夜の世界を経験したら仕事の解像度も上がるだろう」という建前もありつつ、それとなく興味もあり勤務するようになったんです。
--大学中退後に、放送大学に通い直した経緯も気になります。
夜野 幼少期から遡ると、野球一筋の家庭で育ったので、もともとはプロ野球選手になるのが夢でした。大学も、偏差値や学力というよりも、プロに近づける環境を選びました。当時、地元近くの広島文化学園大学という私大に、三原新二郎さんという名将(広陵高校などの監督として計14回甲子園出場を果たした人物)がいたので、その方のもとで野球を教わろうと入学したんです。
ただ当時は、野球部自体もそこまで強くなくて、これ以上続けても「プロになるのは厳しいな」と悟ったんですね。大学もいわゆる“Fラン”だったので、これ以上在籍しても意味ないと退学を決めました。
--そこから放送大学に通い直すと。
夜野 今後の進退をどうしようか考えていた時に、プロ野球選手の税金事情について興味があったことを思い出したんです。
年俸1億円の選手であれば、税金で3000万〜4000万円を持っていかれる。これはなぜだろうと、素朴な疑問から経費や税金対策について調べていたこともあったんですね。そこから税理士を目指そうと、学位取得も視野に入れて、即時で入れる放送大学に通い始めました。
「明日死んでもおかしくない」“余命1日”を宣告された過去
--税理士の平均年齢は60歳以上と言われているなか、だいぶはやく合格されたのですね。
夜野 税理士試験は、会計学や税法など計5科目に合格する必要があるのですが、1科目目に合格したのは、ある病気で入院していた時期でした。その時はコロナ禍で、放送大学の講義もオンラインで受けられたので、割と勉強できる環境に恵まれたのかもしれません。調子が良い時は1日15時間ほど勉強している時もありましたね。
--少し脱線しますが、どんな病気だったのでしょう?
夜野 2020年春、連日40度の高熱が続いて。吐血もひどく、てっきりコロナに罹患したと思い込んでいたんです。こんなにしんどいものなのかと。
それで1週間ほど経った頃に、レムデシビルというコロナの治療薬が出回り始めたので、いち早く導入していた市民病院に駆け込んだら、医者から「タクシー代はこちらで出すので、今すぐ大きい病院に移ってください」と言われまして。血液検査の結果、血小板がほぼゼロの値だったそうで、コロナではなく「急性骨髄性白血病」であることが判明しました。
そこから紹介先の病院に着くと、そのまま集中治療室に入れられました。側にいた看護師から「生き延びられる可能性は3割程度で、明日死んでもおかしくない」と“余命1日”みたいなことを告げられ……両親も病院に駆けつけるほど生死を彷徨う状態だったそうです。
--かなり危険な状態だったんですね……。
夜野 幸いなことに治療は順調に進み、運ばれてから3ヶ月後ぐらいには落ち着いてきました。その間に、放送大学の講義をオンライン受講しながら、税理士試験の勉強を始めた話につながってきます。
--それで退院後に、税理士になり、その傍らホストとしても勤務すると。
夜野 そうですね。税理士事務所で働きつつ、ちょうど放送大学を卒業する頃に、税理士試験に合格したんです。それで29歳で公認会計士の知人と事務所を立ち上げ、ナイトワーカーの相談を受けるうちに、ホストに誘われたという流れですね。
「シャンパンコールで何をしていいかわからない」それでも初日から売上4000万円
--とはいえ、30歳を超えてホストデビューは、抵抗もあったのではないでしょうか。
夜野 ホストに勧誘してくれたのが、桜木ハルさんという、年間1億円をコンスタントに売り上げ続ける方だったんですね。この方が、今までの人生で会った中で一番と言えるくらいにかっこよくて。「こんな人がいるなんて、どんな世界だろう」と気になったんです。
あとは幼少期から野球を続けてきたので、負けず嫌いなところも影響しましたね。僕が「月に1000万ぐらい売れるように頑張ります」っていったら、桜木さんが「じゃあ俺はその2倍売るんで」と返されて。そこでホストって怖いなと思いつつも、この人に勝ちたいなと火が着いたのかもしれません(笑)。
--実際に、デビューした日はどうだったんでしょうか。
夜野 ホストに誘われてから、実際に店舗で働くまで、4ヶ月ほど期間があったんですよね。その間に、本業(税理士)で付き合いのあるお客さんに、「最初だけでもいいから、お店に来てください」って営業をかけたんです。
そしたら取引先の社長さんなどが門出を祝ってくれました。いわゆる協賛に近い形で、30人近いお客さんにカンパしていただいて、合計4000万円を売り上げることができたんです。
ただ正直、初日だったんで、内心右も左も分からない状況でした。接客の流れすら覚えていないのに、お客さんは30人近く来るし、シャンパンコールが始まっても何をしていいのか分からない……みたいな(笑)。
--初日でいきなり4000万円!
夜野 僕の場合、本業で付き合いのある人が多かったので、お客さんはお金を持っている男性の方が多かったですね。結局、入店した初月は、売上8700万円でナンバーワンになれました。
なぜそんなに売れたのかと聞かれるのですが、大学生の頃まで野球少年だったので、もともとストイックな節があったんだと思います。小学生から毎日素振りは欠かさなかったですし、毎日筋トレしてベンチプレスで150キロまで上げていた時期もありました。それこそホストになる準備期間では、20キロぐらい体重を絞りましたね。
個人的に、毎日コツコツ続けるのが性に合うというか、何かが衰えていくのが嫌なんです。そういう意味では、かつて野球選手になるための練習も、税理士やホストとして地道に営業を行うのも、僕にとって近い感覚なのかもしれません。
なぜ、数億円も稼ぎながら引退してしまったのか?
続く記事では年間で数億円を稼ぐようになり、ナンバーワンホストの座に輝いたものの、一転引退を決意した背景にあった「ホスト業界の闇」や裏側を聞いています。合わせてぜひお読みください。
〈丸刈りの野球少年→イケメンすぎる税理士として“ナンバーワンホスト”に→引退……年間3億を売り上げた男性(33)が明かすホスト業界の“暗部”〉へ続く
(佐藤 隼秀)
