「ぼろぼろになって一人で死んだ」…昭和の伝説的ストリッパー「一条さゆり」の残酷すぎる「人生の幕切れ」

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第127回

芸人《一条さゆり》としては最高の死にざま…“女性としての生き方”を捨て舞台に立ち続けた伝説のストリッパーの「一生」』より続く

「一条さゆり」と「池田和子」

加藤重三郎から、「一条さんが死んだ」と電話連絡を受けた吉田源笠(ゲン)は、すぐに自分の高級車で西成へ向かった。しかし、釜ケ崎解放会館の手前で引き返している。

「自分が行くとあいつがみじめなんじゃないかなと思いましてね。あんな死に方したんですから。会わないでいてあげるのも、あいつのためかなと」

ゲンや加藤が付き合ったのは芸人一条さゆりではない。彼らにとっては、あくまで池田和子である。店の客に囲まれていた1人の女性の亡くなり方を考えると、みじめに思えるのだろう。

「一条さゆり」と「池田和子」。どちらからながめるかによって、彼女の死はすっかり違った様相を映す。中田カウスの感想でも、それは明らかだ。

中田カウスの思ったこと

彼女の死を新聞で知った彼は、芸人として悔しく思った。

「最後を飾ったと思いました。一条さんが『普通の家庭におさまって、孫に恵まれて大往生しました』。これはやっぱり反則です。ぼろぼろになって一人で死んだ。だからすごいねん。『つらい経験もしたけど最後は家族に会えてハッピーでした』では、ドラマにならへん。ぼろぼろになって死んでいく。彼女の花道やと思いました」

カウスは藤山寛美、横山やすし、勝新太郎の名を挙げた。そして、彼らが孫を抱いて幸せそうな顔を見せては、その時点で芸人でなくなると言う。

「芸人の幕の下ろし方としては、一条さんの死にざまは最高やったんとちゃいますか。僕は芸人です。笑わすか、身体を見せるかの違いはあるかもしれんけど、お客さんを魅了することにかけては、互いに譲らない。それほど一生懸命やってきた。だからわかるんです。最後をどう仕舞うか。これが一番難しい。売れれば売れるほど、最後は悲惨なほうがいいんです。マイケル・ジャクソンを見てください。最後がドラマチックやから、今でもみんなが話します。一条さんも、ようあんな死に方したなと感心しますわ」

「伝説的」な死にざま

確かに、マイケル・ジャクソンに限らず、芸能者はその晩年の生き方や亡くなり方によって伝説となる。自動車事故の後、モルヒネ中毒に苦しんだフランスの大シャンソン歌手、エディット・ピアフ、36歳で謎の死を遂げたマリリン・モンロー、射殺されたジョン・レノン。

外国の大スターの例を出すまでもなく、一条と並ぶ伝説のストリッパー、ジプシー・ローズもそうである。

彼女は現役時代から多量の酒を飲んだ。そのため芸が衰え、人気のかげりにつながった。65年に引退、2年後に32歳の若さで亡くなっている。好きだったスロージンの空き瓶を左手に持って寝室で倒れていた。アルコール中毒による突然死だった。晩年のジプシー・ローズは飲んでばかりで食事をとらず、栄養失調から脳にも支障をきたした。

奇しくも日本のストリップ史において特筆される踊り子2人は、その死にざまから伝説となったのだ。

一条さゆりの魅力

カウスは改めて一条の魅力について考えた。

「僕は一条さんと毎日生活していた。近くにいて、彼女から『乞食根性』を感じたことはまったくなかった。ひがみや妬みの感情です。それがなかった。なんやしらん、ペーソスを感じる。どこか欠けているけど憎めない。持って生まれたもんです。完璧な芸人って、お客さんは好きにならないんです。こんなにできる人でも、ここはあかんなというところにお客さんがほれていく」

寛美が多額の借金を作る。勝新は大麻とコカインをパンツに隠して逮捕される。そして、やすしはタクシーの運転手を殴っている。一般社会では許容されがたいこうした行為こそ、芸人を芸人たらしめているとカウスは言う。その意味では、一条ほど芸人らしく生き抜いた者は珍しい。

「計算され尽くした、完璧な芸人なんて魅力はない。『あれだけの人がなんで?』っていう部分がないとあかん。計算できる芸人は売れませんよ。一瞬は売れるかもしれんけど、そのうちファンがついてこなくなる。トントン拍子で行くチャンピオンの芸は、あるところで見たくなくなる。こんなに売れているのにすとんと落ちる。『かわいそうやな、あの子』ってなるねん。それがペーソスです」

芸人人生の終幕

その意味で一条の「死」はまさに芸人人生の終幕だった。

彼女は20歳を前に踊りの世界に入り、30代で引退している。芸歴は長くない。トップに君臨していた時期は5年ほどである。

ただ、引退公演での逮捕、懲役、出所後の飲食店経営とレコードデビュー、交通事故、大やけど、そして晩年の極貧生活と1人きりでの旅立ち。「引退後」の波乱に満ちた生き方こそ彼女の舞台だった。

「あの生き方で一条さんは誰にも真似できない境地を開いた。だから、一条さゆりには2代目も3代目もないんです。彼女の色気、艶、経験、苦労の生い立ち、恥ずかしい部分、生まれてから引きずってきたものすべてが、彼女の舞台を作っていた。それを作り上げた女性に普通の生活を求めても、それは無理や。一条さんの生きた時間が唯一無二の舞台を作ったんやから」

どこにでもいるような人間に対し、数百人が息を殺して注目し、最後にはため息をつき、手を合わせて拝むはずがない。実生活では味わえない芸だからこそ、客は高いカネを払い、貴重な時間を費やした。一条の孤独な旅立ちこそ、伝説の踊り子らしい最後だった。

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