水木しげる作品が描く「最も危険で、最もクリエイティブな」境界線――釈徹宗さんと読む『のんのんばあ』【別冊NHK100分de名著】

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『別冊NHK100分de名著 「わが道」の達人 水木しげる』では、釈徹宗さん、中条省平さん、ヤマザキマリさん、佐野史郎さんの4人の論者が、水木しげる作品の核心に迫ります。

今回は宗教学者の釈徹宗さんが『のんのんばあ』『のんのんばあとオレ』を読み解く本書第1章「見えないものへと心を延ばす」より、水木作品の「境界線」についての解説をご紹介。

※2026年1月~3月にNHK出版ECサイトで開催の「2時間で学べるシリーズ」キャンペーンを記念して、本記事を再公開いたします。

おばあちゃんの妖怪退治活劇「のんのんばあ」

 漫画『のんのんばあ』では、おばあちゃんが妖怪退治に大活躍します。

 「黒姫山の主の巻」では、山から聞こえてくる不思議な笛の音色に誘われるように山へ入っていこうとする子どもたちを、大人は黒姫様が舞う日だから、決して山へ行ってはならないと𠮟ります。昔から山には忌日があり、その日は山に入ってはいけないことになっていると教えるのです。

 忌日というのは、いわばその地域限定のルールです。けれどもそこに東京から来た女の子が登場し、やがて大変な事態へと発展するのですが、その騒動を収めるのが「のんのんばあ」でした。実はその女の子は魔女の娘という設定なのですが、何か異物がやってきてコミュニティの秩序を壊すという、非常に興味深い図式が隠された物語になっています。

 それまでの水木作品で悪い妖怪を退治するのは、鬼太郎や悪魔くんといった特殊な力をもった少年でした。それが今度はおばあちゃんです。おそらく水木さん自身、鬼太郎とはまったく違う主人公像をつくり出そうと意識されたのだと想像します。

 また古代文明や超古代史、ストーンサークルや宇宙船など、一九七〇年代から八〇年代に流行したニューエイジ色の強いモティーフが出てくるのも鬼太郎などとは大きく異なるところでしょう。『のんのんばあ』では、当時の時代の風潮に加え、人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという八百比丘尼、木喰の仏様、さらには落語の「野ざらし(上方落語では『骨釣り』)」など、日本土俗のスピリチュアルなテーマを取り入れた物語が縦横無尽に紡がれていきます。同じ怪異や妖怪を扱った鬼太郎とは対極にあるような設定を狙ったことは明らかです。

忌日について語る「のんのんばあ」(『のんのんばあ』)

クリエイティブかつデンジャラスな境界線上

 水木さんが描く作品からは、どれも作者が「境界」というものに対して非常に高い関心を寄せていたことがよくわかります。見える世界と見えない世界、生と死、日常と非日常、エロスとタナトス──。水木さんは子どもの頃から、お墓などをうろつく少年だったようです。たしかに墓地も生と死の境界線上のようなエリアですし、考えてみれば鬼太郎やねずみ男も境界を行き来するキャラクターです。前述の土俗の宗教性豊かな物語のなかにニューエイジ色をするりと混ぜ込んでくるように、ものすごく不思議な話を描いているようで、同時にとても俗っぽい要素を入れてきたりもする。こうした境界線上は、もっともクリエイティブなものを生み出す場であり、そしてもっともデンジャラスゾーンでもあるのです。

 古来人類は、境界をとても警戒してきました。境界に近づくには特殊な技術に加えて、相当な覚悟も必要です。たとえば、夕方の薄暗くなる時刻を「逢魔が時」と呼びます。昼と夜との境界であるこの時刻になると魔物に出会うと、人々は恐れてきました。境界には、不可解なものや、我々がとても相手にできないようなものが潜むと考えられてきたのです。コミュニティとコミュニティの境界に、道祖神や地蔵、塞の神を祀っているのも、危険なところであることを示すためです。

 けれども水木さんは、境界に関心をもつと同時にその境界の近くにこそ弱者はいるという、独自の感覚をもっていたように思います。強者という存在は、堂々と王道を歩いているから境界には鈍感になりがちです。一方で、たとえば困窮者や病を抱えている方、マイノリティの方など、弱者とされるひとたち、境界に繊細に接することができる。彼らは境界の危うさを知っているし、境界のクリエイティビティにも敏感に反応できるのでしょう。境界はものすごく豊かで面白い世界である一方で、軽々しく触ってはいけない場所であるということ。これを水木さんは、「のんのんばあ」が語ってくれる話から受け取り、自身の感性として幼い頃から磨いていったのだと思います。

 そして茂少年における、「のんのんばあ」の存在こそが、我々にとっては水木作品なのではないかと思うのです。水木さんが残した作品から我々は、境界や異界との付き合い方を学んでいけるのではないでしょうか。

『別冊NHK100分de名著 「わが道」の達人 水木しげる』では、釈徹宗さん、中条省平さん、ヤマザキマリさん、佐野史郎さんの4人の論者が、

第1章 見えないものへと心を延ばす 釈 徹宗
    ──『のんのんばあ』『のんのんばあとオレ』

第2章 墓場のニヒリズム 中条省平
    ──『墓場鬼太郎』『ゲゲゲの鬼太郎』

第3章 「教訓」を超えた人間の本質を描く ヤマザキマリ
    ──『ラバウル戦記』『総員玉砕せよ!』

第4章 「自分の物語」を生きる 佐野史郎
    ──『悪魔くん』『河童の三平』


という構成で、水木しげる作品の核心に迫ります。

著者

釈 徹宗
相愛大学学長・人文学部教授、如来寺住職。専門は宗教思想・宗教文化。NPO法人リライフ代表も務める。『落語に花咲く仏教─宗教と芸能は共振する』(朝日選書)、『歎異抄─仏にわが身をゆだねよ』『維摩経─空と慈悲の物語』(ともにNHK出版「100分de名著」ブックス)、『お経で読む仏教』(NHK出版学びのきほん)など著書多数。
※刊行時の情報です

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※本書は、2022年8月27日にNHK Eテレで放送された「100分de水木しげる」の内容をもとに、新規図版・取材などを加えて構成したものです。本書における水木しげる作品の図像は、水木しげるの著作権および版権を管理する水木プロダクションの許諾・協力のもと掲載しています。