女学生「意識が戻ると、独房の床に倒れていました」…イラン刑務所の劣悪すぎる環境で囚人が次々と気絶

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イランでは「好きなことを言って、好きな服を着たい!」と言うだけで思想犯・政治犯として逮捕され、脅迫、鞭打ち、性的虐待、自由を奪う過酷な拷問が浴びせられる。2023年にイランの獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディがその実態を赤裸々に告発した。

上司の反対を押し切って担当編集者が日本での刊行を目指したのは、自由への闘いを「他人事」にしないため。ジェンダーギャップ指数が先進国最下位、宗教にも疎い日本人だからこそ、世界はつながっていて、いまなお闘っている人がいることを実感してほしい。

世界16カ国で緊急出版が予定されている話題作『白い拷問』の日本語版刊行にあたって、内容を一部抜粋、紹介する。

『白い拷問』連載第56回

『看守や尋問官の「気まぐれ」では決してない…巧妙な「計算」のもとで囚人の「心理」を完全に操るイラン刑務所の意外な“実態”』より続く

立ち上がった瞬間意識を失う

語り手:マルジエ・アミリ

マルジエ・アミリ・ガファロキはジャーナリスト、学生活動家、政治犯、女性の権利運動家、そして新聞「シャルク」の経済記者でもある。彼女は2019年、テヘランのアルグ・エリアで逮捕された。メーデーの大会参加者が逮捕後にどのような待遇を受けているのか、調べている最中の出来事だった。彼女はそれ以前の2018年3月8日にも、国際女性デーを祝う集会に参加したときに、他の十数人とともに逮捕されたことがある。

マルジエはイスラム革命裁判所で10年半の禁固刑と、鞭打ち148回を科されたが刑法134条により、禁固刑は最低6年になった。

マルジエは保釈を申請し、2019年10月26日にエヴィーン刑務所より仮釈放され、現在は仮釈放中である。

--体調を崩したとき、治療を受けることはできましたか?

サローラ・キャンプでは比較的、大丈夫でしたが、よく血圧が低くなりました。基本的にずっと低かったです。目隠しをされて、血圧を計測されたことが2回ありましたが、あんなおざなりの検査に意味はありません。そのあと間もなく209棟に移されました。移送には非常に緊張を強いられました。尋問は長く、そして独房拘禁で私は心身ともに傷ついていきました。

私にはてんかんがあり、もちろんその症状を心配していました。尋問官に何度も説明し、紙にも書きましたが、まるで知らん顔でした。ある日、独房にひとりでいるとき、立ち上がった瞬間に意識を失いました。発作が起きたのです。床に倒れました。意識が戻ると、まだそのまま独房の床に倒れていました。体が激しく震えていたので、両腕で脚を押さえました。発作が少し治まって、立ち上がれるようになるまで、そのままの姿勢で待ちました。それから看守を呼び、何があったのか説明しました。刑務所のお偉方が病院に連れて行ってくれるだろう、と言われました。

ずいぶん時間が経ってから、医師の診察を受けることができました。私の心拍数はとても高く、血圧はとても低いという状態でした。医師はインデラル(心拍数を抑える薬)を処方し、私を独房に帰しました。私は逮捕のずっと前にてんかんの発作を起こしたことがありましたが、発作の間隔は長かったです。最後に起きたのは3年前でした。刑務所の外で動悸が激しくなったことは一度もありません。自由の身でいるときは、消化器官に問題を抱えたこともなければ、胃腸の薬を飲んだこともありませんでした。それなのに、刑務所で胃潰瘍になってしまったのです。病院に連れて行かれたとき、医師に、この症状は刑務所の環境のせいだと言われました。

自分を救うために

--家族との面会や電話は許されていましたか?

最初の数週間は家族と会うことを許可されませんでしたが、尋問の最後の2週間、家族と2回会うことができました。週に1回の電話も許されていました。より正確には、尋問のあとにだけ、電話をかけられました。

最初の頃は尋問官がすぐ近くに立って見下ろしているので、家族と話している間もずっと居心地が悪かったのですが、あるときから尋問官を無視しようと決めました。それ以降は電話が楽しくなりました。怒られ、説明しろと迫られるより、私の体調を気遣い、心配してくれる声を聞くほうが良いに決まっています。

尋問室から解放されると、自分は彼らに責められるような人間ではない、彼らにそうなれ、と言われている人間でもない、と希望を感じることができました。尋問の雰囲気と独房の孤独感は、私をすべての物事から遠ざけるように設計されています。尋問官は私に罪悪感を抱かせたいのです。

おかげで私は自分の考え方がいけないのかと己を責めました。彼らは私を別の誰かに変えようとしています。彼らと話していると、自分はまがいものの世界に生きているという錯覚に陥ります。押しつけられる考えを打ち消すのは、苦しみの連続です。しかしそれだけが私を救う手立てでした。

翻訳:星薫子

『イランで「禁固刑10年」を受けた女性活動家が明かす、独房生活で「最もつらかった瞬間」』へ続く

イランで「禁固刑10年」を受けた女性活動家が明かす、独房生活で「最もつらかった瞬間」