翻訳者が語る「奇跡の作家」の秘密

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『掃除婦のための手引き書』で大きな反響を呼んだルシア・ベルリンの、3冊目の翻訳となる『楽園の夕べ』が刊行された。20年前にほぼ無名のまま世を去った作家が、なぜ「奇跡の作家」と呼ばれ、支持を集めるのか。ルシア・ベルリンの作品の翻訳を自ら熱望し、その名訳でロングセラーとしてきた翻訳家・岸本佐知子さんによる『楽園の夕べ』の「訳者あとがき」を抜粋して公開します。

苛烈な人生の断片

1936年に生まれ、2004年の誕生日に世を去ったルシア・ベルリンは、生涯に76の短編を書いた。生前はほぼ無名に近かったが、死後10年以上が経った2015年、そのうち43篇を集めた作品集A Manual for Cleaning Women(『掃除婦のための手引き書』『すべての月、すべての年』として訳出)が世に出ると驚きと称賛をもって迎えられ、彼女の名は一躍世界に知られるようになった。その3年後、さらに22篇をおさめた作品集Evening in Paradiseが刊行され、ルシア・ベルリンの作家としての評価はいよいよ不動のものとなった。本書(『楽園の夕べ』)はその2冊めの作品集の翻訳である。

ルシア・ベルリンの作品について、私に言えること、言いたいことは一つだけだ。彼女の書く文章はほかの誰とも似ていない。読むものの心を鷲づかみにして、五感を強く揺さぶる。読んだときは文字であったはずのものが、本を閉じて思い返すと、色彩や声や匂いをともなった「体験」に変わっている。極楽鳥みたいにカラフルなウェイトレスの赤い歯ぐき。トンボの群れをかき分けて用水路を流れてくる帆船の模型。墓穴にコン、コンと投げ入れられる黒いヘルメット。少女の瞳に映る精錬所の油煙の虹色。ホテルのバーに響くエリザベス・テイラーの野太い笑い。月夜に咲くダチュラのむせかえるような香り。闘牛場の歓声と、牛の背で濡れ濡れと輝く血。まるで自分もそこにいて、それらを見、聞き、感じたような錯覚にとらわれる。それほどに、彼女の言葉の刻印力は強い。そして読後には、苛烈な人生の破片を見せられたという印象が強く残る。

本書の収録作品は最初期に書かれたもの(「オルゴールつき化粧ボックス」1960年)から最晩年の作(「妻たち」1998年)まで、前作と時期的に重なりつつ、まんべんなく採られている。実人生のできごとを材料に、いわゆるオートフィクションの手法で書くスタイルも一貫しているため、起伏の多かった彼女の人生のあちこちから切り取ったこれら22の物語は、一篇ごとに万華鏡のように異なる様相を見せる。テキサスの祖父母の家で暮らした少女時代。思春期を過ごしたチリの上流階級の暮らし。三度の結婚で移り住んだニューメキシコ、ニューヨーク、メキシコ。アルコール依存症と育ち盛りの4人の息子たち。孤独と静寂に包まれた晩年。

『掃除婦のための手引き書』と『すべての月、すべての年』で登場したおなじみの人物たちもそこここで顔を出す。「聖夜、テキサス 一九五六年」では、「虎に嚙まれて」(『すべての月、すべての年』収録)のあの一族郎党大集合のカオスが、屋根に上がったきり降りてこようとしないタイニー伯母さんの視点から語り直される。「笑ってみせてよ」(同)の年下の恋人ジェシーは、「聖夜、一九七四」のジェシーと「わたしの人生は開いた本」のケイシーに転生している。「妻たち」にちらっと出てくるボーは、「メリーナ」(同)のサキソフォン吹きのボーだろう。そして何といっても「沈黙」(『掃除婦のための手引き書』収録)の、幼少時のあの忘れがたい親友ホープ。ベルリンはあるところで「ホープと絶縁してしまったことは、人生で味わったもっとも深い絶望だった」と語っているが、「オルゴールつき化粧ボックス」と「夏のどこかで」では、そうなる前の、夢のように幸福なひと夏が描かれる。

物語こそがすべて

ルシア・ベルリンの小説の中では生と死が、愛と憎が、永遠とはかなさが、つねに隣り合わせている。楽園を絵に描いたような海辺の暮らしの底に、通奏低音のように流れる恐怖がある。生の躍動そのものであるような闘牛の陰で、ひっそりと終わる命がある。草むらに散り敷かれたガラス片に夕陽が当たって出現する美しいステンドグラスは、幻のように短命だ。そしてたとえ悲惨な場面であっても、彼女の書くものにはどこかユーモアが付きまとう。凶悪なドラッグの売人が着る〈健全な精神を応援します〉のTシャツ。ルーブル美術館の『モナ・リザ』は行列にはばまれて、「オークランドの酒屋みたいにウィンドウの向こう」。それに幕切れのみごとさ、あっけなさ。読み手は強い握力で物語世界に引きずりこまれた挙句、最後でいきなりポンと突き放される。そしてこの本では、まるで傷ついた人物たちの心を慰撫しようとするかのように、いたるところに花と音楽があふれている。バラ、桜、ミモザ、マリアッチ、ダチュラ、ジャズ。

ルシア・ベルリンは実人生をもとにこれらのすばらしい小説を書いた。同じ体験に違う光を当て、フィクションの含有率や枠組みを変え、そのつど新鮮な驚きをもたらした。けれども彼女がなぜこのように書けたのか、どうやって書いたのかは謎のままだ。〈わたしはよく誇張をするし、作り話と事実を混ぜ合わせもするけれど、噓はつかない人間だ〉彼女はある登場人物にそう語らせた。またべつのところでは〈事実をねじ曲げるのではなく、変容させるのです。するとその物語それ自体が真実になる、書き手にとってだけでなく、読者にとっても。すぐれた小説を読む喜びは、事実関係ではなく、そこに書かれた真実に共鳴できたときだからです〉とも語っている。本書に寄せた序文の中で、ルシアの長男マーク・ベルリンは言う。

母は本当にあったことを書いた。完全に事実ではないにせよ、ほぼそれに近いことを。わが家の逸話や思い出話は徐々に改変され、脚色され、編集され、しまいにはどれが本当のできごとだかわからなくなった。それでいい、とルシアは言った。物語こそがすべてなのだから。

じつは本書の原書と時期を同じくして出たWelcome Homeという資料的な本の中に、彼女の手になるメモワールも収められている。だがそこでは、幼少時代に祖父から受けた虐待や母との軋轢、幼少期の親友との別れ、アルコール依存症など、いちばん苦しかったにちがいない、だが彼女の創作の核となったであろうできごとについてはほとんど触れられていない。書きぶりもどこか苦しげで、小説のときのような伸びやかさは影をひそめている。けっきょくこのメモワールは中途のまま終わっている。そう考えると、彼女にとって小説を書くということは、浄化のような作業だったのかもしれないと思えてくる。事実のままでは語りえない体験に、フィクションという形で居場所を与えること。消し去るのではなく、新たな真実として存在させること。彼女が言った「物語こそがすべて」という言葉は、もしかしたらそういう意味だったのかもしれない。

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