ハリス氏は選挙戦を戦い抜くパートナーとしてワルツ氏を選んだ(Photo by Andrew Harnik/Getty Images)

2024年11月5日に行われるアメリカ大統領選挙。トランプ氏銃撃事件、バイデン氏の辞退、ハリス氏の指名、と両陣営ともに波乱続きの選挙戦となっています。8月6日には、ハリス氏がワルツ氏を副大統領候補に選んだことを発表、これは両陣営の戦いにどのような影響をもたらすのでしょうか。

本記事では、いくつかのアメリカ調査や選挙マーケティングの分析を通して、今回の選挙戦において「アメリカ国民は何を重視しているのか」を見ていきたいと思います。

“裏庭のバーベキューで出会うような男”の起用

ワルツ氏を副大統領候補に選んだことは、ハリス氏の大統領候補として初めての大きな決断でした。

ジャマイカ出身でアフリカ系の父とインド出身の母を持つハリス氏にとって、ワルツ氏とは属性的には補完し合い幅広い層へ訴求する人選と言えるでしょう。

ワルツ氏は白人男性で元教員、フットボールのコーチを務め、軍に所属していた経歴があり、米メディアが評するようにまさしく“中西部の裏庭のバーベキューで出会うような男”といったところでしょうか。それは農村部や白人男性の票を獲得するのに有利な属性であり、激戦州の勝利につなげる狙いが読み取れます。

しかし、ワルツ氏の知事としての実績を見ると“ばらまき政策”とも評される政策を行ってきています。

また、中間層や不法移民への社会保障を手厚くする一方で所得税引き上げ、公益事業会社に対して2040年までに発電量を100%カーボンフリーにすることを義務付けるなどの急進左派的な政策は、農村部や白人男性の票を獲得する上ではウィークポイントになりえるでしょう。

特に鉄鋼や自動車などの製造業を多く抱え、激戦が予想されるラストベルト(錆びた一帯)の州では、これらの政策だけ見るとかなり不利なわけです。

アメリカのメディアの報道は

この選択はどう出るのでしょうか。アメリカの各メディアの報道を見てみましょう。

ウォールストリートジャーナル8月7日の社説では「ワルツ氏を選択、進歩派の圧力に屈したハリス氏」と報じています。この背景をみていきます。

ハリス氏はワルツ氏起用の理由に「中流階級の家族のために戦うという彼の信念」などを挙げていますが、実際にどのような過程で、何が決め手でワルツ氏を起用したのか、本当のところはわからないわけです。

トランプ陣営にとっては、ワルツ氏が選ばれたことは良い知らせでした。ペンシルベニア州知事のシャピロ氏が選ばれることが最大の脅威だったからです。ペンシルベニア州は今回の戦況におけるスイングステート(共和党・民主党の支持率が拮抗している州)で、この州をどちらの党が取るかが選挙戦の行方を大きく左右するのです。ペンシルベニア州の知事であるシャピロ氏を副大統領候補に据えられると、ここでの共和党の勝利は極めて難しくなっていたでしょう。

なお、トランプ陣営はペンシルベニア州を落としてもまだ勝利する可能性はありますが、ハリス陣営にとっては「絶対に落とせない州」とみられています。

つまり、シャピロ氏を副大統領候補にしたらペンシルベニアは勝利が見えていたわけです。それなのに彼を選ばなかったのは、ユダヤ系のシャピロ氏は親イスラエル的であったため、イスラエル批判を高めている、民主党の中でも特に急進左派の人たちが難色を示したのではないかと推測されています。

ハリス氏自身、ネタニヤフ首相がアメリカに来たときに議会演説を欠席しています。そこから読み取れるように、イスラエルに対して批判的な点も副大統領候補選びに影響していると考えられますが、勝利に必要な選択ができない面で「ハリス氏は党内の左派に逆らうことができない、その気概がない」と見なされて決断力や実行力をネガティブに判断される材料にもなると指摘されているのです。

このような批判は日本の主要メディアではほとんど出てきませんが、CNNの方でも「民主党の副大統領候補、ワルツ氏起用の裏にある計算 後悔の可能性も」と報じています。ここで書かれている「後悔」とは、シャピロ氏を選ばなかったことを後悔するのではないかというニュアンスです。

今、アメリカの有権者が求めているのは強さだと思いますし、ハリス氏とトランプ氏、どちらが強さで上回るのか注目されています。だからこそ、ワルツ氏が選ばれた経緯をネガティブに解釈され、クローズアップされると、不利に働いてしまうのではないかと考える向きもあります。一方で、ここで指摘しておきたいのは、従来はバイデン氏に対して有権者が抱いていた「年老いて」「弱々しい」といったイメージは、現在はハリス氏よりもトランプ氏に向けられ始めているということです。

スイングステートでの戦いが勝敗の分かれ目

先ほどペンシルベニアでどちらが勝利するかが選挙戦のカギだと書いたように、スイングステートと呼ばれる激戦州での戦いが勝負の分かれ目なっています。

今回スイングステートとされているのは、アリゾナ、ネバダ、ウィスコンシン、ジョージア、ミシガン、ペンシルベニア、ノースカロライナの7州です。

米紙ニューヨーク・タイムズとシエナ・カレッジが8月初旬に行った世論調査によると、ラストベルトの激戦3州(ウィスコンシン、ペンシルベニア、ミシガン)の投票に行くと答えた有権者の50%がハリス氏を支持し、トランプ氏の46%を上回ったとされています。

鉄鋼や自動車などの製造業を多く抱えるラストベルトでは、白人労働者層の票が重要になるため、彼らに訴えかけ、響くような政策とポジショニングの再定義をどう展開していくかが勝負を分けるとみられます。

トランプ氏、ハリス氏各陣営の掲げる政策を見ながら分析してみましょう。


(画像:筆者作成)

経済のトランプ陣営、気候変動対策のハリス陣営

トランプ氏の選挙マーケティングは「Make America Great Again」をスローガンに掲げた米国第一主義であり、環境問題よりは経済優先の政策です。金利引き下げ、減税、ドル安主義、財政拡大、インフレ対策には原油価格低下策と、経済面に強い政策を並べています。

トランプ氏の原油価格低下策は、主要な支持母体である石油産業への優遇策を行うことでアメリカの炭素系企業をよみがえらせる狙いがあります。現在環境問題対策でアメリカの炭素系産業が受けている規制を取り払い、アメリカにおける石油、石炭の供給量を増やして、結果的に原油価格を引き下げようというものです。

実際にこの政策で原油価格引き下げが実現するかどうかは不透明ですが、環境問題よりは経済を重視している姿勢を明確に示しています。トランプ氏の打ち出す強い経済政策は、経済問題に苦しんでいるラストベルトの3州白人労働者層にとって非常に魅力的な、訴求力の高い政策になっています。

それに対してハリス氏の選挙マーケティングでは、「強固な中間層を築き上げる」「未来のために戦う」「we are not going back(元には戻らない)」の3つをステートメントとして掲げており、多様性と包括性を重視し、協調と対話のリーダーシップをハリス氏のポジショニングとして打ち出しています。


(画像:筆者作成)

そして政策としては特に気候変動対策を重視しており、2035年までに新車をゼロエミッションにする方針を打ち出しています。副大統領候補に選ばれたワルツ氏も、ミネソタ州で公益事業会社に対して2040年までに発電量を100%カーボンフリーにすることを義務付けるなどの政策を行った実績があり、大統領候補、副大統領候補共に環境問題に対する危機感が強いと言えるでしょう。

また、中絶問題に対しては「女性の権利」として擁護する姿勢で、トランプ氏より支持を集めている状況にあります。

経済面では減税政策をとるトランプ陣営とは対照的に、富裕層の所得税引き上げ、法人税の引き上げを掲げています。つまりは経済的利益を追求する共和党に対し、社会的利益を追求する民主党という構図になっています。

しかし、環境問題を重視し(つまりは企業に対する規制強化)、増税する姿勢は、特に製造業の白人労働者層を多く抱えるラストベルトでは不利に働く可能性があります。

下記の資料は、大統領選において共和党支持者と民主党支持者が重視する論点についてPew Research Centerが行った調査をまとめたものです。


(画像:筆者作成)

経済は共和党支持者が一番重視する論点であり、民主党支持者も3番目に重視しています。またここに記載はないですが、無党派層も経済を一番重視しています。

それに対して環境保護問題は民主党の支持者が2番目に重視、共和党の支持者は17番目に重視と、極めて低い結果になっています。アメリカ全体でみると、今は環境問題よりも経済問題が非常に重視されていると分析できます。

選挙の争点は「経済v.s.環境」に

今回の大統領選における重要な争点は「経済」か「環境」か、です。

8月頭にアメリカの株価が暴落し、経済が減速するのではないかと予測が出ています。11月の選挙に向けてさらに経済への不安が高まった際には、強い経済政策を打ち出しているトランプ氏に大きく有利になるでしょう。気候変動対策よりもまずは経済という風潮がさらに強まると予想します。

また、急進左派的政策にさらに拍車がかかるような副大統領候補を選んだという批判がさらに高まるような事実が判明し、これにハリス陣営が耐えられなければ、トランプ陣に有利になるでしょう。

ではどのような場合にハリス氏が有利になるのでしょうか?

それは明るい未来への期待、結束や団結が必要とされたときだと思います。「we are not going back」とハリス氏のポジショニングステートメントにあるように、トランプ氏の時代に戻りたくないと、未来への期待が重視される局面になればハリス陣営が勝利する可能性が強まります。

また、何か分断をあおるような事件が起こり、アメリカが結束・団結することを求められる局面でもハリス氏が有利になると思われます。

もっとも、ここで声を大にして指摘しておきたいのは、本当に目先の経済を重視して、気候変動問題への対応を置き去りにしていいのかということです。異常気象が世界中で最悪の記録を更新し、人々の生活に悪影響を及ぼしている今の世界において、経済や社会とバランスを取りながら地球環境問題に取り組み、世界を持続可能なものにしていく考え方が必要になってくるのは確実です。

だからこそ、そして今現在は経済が強く重視されているからこそ、選挙戦の行方はトランプ氏陣営に対抗できるような魅力的で現実的な経済政策を気候変動対策とともにハリス陣営が打ち出せるかがカギになってくるでしょう。

(構成・横田ちえ)

(田中 道昭 : 立教大学ビジネススクール教授)