「八百長してるんやないか?」…快進撃!ヤクルト池山監督「ノムさんが見抜いた」プレーとのギャップ
「池山よ、タレントはいらん」
1990年、ヤクルトの野村克也監督が発した一言は、当時24歳だった池山隆寛の胸に深く刻まれた。強打者やエース級の投手を揃えるだけでは勝てはしないという意味だ。あれから36年。60歳で初めて一軍監督のユニホームを着た男が、いま神宮球場で歴史を塗り替えようとしている。
「いいところまでいって落としたけど、明日切り替えて戦いたい」
5月26日、交流戦初戦を延長11回の末に落としたヤクルトの池山隆寛監督(60)は、ベンチ裏でいつもの笑顔を見せた。だが、その目には悔しさが滲んでいた――。
「ちゃんと寝たか?」
開幕前、スポーツ紙の評論家78人のうち69人が最下位を予想したヤクルトスワローズ。しかし5月4日には1997年以来29年ぶりの両リーグ最速20勝を達成したのだ。
ところが交流戦では一転して苦戦。5月28日、0対8の完封負けを喫した試合後、池山は「パ・リーグの球威は違うね。でも、元気にいこうぜ」と選手たちに声をかけた。
「池山監督は太陽みたいな人なんです」
ある球団関係者はこう話す。二軍監督を6年間務めた池山は、選手たちから絶大な信頼を集めていた。
「ウォーミングアップ中に自分のことを呼ぶファンがいると、練習中でも必ず手を振る。選手の体調を気にかけ、『昨日はちゃんと寝たか?』と声をかける。AB型特有の繊細さと大胆さを併せ持っているんです」(スポーツ紙記者)
現役時代、「ブンブン丸」の愛称で親しまれた池山のバッティングは豪快そのもの。三振を恐れぬフルスイングで通算304本塁打を記録したが、同時に三振も多かった。野村克也監督から「池山は八百長してるんやないか?」と冗談交じりに言われるほど、好不調の波が激しかったのだ。
だが、野村監督は池山の「性格の良さ」を見抜いていた。
「こいつは違う。自分を変えようとしている」
野村監督の言葉どおり、池山は人の話をしっかり聞き、素直に学ぶ姿勢を貫いた。
「池山さんは豪快なプレーと几帳面な性格のギャップが魅力的」
そう話すのは、現役時代から池山を取材していたスポーツライターだ。
「趣味は絵画鑑賞と絵画収集、そして将棋。現役時代、遠征先では美術館を訪れ、オフには家族と銀座の行きつけのレストランで食事をするのが好きでした」(同前)
監督になってからも、几帳面さは健在だ。試合前のミーティングでは、データを細かくチェック。選手一人ひとりの疲労度を把握し、無理をさせない。
「データを重視しながらも選手の気持ちを何より大切にするんです。年の離れた若手にも気を配り、常に先を読んで接している」(スポーツ紙記者)
2002年、現役引退。楽天で4年間一軍打撃コーチを務め、野村監督のもとでデータ分析を叩き込まれた。2011年にヤクルトへ復帰したが、一軍コーチから二軍野手総合コーチへ異動。2020年から二軍監督を6年間務めたが、その間に真中満、高津臣吾が先に一軍監督となった。
「見ていてください」
「『なぜ俺じゃないんだ』。そういう思いは少なからずあったと思います。でも、弱音は吐かなかった。『若手を育てるのが自分の役目だ』と言い聞かせ、選手には笑顔で接していました」(前出・スポーツライター)
今年2月11日、野村監督の七回忌。池山は墓前で手を合わせ、「監督になります。見ていてください」と誓った。
「池山監督が貫くのは、弱者の戦略です。1、2番に主力打者を配置し、投手を8番に置いて下位から上位へとつなぐ打線構成は、データに裏打ちされている。ノムさん譲りの弱者の兵法が令和に蘇った、というプロ野球OBの声も多い」(同前)
3月27日の開幕戦でヤクルトはDeNAに勝利。池山は満面の笑みで語った。
「しびれるね。みんなのおかげだよ」
試合中も、池山はベンチで笑顔を見せ続ける。
「監督は『選手が萎縮したら終わりだ』と言っています。だから、どんな場面でも笑顔を見せる。でも、試合後は一人で反省しているんです」(球団関係者)
交流戦3試合を終えた5月28日夜。池山は神宮のベンチで、一人グラウンドを見つめていた。その表情には、悔しさと、それでもなお前を向く強さがあった。
36年前、ノムさんから「タレントはいらん」と言われた男は、決して戦力に恵まれているとはいえないヤクルトで新たな歴史を刻もうとしている。還暦の新人監督が見せる「笑顔の裏の覚悟」。それこそが、チーム快進撃の原動力だ。
