低賃金かつ不安定な雇用形態で働く非正規社員をどうするかは、日本の長年の課題だ。リクルートワークス研究所研究員の坂本貴志さんは「この10年の傾向を見ていると、自分の意思に反して非正規雇用で働く人の数が急減する一方、女性や高齢者など自らの意思で短い労働時間で働きたい人が増えている」という――。

※本稿は、坂本貴志『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Sean Pavone
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sean Pavone

■「正規が無理だから非正規」は過去の話

過去、社会を大きく揺るがした非正規雇用問題。1990年代後半から2000年代にかけて、自らの意思に反して非正規雇用という働き方を余儀なくされた労働者が多数発生した。

しかし、現代の状況は過去とは打って変わっている。非正規雇用という働き方は、もはや正規の職がないから選ぶ仕事ではなくなっているのである。

就業形態別の就業者数の推移を確認してみよう(図表1)。正規雇用者数は1997年の3812万人でピークをつけたあとに減少が続き、正規雇用者数が最も少なかった2014年には3288万人まで減った。しかし、その後は増加に転じ、足元の2023年は3609万人まで増えている。

出所=『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』

非正規雇用者は過去からずっと右肩上がりで増加してきたが、近年ではやや減少傾向に転じている。非正規雇用者数は2019年に2173万人で過去最高を記録、その後2023年は2112万人と若干減っている。結果として、非正規雇用者比率は2019年の38.2%から2023年には36.9%に低下している。

自営業者も含め、過去から現在に至るまでの就業形態の構成を概観してみると、1990年代後半以降は、自営業者と正規雇用者が減少し、その代わりに非正規雇用者が増える形で就業者数が保たれるという構図がずっと続いてきた。

■変化が起きたのは2010年代半ば

しかし、2010年代半ば以降、傾向は明らかに変わっている。自営業者の減少傾向は変わらないものの、非正規雇用よりも正規雇用者の増加傾向が強くなっているのである。

2010年代半ば以降は企業における雇用者の構成比率が変わりつつあるのと同時に、雇用の中身も変わってきている。

総務省「労働力調査」では、非正規雇用者に対して、非正規雇用についた理由を尋ねている。図表2は理由別の非正規雇用者の推移を表したものであるが、その構成比率はこの10年間で大きく変わってきている。

出所=『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』

■自ら非正規を選んでいるなら問題はない

「正規の職員・従業員の仕事がないから」非正規雇用の仕事についたという人の比率は調査開始時の2013年の17.9%から2023年には9.2%へと減少している。自分の意思に反して非正規雇用で働く者の数は大きく減少しているのである。

非正規雇用という働き方は、分類上同一の非正規雇用であっても、その内実は多様である。現代においては、女性や高齢者を中心に正社員としてフルタイムで働くよりも、短時間の仕事で働きたいと考える人は多い。

家計上それでも問題がないのであれば、非正規雇用という働き方を積極的に選ぶというのは家計の合理的な選択である。一方、本来は正社員として働きたいのに、働き口がないから非正規にやむを得ずつかざるを得ないという人が増えることは問題である。

こうした観点で現在の非正規雇用者の労働市場を概観すれば、不本意非正規が急速に減少しつつ、それと同時に女性や高齢者など自らの意思で短い労働時間で働きたい人が増えているという状況が近年の潮流であることは明らかだ。

■非正規・パートの時給は右肩上がり

過去、日本の労働市場は労働力の買い手に有利な環境が長く続いてきたことから、企業は賃金単価の低い非正規雇用者を大量に活用する戦略を取ってきた。そして、その結果として労働力の売り手である労働者の一定数は、不本意にも非正規雇用として働かざるを得ない状況に追い込まれた。

こうした過去から振り返ると、足元の労働市場の環境は明らかに変化していることがわかるのである。

非正規雇用者の処遇改善も進んでいる。雇用形態別に賃金の推移を調べてみると、正規雇用者よりも非正規雇用者の方が賃金上昇のスピードが速い。図表3では厚生労働省「賃金構造基本統計調査」などから、一般労働者でかつ正規雇用者、一般労働者でかつ非正規雇用者、短時間労働者の賃金を比べている。

出所=『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』

この区分はそれぞれ、概ねフルタイムの正社員、概ねフルタイムの契約社員派遣社員、パート労働者に対応している。

■「大企業ばかりが賃上げしている」の誤解

このデータをみると、名目時給が最も上昇しているのはパート労働者である。2013年の1067円から2023年には1318円まで上昇している(10年間の増加率:23.6%)。

次に賃金が上昇しているのは一般労働者でかつ非正規雇用者になる。2013年の1316円から2023年には1539円に増えた(同:16.9%)。

そして、最も賃金が上がっていないのが正規雇用者である。正規雇用者は2013年の2370円から2023年に2537円までしか上がっていない(同:7.0%)。

昨今の春闘においては、大企業の正規雇用者や都市部の労働者が賃金上昇の恩恵を受けていると言われているが、もう少し長期的な目線でデータを丁寧にみていくと、むしろ逆の傾向が見て取れるのである。

非正規雇用者から先に賃金が上がっているのはなぜだろうか。それは非正規雇用の領域ほど労働市場の需給が賃金にダイレクトに影響を及ぼすからである。

■自社都合で働かせる企業は見向きもされない

日本の労働市場においては、正規雇用者、契約社員派遣社員、パート・アルバイトの労働者でそれぞれマーケットの特性は大きく異なっている。そして、正規雇用者よりも契約社員派遣社員の方が、また契約社員派遣社員よりもパート労働者の方が労働市場の需給に対して感応度が高い市場となっている。

つまり、労働市場の需給が緩んだときに真っ先に雇用を調整されるのが非正規雇用者であるのと同時に、労働市場の需給がひっ迫したときに先行して賃金が上がるのが非正規雇用者なのである。

労働市場の需給が緩ければ、企業は労働市場から安い労働力を大量に確保することができる。一方、需給がひっ迫した状態にあれば、労働者としてはほかにも求人がいくらでもあるわけだから、企業の都合で働かせるような求人には見向きもせず、より条件の良い求人に応募することになる。こうした労働市場のメカニズムの中で賃金は定まることになる。

非正規雇用者と正規雇用者の賃金格差は、企業側の従業員の雇用形態の選択にも影響を及ぼす。正規雇用者の賃金上昇や社会保険の適用拡大によって、正規・非正規間の格差が小さくなれば、非正規雇用者の人件費が高騰することになり、企業としては従業員を非正規雇用の形態で雇うメリットが少なくなる。

そうなれば非正規雇用の従業員を正規転換するなどして、企業としても戦略的に正社員を増やしにいくことになるはずだ。

■若者たちから雇用の改善が進んでいる

ここまで雇用形態の切り口で労働市場の状況を振り返ってきた。最後に、年齢を切り口に分析を行ってみよう。

非正規雇用者の比率を年齢階層別にみると、その比率が最も顕著に低下しているのは若年層である(図表4)。

出所=『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』

25〜34歳の階層をみると、やはり2000年代に一貫して上昇基調にあった非正規雇用者比率は2014年に28.0%でピークをうち、そのあとは年々その比率を低下させている。直近の2023年時点では22.5%まで下がっている。

この水準を過去にさかのぼれば2003年以来の水準となり、非正規雇用問題が社会的に大きくクローズアップされた当時の段階まで低下してきていることがわかる。雇用の質は若年層から改善が進んでいるのである。

■初任給もじわじわ増え、2024年は急上昇

これは賃金に関しても同様である。先述のように正規雇用者の賃金上昇は全体として鈍い状況ではあるものの、若年層はほかの年齢層に先行して上昇している様子がうかがえる。

図表5は学卒者の初任給の推移を取ったものである。

出所=『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』

2005年に月額19.1万円だった学卒者の初任給は2010年代半ばまで20万円に満たない水準で推移していた。しかし、2013年の19.4万円を底に上昇基調に転じ、2023年には21.1万円まで上昇している。

初任給の引き上げ率をみても2024年には86.8%と急上昇している。足元では若年層に対する賃上げ競争の動きが活発化しているのである。若年層の労働時間が急速に減少していることも踏まえれば、若い労働者の待遇改善は近年大きく進んでいると評価することができる。

■雇用における主導権が企業から労働者へ

バブル崩壊以降、若年労働者の雇用はその時々の市場の需給環境に振り回されてきた。労働市場の需給が緩んだ時代においては、企業は新規採用を厳しく抑制し、結果として非正規雇用として働くことを余儀なくされた若者たちも存在していた。

非正規雇用という社会問題がこれまでの政治や経済に与えた影響は大きかった。しかし、改めてこうした現象がなぜ生じたのかを考えれば、政府の規制のあり方に責任の一端があるという意見もあるだろうが、より本質的には労働市場の需給が緩かったからだと考えることができる。

過去、労働市場に余剰人員が多数存在する中で、企業としては労働力をいくらでも確保できる状況が生じていた。企業の力が求職者の力よりも強ければ、求職者としては企業側に有利な条件での雇用契約を吞まざるを得ない。

しかし、そうした時代とは打って変わって、改めて現在の局面に目を移してみると、失業率は低位で安定しており、選ばなければ職はいくらでもある時代になっている。

これまで企業は自社の利益最大化を目的として、コストが安い非正規雇用に活路を見出してきたが、労働市場の需給がひっ迫してきたいま、安い賃金で十分な質・量の労働力を確保することは難しくなっている。

■「変われない企業」は淘汰されていく

労働市場の環境変化に応じて、企業側も行動を変え始めている。人手不足がさらに深刻化する将来に向けて、長期的な就労を見込める若い人たちを中心にフルタイムで働く意思のある人は正規雇用で優先的に確保してしまおうと企業側も戦略を変えているのである。

坂本貴志『ほんとうの日本経済 データが示す「これから起こること」』(講談社現代新書)

こうした労働市場の構造変化は、非正規雇用比率の平均値だけをみていては見誤る。高齢労働者などが増える中で全体としては短い時間で働く人が増加しやすい環境にあるなかで、丁寧にみていけば非正規雇用のあり方は大きく変わってきていることがわかる。

今後を展望すれば、高齢者人口の高まりから非正規比率はある程度高い水準で推移するだろうが、雇用の質は今後も着実に改善していくとみられる。労働市場の潮流は確実に変化しているのである。

労働市場の基調の変化に合わせて機動的に戦略を変えることができない企業は、必要な人員の採用や従業員の定着において他企業に劣後することで、事業継続がままならなくなっていくだろう。

----------
坂本 貴志(さかもと・たかし)
リクルートワークス研究所研究員/アナリスト
1985年生まれ。一橋大学国際公共政策大学院公共経済専攻修了。厚生労働省にて社会保障制度の企画立案業務などに従事した後、内閣府で官庁エコノミストとして「経済財政白書」の執筆などを担当。その後三菱総合研究所エコノミストを経て、現職。著書に『統計で考える働き方の未来 高齢者が働き続ける国へ』(ちくま新書)、『ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う』(講談社現代新書)、『「働き手不足1100万人」の衝撃』(プレジデント社)など。
----------

(リクルートワークス研究所研究員/アナリスト 坂本 貴志)