自民党新総裁に選出された石破茂氏

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「最後の総裁選」と位置付けた戦いで、「5度目の正直」となる勝利を収めた石破茂氏(67)。今後、国会での首班指名選挙を経て、第102代総理大臣に就くことになる。さて、「石破総理」が誕生すれば大いに注目を集めそうなのが、“ファーストレディー”となる佳子夫人の存在だ。というのも、石破氏はかねてより永田町では“愛妻家”として有名。デイリー新潮では、政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏(59)の著書『石破茂の「頭の中」』(ブックマン社)を引用する形で、夫婦の馴れ初めについて報じている。「新総裁」の人となりを知る上でも、改めて振り返ってみたい。(2018年6月5日に配信された記事を一部改稿して再配信します)

【写真】「わぁ、こんなにきれいな人がこの世にいるのか!」 対抗馬・石破氏は慶大時代、妻・佳子さんにひとめぼれしたという

ドイツ語のクラスで一目惚れ

石破茂の「頭の中」』の本文は、鈴木氏のインタビューに答えた石破氏の言葉や表現を、そのまま綴っている。そして、石破氏の恋愛や結婚にも、しっかりとページが割かれている。もし首相になれば、石破夫人はファーストレディーとなる。国民の好奇心が向けられるのは当然だし、向けられるべきだろう。

自民党新総裁に選出された石破茂

 石破氏は鳥取大学教育学部附属中から、慶応塾高に進学した。それを女性問題というフィルターで見つめ直すとどうなるか。『石破茂の「頭の中」』には、次のような石破氏の述懐が収録されている。

石破茂の「頭の中」』鈴木哲夫[著]ブックマン社

《当時は慶應高校生っていうと、それだけでけっこうもてたらしいんです。「慶應高校に通っているというだけで女性を口説ける」と言われていたほどです。(略)でも、田舎の中学から出てきたばかりのわたしに女性を口説くような度胸はまったくなかったし、そもそもそんな文化に染まらないまま、庭球部に入ってテニスばかりやっていた。だから、ほとんど女性と口を利く機会もないまま、あっという間に高校の3年間が過ぎ去ってしまいました(笑)》

 1975年、石破氏は慶應大学法学部法律学科に進学する。そして1年生の時、第2外国語であるドイツ語のクラスで、運命の出会いを果たす。石破氏の伴侶たる佳子さん(61)と出会うのだ。

《ドイツ語を選択していたので同じ教室で授業を受けることになった。そのとき、「わぁ、こんなにきれいな人がこの世にいるのか!」と思ったのが最初の印象です。

 とはいえ、わたしにとっては高嶺の花……。なにしろスターみたいな人でしたからね。それでも気になって人づてに聞いたところでは、中学校、高等学校は女子学院に通っていたとか》

「ヤマかけ講座」で急接近

《あの頃、わたしは彼女に気に入られたい一心で、実によく勉強しましたね。スポーツができるわけでもない。同級生のように家に高級外車があるわけでもない。あるいは中等部から上がってきた同級生のようなナンパのテクニックを持っているわけでもない……。 もう勉強するしか武器がなかったからです》

 当時の石破氏は「石破のヤマかけ講座」を開設していた。自分で予想問題を作り、模範解答も準備して、クラスメイトなどに教えるわけだ。

《おかげで2年生のときも「石破のヤマかけ講座」で見事に学期末試験の出題を当てて、彼女との距離は縮まって、たまに食事に行ったりするようになりました》

 これをきっかけに2人は交際を開始し、やがて結婚する――。こんな先入観を持って読み進めると、意外な展開に驚かされる。石破氏の努力にもかかわらず、2人の関係はまったく進展しないのだ。そして卒業式を迎えることになる。

生まれて初めての告白

《卒業したらもう二度とチャンスはないと思ったわたしは、卒業式のあと、ホテル・ニューオータニで開かれた謝恩会で思い切って告白しました。生まれて初めての恋の告白です。

「これから結婚を前提として付き合ってくれませんか」と――。

――ごめんなさい。

 ものの見事にフラれました。

 そのとき、わたしはすでに三井銀行に就職することを決めていましたが、彼女にキッパリ言われましたよ。

「だいたいあなたは、司法試験を受けて弁護士になるとか、大学に残るとか言ってたけど、結局、わたしと結婚したいから、早く就職して稼げるようになりたいんでしょう。わたし、そういうの、生き方として許せません」》

 思わず「女傑」という言葉が浮かぶが、この厳しい指摘に対して、石破氏は「お見事、その通りです」と回想している。その後、2人は結ばれるわけだが、本書に「わたしにとって妻はなくてはならない存在です」との一文があることは紹介しておきたい。

デイリー新潮編集部