じつは「成功する人」「出世する人」が学んでいる、軍事の天才「ナポレオン」の”ヤバすぎる奇襲術”をすべて明かす…!

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軍事の天才、ナポレオンは今も人々を魅了し続ける。昨年にはリドリー・スコット監督がその生涯を映画化し、今夏のパリ五輪ではアンヴァリッド(廃兵院)にあるその墓が観光名所になり、今秋にも欧州を席巻した戦略・戦術の本質を研究する浩瀚な書籍刊行も相次ぐ。

とりわけナポレオンが指揮した戦争や軍隊に関する本は今も、経営やリーダーシップの参考にしようというビジネスマンたちの不動の人気ジャンルだ。ビジネスで成功したり、会社で出世している人ほどナポレオンから学んでいる人が多いというのも知る人ぞ知る"真実"だろう。

そんなナポレオンの“根幹”を学べるとして注目される一冊として、『どんな会社でも「出世する人たち」の“意外な共通点”があった…なぜか「軍事の天才・ナポレオン」から学ぶワケ!』で紹介した松村劭氏の『ナポレオンの戦争 歴史を変えた「軍事の天才」の戦い』(光人社NF文庫)に続き、今回は元・陸将補の木元寛明氏の『ナポレオンの軍隊 近代戦術の視点からさぐるその精強さの秘密』(光人社NF文庫)を紹介したい。

折しも、1813年10月16日〜19日には、ナポレオンによる欧州支配からの解放を目的としたライプティヒの戦い(諸国民の戦い)が行われ、敗れたナポレオンの失脚が不可避となった。欧州各国にさまざまな点で奇襲をかけた「ナポレオンの戦争」の神髄とは何か。「令和のビジネスマン」が学ぶべきポイントを一部抜粋・再構成してお届けする。

ナポレオンの軍隊の精強さは「奇襲」に収斂

ナポレオンが欧州最強の大陸軍(グランド・アルメ)を創設し、欧州全域に覇をとなえたのはわずか10年あまりだ。全欧州が席巻されたのは、大陸軍の組織、戦い方がこれまでの軍事常識と大きくかけはなれており、欧州各国の将帥は完全に奇襲されてナポレオンの軍隊に対抗できなかったからだ。

ナポレオンの軍隊が精強であったのは、突き詰めて言えば、"奇襲”に収斂する。各国の君主や将帥からみると、フランス革命とナポレオンの軍事革命そのものが奇襲であり、対応のいとますらなかった。君主の私兵(傭兵制度)に対する国民軍(徴兵制度)の誕生は、態勢の優劣を争う陣地戦から敵の撃滅をめざす殲滅戦へと戦い方が根本的に変化した。

残雪のアルプス越えという「場所的奇襲」

1796年のガルダ湖畔の戦闘で起きた各個撃破は「戦法的奇襲」であり、これを可能にした迅速かつ大胆な機動、決勝点への徹底した戦闘力の集中も、敵将の意表を突いたものだった。1800年の第二次イタリア戦役で、ナポレオンは4万2000の軍団を直卒して残雪のアルプスを越えたが、これは「場所的奇襲」であった。

フランス軍の編成は、デヴィジョン(師団・軍団)となり、スタッフ(参謀の原初的形態)の創設とあいまって、師団や軍団が独立的に行動できるようになり、作戦地域が著しく拡大した。これなども軍隊の「組織的奇襲」である。このほかテレグラフ信号通信を活用した「時空的奇襲」も奏功した。

パルチザンの泥沼、創造的破壊の限界

1796年の第一次イタリア戦役から1806年のイエナ会戦ころまでのおよそ10年間は、まさにナポレオンの「ひとり舞台」だった。しかし、各国もナポレオンの戦法を徹底的に研究し、やがてこれを打破する方法、手段を開発する。奇襲するものは、また敵から同様に奇襲される。

1808〜09年、ナポレオンは自ら軍隊を指揮してスペインに侵攻し、マドリードを占領し、イギリス軍を大陸から追い出した。しかし、スペインは地形が複雑で殲滅戦は起こらず、スペイン全土でパルチザンが蜂起してゲリラ戦となった。ナポレオンにとってゲリラ戦は戦法的奇襲だった。スペイン国内に20万人あまりのフランス軍がくぎ付けになる中で行われたロシア遠征でも、消耗戦と冬将軍とゲリラ戦に手を焼いた。創造的破壊でヨーロッパを席巻した軍事的天才も、みずからの頭脳は破壊できなかった。

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