オーストラリアをホームに迎えて1−1。一般的に言って、戦力が互角なら満足度は35〜40%だろう。ジーコジャパンが2006年ドイツW杯で対戦した時のオーストラリア、ザックジャパンが2011年のアジアカップ決勝で対戦した当時のオーストラリアと同レベルなら、ホームの1−1はなんとか及第点になる。

 しかし、今回のオーストラリアは2006年W杯当時の力を10とすれば5か6だ。あるいはもっと低いレベルかもしれない。日本と対戦したオーストラリアで過去に最も弱いと感じたのは1996年2月に行なわれた親善試合。ウロンゴンという町で対戦し、4−1で勝利したアウェー戦だった。しかしその4日後、メルボルンでオーストラリアと再び対戦すれば結果は0−3。日本代表はコロリと敗れてしまった。

 筆者はこの2試合を現地で取材しているが、なぜこういうことが起きたかといえば、2戦目のオーストラリア代表は海外組中心の"1軍"で、1戦目のオーストラリア代表は国内組中心の"2軍"だったからだ。今回、埼玉スタジアムを訪れたオーストラリアは、ウロンゴンで対戦したチームと同じぐらい弱かった。日本が4−1で勝っていてもおかしくない。

 オーストラリアにチャンスらしいチャンスはなし。1得点は谷口彰悟のオウンゴールだった。右からルイス・ミラーが上げたクロスボールをクリアし損なったわけだが、クロスボールの質が低すぎたが故に生まれた失点と言ってもいい。洗練されていない旧態依然としたクロスボールに、谷口が逆に驚かされたという感じだった。


サウジアラビア戦から先発ふたりを入れ替えてオーストラリア戦に臨んだ日本代表photo by Kazuhito Yamada/Kaz Photography

 オーストラリアに1−1で引き分けたと聞けばショックは少ないが、3点差で勝利しても何らおかしくない相手に1−1で引き分けたとなると、話は変わってくる。しかし、タイムアップの笛が鳴った瞬間、スタンドの反応は緩かった。ブーイングに包まれることはなかった。選手もさほどガックリしていなかった。試合後、会見場に現れた森保一監督しかり。胸を張る様子こそなかったが、オーストラリアという強い相手と引き分け、安堵する様子が伝わってきた。

 オーストラリアのトニー・ポポヴィッチ監督はもっと満足そうだった。強敵日本にアウェーで引き分けたことを素直に喜んでいた。どちらの監督の反応が本質を突いているかと言えば、ポポヴィッチ監督になる。

【メンバーの固定に見える「弱気」】

 違和感を覚えたのは、自ら及第点を下すかのような森保監督の談話になる。これではW杯ベスト8以上を目標に掲げながら、アジアのレベルにどっぷりと浸かっていることを自ら言っているようなものだ。

 ポポヴィッチ監督はこの一戦に、前戦(10月10日)の中国戦からメンバーを6人入れ替えて臨んだ。森保監督が体調不良の遠藤航を田中碧、鎌田大地を久保建英と、ふたりしか入れ替えなかったこととは対照的である。多くの選手を起用しながら敵地で日本と引き分けたポポヴィッチに対し、ほぼ同じベストメンバーでこの予選を戦っている森保監督。

 オーストラリア戦に日本がスタメンを6人入れ替えて1−1で引き分けたのなら、及第点をつけてもいいだろう。藤田譲瑠チマ、望月ヘンリー海輝、関根大輝、大橋祐紀らを登用した結果なら、ある程度は評価できる。

 だが、そうした余裕はいまの森保監督にはまったくないようだ。同じメンバーで戦う理由について森保監督は「確認事項を少なくしたい」「前の試合の経験を生かしたい」と説明したが、短い間隔で戦うW杯本大会ではどうするのか。2026年北中米W杯は試合数が増える。決勝トーナメントは32チームで争うので、ベスト8は6試合目という計算になる。今予選の戦い方では、3試合目でいっぱいいっぱいになる。

 だが、これこそが森保采配の本質だろう。2022年W杯、2021年東京五輪、さらには過去2回のアジアカップも固定型だった。東京五輪後の会見では「日本はまだ先を見越した戦いをするのは早い」と、口にしている。

 毎度さまざまな理由をつけているが、根っこにあるのは「弱気」だ。代表監督のレベルがここにある限り、日本は旧態依然としたサッカーから抜け出せないだろう。

 加えてこの試合で、森保監督は交代枠を使いきらなかった。海外組は9割。選手の実力は拮抗している。選手層もかつてないほど厚い。ところが監督采配はこの有様だ。選手はそんな森保監督を観察していることだろう。出場機会に恵まれない選手だけではない。使ってもらっている選手も、欧州の自分の所属クラブの監督ならどうするだろうかと、知らず知らずのうちに比較しているはずだ。

【日本にも決定的チャンスはなかった】

 森保監督は「タケ」(久保建英)とか「カオル」(三笘薫)などと、選手をファーストネームで親しげに呼ぶが、選手はむしろ距離を置き、監督を冷静に見ているのではないか。交代枠の未消化は愚の骨頂だ。余裕のなさ、策のなさをストレートに反映したものになる。これでは監督のカリスマ性は上がらない。選手との信頼関係も構築されない。森保監督より、この試合で34歳のMF(ルーク・ブラッタン)に初キャップとなる出場機会を与えたポポヴィッチ監督のほうが断然、懐の深い監督に映る。

 試合の話に戻れば、オーストラリアはオウンゴール以外、チャンスらしいチャンスはなかったと先述したが、日本も似たようなものだった。ボール支配率こそ上回ったが、これだという決定的チャンスはなし。早い話が攻めあぐんだ。

 1トップの上田綺世の力不足以上に見逃せないのが、左右のバランスだ。オーストラリアは5バックで、俗に言う、「引いて構えるチーム」である。となれば日本の攻撃はサイドからが鉄則になる。その追求が森保監督は毎度のことながら甘い。

 前半、日本のサイド攻撃は左からが多かった。三笘が1対1に3度勝利を飾り、ドリブル&フェイントのキレ味を見せつけた。だが、それはどことなく単調に見えた。周囲に人が絡まない単独プレー、局地的プレーであるため、広がりがなかった。孤立していたと言ってもいい。

 一方、右はウイングバックの堂安律とシャドーの久保が開き気味に構えたことで、事実上サイドアタッカーが2枚いる状態だった。それ自体は悪くないが、ふたりはともに左利きだ。縦突破が少ない、縦方向への推進力に乏しいという点でも一致する。加えて左利きがキツく、右足キックが不得手なので、得点に直結しやすい、最深部からのマイナスの折り返しが期待できない。

 右サイドのコンビに改善が見られたのは後半17分、堂安に代わり伊東純也が投入されてからだ。縦への推進力という点で伊東は堂安を大きく上回る。右利きなので、最深部からの右足の折り返しも期待できる。久保と堂安のコンビよりキャラが被らないことも手伝い、そこから久保がピッチを後にした後半25分までの8分間、右サイドは良好な状態にあった。

 だが、鎌田が久保に代わりシャドーに入ると、サイドアタッカーは伊東1枚となる。孤立し、存在感を急に失うことになった。

 鎌田と同じタイミングで、南野拓実に代わって中村敬斗が投入されると、左は右とは対照的に活気づいた。中村がウイングバックに入り、三笘はシャドーに回った。

 だが、三笘は根っからのウインガーだ。左のサイドアタッカーはこの瞬間にふたりとなった。後半31分、1−1に追いつく同点ゴールが生まれた産物である。中村の縦突破からの折り返しをオーストラリアDFがクリアしきれずに、枠内に流し込んでしまった。

 左右が常時ふたりがかりで両サイドを突いていれば、決定機は多く生まれたはずだ。オーストラリアがサイドアタッカー各1枚の5バックで構えてきたので、なおさらだった。しかし、日本の布陣も5バックだ。アレンジでサイドアタッカーが各2枚になり、両サイドで数的優位ができあがることもあったが、5バックの限界も見る気がした。

 ほとんど攻められることがないのに最終ラインに人がダブつく姿、余剰する姿に、森保監督の弱気ぶりを見る気がした。後ろに人が多ければ、その分、攻撃の機能性は低下する。

 引いて守る相手になぜ正々堂々、向かっていかないのか。怖がる様はこの日のピッチにしっかり記されていた。よって試合は面白いとは言えなかった。ひと言で言えば凡戦。両チームともオウンゴールがなければ0−0である。

 埼玉スタジアムの満員のファンに勝利を届けられなかったことを森保監督は残念がってみせたが、ファンは勝利のみを待望しているわけではない。面白いサッカーを見たいというファンは少なくない。極論すれば、1−0より3−2。5人で守って無失点をアピールするサッカーでは、スタンドの満員は続かない。筆者はそう考える。