周囲より6年遅れて「中央大合格」就活で得た学び
※写真はイメージ(写真::cba / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
今回は6浪の年齢で、中央大学商学部会計学科に合格したあと、大手鉄道会社に就職したロクさん(仮名)にお話を伺いました。
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周囲の大学生が就職し始めて悲観する
今回お話をお聞きしたロクさん(仮名)は、6浪の年齢で中央大学に合格しました。
アルバイト生活をしていた4浪の年齢のときに、周囲の大学生が就職し始めるのを見て、将来を悲観したロクさん。その後猛勉強して大学に進学し、彼は大手企業に就職することができました。
どうして彼は、周りよりも6年遅れて中央大学に進もうと思ったのでしょうか。そして、就活で内定を勝ち取れた理由はどこにあるのでしょうか。今回は彼の挫折の日々と、就職活動での気づきに迫っていきます。
ロクさんは埼玉県で自営業をしている両親のもとで生まれ育ちました。生まれてから現在に至るまでの42年間を、ずっと埼玉で過ごしています。両親はともに大学を出ていませんが、息子であったロクさんには大学進学を勧めていました。
「『大学に行けばちゃんとした会社に就職できるから大学に行きなさい』とよく言われていました。しかし幼少期の私は、宿題をいっさいやらない子どもでした。
今では決して許されませんが、体罰などが当たり前の時代に『宿題をやらなくてもゲンコツされれば済む』と考えていて、目の前のテレビゲームばかり夢中になってやっている子どもでした。高校までは、勉強にまったく興味を持てませんでしたし、しても意味がないだろうと思っていました。目の前の現実から逃げていたのだと思います」
大人になった今、「結果的に両親の言っていたことが正しかった」と当時を振り返るロクさん。
公立小学校のときの成績は3段階で1〜2が多く、通知表には「何事にも取り組むのが遅い」「真面目だが、良くも悪くも周りに流されて損をしている」と書かれていたそうで、自分から行動を起こすのが苦手なマイペースな子どもだったと語ります。
スポーツをしていたおかげで成績も伸びたが…
そして公立中学校に進むと、その性格で苦労することになります。
「中学校でバレーボール部に入りました。最初はスポーツを一生懸命やっていたので、スポーツへの熱意が勉強にも通じたのか、小学校よりも成績が伸びたんです。良いときはクラスで11/40位くらいでした。
ただ、中学の部活の先生が、途中で高圧的な先生に変わってから、次第に周囲の仲間が部活に行かなくなり、意志の弱さと雰囲気に流されやすいこともあって、私も部活に行かなくなってしまいました。
部活を辞めたら勉強できる時間も確保できるのでは……と思ったのですが、結局テレビゲームの誘惑に負けて勉強しなくなり、クラスでいちばん下のほうまで成績が落ちてしまいました」
「スポーツをやっていたときのほうが、成績はよかった」と後になって気づいたとロクさん。
中学3年生の入試2〜3カ月前から個人塾に通って、集中して勉強したこともあり、一般受験で偏差値50程度の私立高校になんとか入れたものの、このときの勉強習慣と基礎学力の欠如が尾を引くことになりました。
「基礎学力がない状態で高校に入ってしまったので、そこから苦労しました。入った頃は180人中140位くらいでした。高校に行くモチベーションがなかったんです。
最初は電車で通っていたのですが、途中で自転車通学に切り替えて1時間以上かけて通うようになり、それが面倒になってしまいました。1回休んだら、ずるずる休んで欠席の沼にはまって、勉強しなくなり、成績もビリ近くになったのです」
3年間、夜までゲームをやって、あまり高校に行かず、出席日数もギリギリでなんとか卒業にこぎつけたロクさん。高校を卒業する前に、偏差値50程度の私立大学の文系学部を受けるものの、落ちてしまい、進路が決まっていないまま卒業しました。
進路決まらず卒業、早稲田に通う友人に再会
「高校を卒業した時点では、やりたいことは何もありませんでした。恥ずかしいことに、このときはむしろ解放感でいっぱいで、『これからやりたいことがいくらでもできる!』と思って家に引きこもってゲームばかりしていました。
その後、たまたま早稲田大学と専門学校に通っている中学時代の友人たちに会って、彼らが学生生活を満喫して、いきいきとしている姿を目の当たりにし、『俺は何をやっているんだろう……』と急に自分がちっぽけに思えてしまいました。あれだけ夢中だったゲームを全部売り、焦ってアルバイトを探し始めました」
当時、人材派遣のアルバイトがブームだったため、引っ越しや工場での日雇い労働、市民プールの掃除、パソコンのパーツショップなどのアルバイトを転々としていたロクさん。
どのアルバイトに就いても長く続かず、その中で唯一続いたアルバイトが、スポーツウェアのオンラインショップを運営しているWeb会社での業務でした。
「小さい会社だったので裁量を任せてくれて楽しかった」と語るロクさんはこのアルバイトを2年ほど続け、21歳になりました。
しかし、このタイミングでまた、偶然中学時代の友人の早稲田生に出会った彼は、自分の人生について思い悩むようになります。
「アルバイトは充実して楽しかったのですが、目標もなくお金だけを貯めている状態でした。友人や知人の大学生がどんどん就職していくのを見て、自分自身に対するコンプレックスが年々膨らんできていたんです。
それが一気に噴出したのが、早稲田の友人に再会したときでした。彼がもう大学4年生になって、すでに超・大手企業に就職が決まっていたのを聞いて、『同い年の自分は何やっているんだろう……』と落ち込んだんです。そこで自分も、今からでも大学に行けば就職できるんじゃないか?と短絡的に考えました」
「大学進学以外に、当時のフリーターの現状を打破する方法が見つからなかった」と語るロクさん。彼は、この「大学に行けば就職できるのではないかという希望」によって、初めて浪人して大学に入る決断をします。
志望校は定まっていなかったものの、Webのアルバイトで興味を持ったこともあって、情報ネットワーク系の仕事に就きたいと思い、専修大学のネットワーク情報学部に行きたいと考えました。
こうして4浪目の年齢の秋ごろから浪人生活を始めたロクさん。しかし、これまでまともに勉強をしたことがなかったこともあり、効率の悪い勉強を1日4〜5時間続けていました。
「この年は完全に独学で勉強していました。英単語帳と数学の教科書を進めていたのですが、ひたすら何も考えずただ丸暗記し続けるだけだったのでまったく定着しませんでした」
結局この年は、専修大学を受験し、全然歯が立たずに落ちてしまいました。
焦って試験科目を変えた結果…
惨敗で終わったロクさんは、このままではいけないと思い、5浪目の年齢の4月からアルバイトで稼いだお金で授業料を払って、代々木ゼミナールに通い始めます。
すぐに授業についていけなくなり結局1〜2カ月でやめてしまったものの、なんとか独学を再開したロクさん。その後、独学のコツをつかみ始めたのか、継続力・集中力もついてきて1日7〜10時間程度の勉強ができるようになりました。
しかし、「もう一年勉強をするんだから」というプライドから法政大学の情報科学部に志望校を引き上げたことが、この年の失敗につながりました。法政大学の同学部は数3・Cも範囲にあったため、その対策に追われてしまったのです。
「夏ごろには『このままでは絶対に数学の勉強が間に合わない!』と焦って、科目を世界史に変えたのですが、本当に迷走していました。
勉強法は去年から大きくは変えず、深夜までずっと教科書の範囲をローラーして全部覚えるように勉強していたので、生活習慣を崩して激痩せしましたし、片頭痛も出るようになりました。
結局、この年は情報系の学部に受かるのは難しいと思い、目的も不明瞭なままMARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の文系のうち、明治大学と立教大学、中央大学の経済学部や法学部を受けたのですが、中央大の試験で試験開始の数秒前に体調不良で倒れて医務室に運ばれてしまい、受験できませんでした。明治と立教も落ちて、この年も全滅でした」
慣れない無茶な勉強で体力が著しく低下していたロクさんは、次の年も、この年の反省を踏まえて浪人を決めます。
「もう6浪の年齢にもなって、両親に呆れられていました。私の周囲でも『今更大学受けていて何回も落ちているらしい。引きこもりらしい』と噂されていたそうです。でも、最終的に自分で稼いだお金で受験費用も大学の費用も出すことを両親に伝えると、最後の一度限りの浪人を条件に、受験を認めてくれました」
悲観的に見る周囲とは裏腹に、当時のロクさんは前向きで、テレビゲームのRPGで経験値を積み上げていく感覚になっていたようです。
落ち続けた原因が見えてきた
志望校はMARCHから変えずにリスタートした1年。このころには、自分が今まで落ち続けてきた原因も見えてきました。
「体力がなかったことと、勉強法が非効率だったことに加えて、模試を受けなかったことも原因でした。5浪目の最初の年に受けた模試の偏差値が3教科で40しかなく、全部E判定だったこともあって、その後は怖くなって受けなかったんです。まったく現実を直視できていませんでした」
「いろいろ失敗したことで見えてきたものがたくさんあった」と語るロクさん。この年の彼は、メリハリをつけるために1週間で勉強する日を6日間に設定。休みの時間はゲームやジョギングなど好きなことをする代わりに、勉強する日は9〜20時まで集中してやることに決めました。
勉強法に関しても、ネットで自分に合いそうなところを調べました。「引きこもりタイプで、予備校などのリアルの授業が合わない人間」だと自身を分析するロクさんは、性格と今までの失敗を分析して、代ゼミサテライン予備校に通うことに決めます。すると、これがバッチリ合ったそうで、成績も大きくアップしました。
「予備校でビデオテープを借りて受ける講座があったのですが、とてもわかりやすくて、ようやく成績が上昇するようになりました。参考書は、西きょうじ先生の英語の教材や、青木裕司先生の『世界史B講義の実況中継』を使っていました。かつて丸暗記ばかりしていた勉強方法も、内容を理解するように意識すると、よくわかるようになりました。そのおかげか、何回か受けた模試で偏差値が50後半から60で、ようやく志望校B〜A判定をキープできるようになりました」
この6浪目の年は、中央大学商学部の会計学科と経営学科の2つしか受けなかったロクさん。
「秋に大学に行って何を学びたいのかを決めたのですが、情報系の学部以外に行くとしたら中央大学がいいなと思っていました。中央大の赤本を見たときに、公認会計士のことが書いてあって興味を持ったのと、『炎の塔』という学内の公認会計士の専門学校に入って公認会計士を目指したいと思っていました」
ようやく成績的に合格範囲まで到達し、秋から中央大学の過去問対策を何度も何度も解いたロクさんは、見事に2学部とも合格し、中央大学商学部会計学科への進学を決めました。
「自分の周囲はびっくりしていました。両親も受かるとは思ってなかったですし、合格しても大学に行くのを認めてくれないんじゃないかと考えていたのですが、意外にも進学することを応援してくれたのでよかったですね」
就活はESで9割落ちた
こうして波乱万丈の浪人生活を終えたロクさん。
彼に浪人してよかったことを聞くと、「勉強を積み上げる習慣ができたこと」「失敗、挫折し、軌道修正する経験ができたこと」、頑張れた理由に関しては、「途中から大学受験勉強が楽しくなってきて、学ぶ楽しさを知ったから」と答えてくれました。
「浪人をした経験は、社会人になった後も活きていると思います。TOEICやビジネス系の資格取得の勉強を継続してコツコツできるようになりました。仕事でつらいことがあっても、あのときに比べればマシだと思えるようになったのはとても大きいですね」
実質6浪で入社した鉄道会社で働いていた時に、ニュージーランドに短期留学したロクさん(写真:ロクさん提供)
24歳での大学生活は、最初の1年こそ公認会計士の資格取得の難しさを痛感して1カ月で挫折し、なかなか友達もできずに孤独な日々を過ごしたそうですが、年齢を気にして自分から周囲と距離を作っていたことに気づき、2年目から少人数制の授業を率先して受けたところ、少しずつ友達ができて、大学生活が充実してきたそうです。
就職活動では、IT企業を中心に100社にエントリーしたものの、ほとんど書類で落ちて面接に進めたのは10社ほど。
とあるIT企業で受けたグループワークでは、途中で人事に呼び出され「その年齢で選考を受けて、ほかの学生がかわいそうだと思わないの?」と辛辣な言葉を浴びせられ、落とされたこともあったそうです。
しかし、その後もくじけずに志望する業界を広げて就職活動を続けた甲斐もあり、東日本エリアを管轄している大手鉄道会社に就職することができました。
ロクさんは鉄道会社勤務の当時、東北に転勤。観光の仕事をしていた(写真:ロクさん提供)
内定をもらった会社の面接では、「私はこの経歴ですが、人よりつらい思いをした分、人の痛みがわかりますし、会社のサービスにも活かしたい」と熱意を伝えたところ、当時の面接官が真剣に話を聞いてくれたそうです。
「6年遅れでの就活は不安でしたし、実際に書類で通らなくて大変な思いもしましたが、自分をちゃんと見てくれている会社もあるのだと思いました」
ニュージーランドの鉄道会社に直接交渉して、車両見学をさせてもらったロクさん(写真:ロクさん提供)
29歳で就職した大手鉄道会社では、23歳と同じ基本給で働いたものの、10年働いて主任に昇進。コロナ禍による業績不振をきっかけに大手通信会社に転職しました。その後、42歳でIT企業に再び転職し、現在はマーケティングマネージャーとして働いています。また、現在はその波乱万丈の浪人生活や就活の経験を、自身のnoteでも、発信しています。
「多浪したら人生終了」は真に受けないほうがいい
「浪人すると生涯年収が減ると言われますが、自分次第でどうにでもなります。就職したら多浪は関係ありません。実際、年齢でボーダーを引いている会社もあるかもしれませんが、全然気にしなくて大丈夫です。
私もこれまで採用を担当したことがありますし、本当に採りたいなと思った人がいれば、年齢は気にせず採りますから。ネットに書かれているような『多浪したら就職できない』とか、『多浪したら人生終了』とか、そういった書き込みは真に受けないことです。一度社会に出たらいろんな経歴の人がいることに気づくと思います」
多浪を経験したことが逆に、「何でも積極的に挑戦する」姿勢につながったと語るロクさんの人生からはまさに、マイナスの状況も自分次第でプラスに変えられるのだということを教えてもらいました。
ロクさんの浪人生活の教訓:多浪しても大手企業に就職できるし、就職してからは自分次第
(濱井 正吾 : 教育系ライター)