また、番組収録の経験なんてゼロだった私は、カンペすらまともに読めず、カンペに書かれた『次のコーナーへ』という指示書きすらそのまま読んでしまい、ひんしゅくを買ったこともありました」(奥井さん)

 そんな奥井さんが初めて担当した番組がわずか4回で打ち切りとなってしまった……。

 その後は他番組で、放送中につぶやかれる番組に対する感想や意見のXのポストをただ読むだけで、出演はわずか数分。

「きっと、たいしたアナウンススキルも、番組を仕切るファシリテーション力もない私をどう使っていいのかわからず、『あんなダメなヤツでも、これくらいのことならできるだろう』と判断したのだと思います。鳴り物入りでMCになったのに、完全に“お荷物状態”でしたね……。

 当時は、これ以上不相応な報酬を受け取ることに耐えられず、収録時に出される弁当すら手をつけなくなっていました」(奥井さん)

◆情けない、消えたい……「早く1日が終われ」

 オーディションでは、「生命力がある」と高く評価された。しかしながら、いざ現場で仕事を任されてみると、自分の実力のなさを痛感し、死んだ魚のような目をし、生命力も何もない。

「常に誰かから、『あいつ、何やってるんだっけ?』『いったい何ができて合格したんだ?』と陰で言われているような妄想を抱いていました。縮こまってしまい、声がうまく出せない。そんな状態でアナウンサーの仕事なんてうまくできるはずもありません。

 何をどうしたらいいのかもわからず、ひたすら指示待ち。アナウンサー志望の女子大生インターンのほうが私よりスキルがあり、その状況がますます私を追い詰めました。

 そんな無能に存在価値はなく当然、仕事を振ってくれるはずがありません。悪循環がひたすら続きました。

 情けない、消えたい、役立たず……。そんな無力感に苛まれながら、それでもどうすることもできないまま、『早く1日が終われ』と、ただただ時間が過ぎるのを待っていました」(奥井さん)

◆チャンスには徹底的な事前準備と試行錯誤

 そんな状況だった奥井さんにも、ついに転機が訪れる。2020年3月、ある特番で再びMCを任されることになった。

NewsPicks創刊編集長・佐々木紀彦さんと古坂大魔王さんがMCを務め、私はサブMCとして番組を進行しました。その番組はソニーがスポンサーで、若者がソニー製品を使ってアイデアを出し、コンテストで優勝すれば実際にソニーと共同開発できるというもの。

 私は、若者が発表したアイデアに対して有識者からコメントをもらうコーナーを1人で担当しました。

 世界のソニーの特番ということで、関わる人数も非常に多く、大手広告代理店など関係者もやたら収録に立ち会っていたのを覚えています。通常の放送よりもかかっているお金が明らかに違っていました。

『この番組でミスったら本当に終わりだ……』と、とてつもないプレッシャーでしたが、私にとってよかったのは、その特番では事前にしっかりと準備ができたこと。

 台本を読み込むのはもちろん、出演者のプロフィールやコンテスト出場者の情報をしっかりと頭にたたき込み、イメージトレーニングも何度も行いました。

 その結果、番組は滞りなく終わり、私は『何の落ち度もなく終えることができてよかった』と安堵しました。

 今だったら、ただ台本通りに進行するだけでなく、もっとおもしろいコメントを引き出すようにしたり、視聴者に飽きさせないような工夫もできたかもしれませんが、当時は、とにかく事故が起こらず、滞りなく番組を進めることに全力を尽くしました」(奥井さん)

 この特番をきっかけに、再びMCを担当させてもらえる機会が増え、本来のプロアナの役割だった番組のメインMCに返り咲きすることができた奥井さん。