行方不明になった「認知症高齢者」と感動の再会を果たした家族を待ち受けていた「つらい現実」

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老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになります。

世の中にはそれを肯定する言説や情報があふれていますが、果たしてそのような絵空事で安心していてよいのでしょうか。

医師として多くの高齢者に接してきた著者が、上手に楽に老いている人、下手に苦しく老いている人を見てきた経験から、初体験の「老い」を失敗しない方法について語ります。

*本記事は、久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

行方不明者発見の美談のその後

認知症の高齢者で、徘徊などにより行方不明になる人は、最近では一万七千人を超えているそうです。そのうちほとんどの人が一週間以内に見つかりますが、行方不明になったまま死亡して発見される人も、年間、五百人前後で推移しています。

認知症になると、帰り道がわからなくなるだけでなく、後もどりができなくなる人もいて、気の毒な例では塀の隙間に挟まって、奥の行き止まりで発見された人もいました。

また、自分のいる場所の危険性が理解できず、電車にはねられて死亡したあと、遺族に高額の賠償金が請求されて、社会問題になったこともあります。このケースでは事故は飛び込み自殺と同様に扱われ、一審では保護責任者である妻と息子さんに、計七百二十万円の賠償金を鉄道会社に支払うよう命じられました。この判決に世間は騒然となり、徘徊する認知症の高齢者を抱える家族からは、「もう一歩も外へは出せない」「鎖につなぐしかない」等、悲愴な反応が見られました。最終的には最高裁で賠償責任なしとの判決が出て、介護者側は安堵したようですが、鉄道会社にすれば今後のことも考え、単なる不運ではすまなかったでしょう。

見つかりもせず、亡くなりもしない認知症の高齢者は、身元不明者として施設で保護されます。

あるテレビ番組で、認知症高齢者の行方不明のドキュメンタリーが放映され、施設で保護されている高齢者が、その番組を見た家族からの連絡で身元がわかったことがありました。男性は五年以上行方がわからず、家族が心配していたのですが、たまたま家族が番組を見ていて、身元が確認されたのです。

すぐに家族が迎えに行き、感動の再会を果たしたことが伝えられました。重度の認知症である男性は、さほどの反応を示さなかったようですが、家族は涙を流さんばかりに喜んだそうです。

だれが見てもよかったと思うでしょう。しかし、現場を知る私としては、簡単には喜べません。再会はたしかに感動的ですが、そのあとがあるからです。

まず気になるのは、五年間にかかった施設の費用です。どれだけ請求されるかわかりませんが、民間の施設であれば、経費は簡単に無視できないでしょう。

家族にとって、五年間心配し続けた身内が見つかったときの喜びはひとしおでしょうが、その日から重い介護がはじまります。はじめはいいでしょうが、二年、三年と続くと疲れてきます。介護費用、介護疲れで、虐待に近いことがないとも言えません。

行方不明だった本人にしても、それまで専門の施設でプロに介護されていたのが、家族の介護になると、快適さが減じるのではないでしょうか。

テレビはそこまで追って放映しませんから、視聴者は「よかったな」で終わりますが、当事者の現実は決してそこで終わらないのです。

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