去る6月24日、日本テレビ系の報道番組『news zero』で来月よりメインキャスターの藤井貴彦の曜日パートナーを務める3人が発表され、火曜パートナーは俳優の水野美紀に決まった。折しもきょう6月28日は、水野の50歳の誕生日である。

【画像】ヌードを含むハードな演技で注目を集めた、水野美紀の出演作


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 水野は1987年、中学1年のときに「東鳩(現・東ハト)オールレーズン プリンセスコンテスト」で準グランプリに選ばれたのを機にスカウトされ、芸能界にデビューした。18歳の高校3年生だった1992年には、ある化粧品のCMに出演し、一躍注目を浴びる。それは彼女が相手役の唐沢寿明に「ねえ、チューして」としきりにねだると、キスをされるという内容だった。

 じつは当初、水野には頬に軽くキスをするとだけ伝えられていたが、いざ撮影に入ると、唇にキスをされたのだという。これについて彼女は当時、《ええ、もう大変でしたよ。気が動転しちゃって。カメラが回ってるから、一生懸命にお芝居したんです。でも、後で聞いたら監督さんと唐沢さんの間では話ができてたらしくって、私だけ知らなかった。騙されちゃったんです》と語っている(『週刊宝石』1992年10月1日号)。

 いまなら事前に本人の同意のないままキスシーンを撮るなどありえないだろう。だが、当時はそんな裏話も、批判されるどころか、言われてみると彼女はキスのあと戸惑った表情をしていると人々の関心をよりかき立て、格好の話題となった。放送されるや、その化粧品会社には「あの子は誰?」と問い合わせが殺到したという。

「軍隊みたい」にストイックな生活

 彼女にも取材があいつぎ、あるインタビューでは、18歳といえば恋愛に興味を持つ年頃では? と訊かれ、《いま、そういうのぜんぜん興味ないんです。女優さんをずっとやっていきたいと思ってるんで、毎日そのことばかり考えてます。そのために朝早く起きてジョギングしたり、家で本を読んだり、好きな女優のビデオを観たりしてます》と答えた(『スコラ』1992年11月12日号)。

 いかにもストイックという感じだが、そこには、デビュー当初所属した事務所に厳しく管理されていたという事情もあるようだ。のちにある対談で明かしたところでは、当時住んでいたのは社長と同じマンションで、ジョギングも事務所から毎朝課せられていたという。このほか、自分がいまどこで何をしているかも逐一連絡せねばならず、さらに親への電話は禁止、友達もつくってはいけなかったというから、このときの対談相手の阿川佐和子でなくても「軍隊みたい……」と言いたくなる(『週刊文春』2009年4月9日号)。

 当の水野は初めのうちこそ「芸能界に入るっていうのはこういうことなんだ」と思っていたが、高校を卒業して仕事が増え、ほかの人と接する機会が多くなると、さすがに「熱心に面倒を見てくれてるけど、どうもうちは厳しすぎる。おかしいんじゃないか」と気づいた。それでも20歳をすぎると友達もでき、事務所の監視の目をかいくぐり、夜飲みに行ったりしてストレスを発散していたとか。

踊る大捜査線』が大ヒット

 こうした生活は、21歳で大手事務所に移籍するまで続いた。ドラマ『踊る大捜査線』に柏木雪乃役で出演したのは移籍後、22歳になっていた1997年のことだ。雪乃は父親が殺された事件の捜査のなかで主人公の青島刑事(織田裕二)らと出会い、当初はなかなか心を開かなかったのが、やがて警官を志すという役どころで、その後スペシャルドラマ、映画版と続いたシリーズを通して水野の当たり役となった。

 もっとも、オファーを受けたときは、まさか雪乃が警官になるとは知らず、「えぇ〜、あたし、刑事のほうやりたい〜! 銃撃ちたいぃ〜!」と思ったという(楠野一郎監修『戦う女優(ヒロイン)』扶桑社、2000年)。それというのも、彼女はデビューまもないころ、アクション俳優・倉田保昭が設立した「倉田アクションクラブ」に通ううち、アクションに開眼していたからだ。当時の事務所の方針でさまざまなことを習わされた一環ではあったが、小学5年から少林寺拳法を習っていた経験も活き、自分に合っていると思ったという。先の化粧品のCMで脚光を浴びたときも、メディアに登場するたび、足を蹴り上げるなどのアクションポーズでアピールしていた。

 日本にはもともと女性アクションのニーズがなく、デビューして数年はそれを披露するのは子供向けの戦隊物やVシネマにとどまった。しかし、『踊る大捜査線』のあと『彼女たちの時代』(1999年)や『ビューティフルライフ』(2000年)など人気ドラマに出演を続けるうち、映画『現実の続き 夢の終わり』や『千里眼』(いずれも2000年)など、存分にアクションシーンを繰り広げる機会も増えていった。

「自分は素人同然」と痛感した瞬間

 こうして見ると、20代半ばまではまずまず順調に来たといえる。だが、映画やドラマに出続けるうち、それまでは新たな作品のたび「こういうことにチャレンジしよう」と自分なりに課題をつくってのぞんできたのが、一体どうしたら新鮮な気持ちで演技ができるのかわからなくなり、カメラの前に立つのが怖くなってしまったという。

 ちょうどそんなころ、劇団☆新感線の『アテルイ』(2002年)で初めて舞台を経験し、映像作品とは表現のしかたがまるで違うことにショックを受ける。同時に、《舞台を中心に活躍する役者さんがステージで放つ強烈な個性やエネルギー、瞬発力などを目の当たりにすることで、「知らなかった世界がここにはある。自分は素人同然だ」と痛感》し、自分も舞台で求められる役者になるという新たな目標を見つけた(『婦人公論』2008年5月22日号)。

 やがて彼女は、この目標を達成するため、2005年末には所属事務所をやめて独立する。独立後3ヵ月ほどはすべてのマネジメント業務を一人でこなしたりと、大変な時期もあったものの、直後よりあいついで舞台に出演し、「舞台俳優」というイメージがつくには時間はかからなかった。

ゾンビ映画が大好き

 2007年には放送作家の楠野一郎と演劇ユニット「プロペラ犬」を立ち上げる。その意図を水野は、《作家の楠野一郎が、どこからもオファーされないような凄まじい役……例えばゾンビ役などを私にやらせてみようとするんですが、そんな芝居をやらせてくれるプロデューサーを探すよりも、自分たちでプロデュースした方が早いということに気付きまして(笑)。ですから、年に1回は公演をすると決めたプロペラ犬の活動も、クリエイター志向になったというよりも、出逢って、走り始めてしまったという感じです》と説明した(『キネマ旬報』2008年4月下旬号)。

 この発言にもあるとおり、プロペラ犬の旗揚げ公演『マイルドにしぬ』で彼女はゾンビに扮した。もともとゾンビ映画が大好きで、人生で感銘を受けた映画ベスト3をあげたら、3本ともゾンビものになってしまうと言うほどであった。ゾンビ映画にからんで、2011年のインタビューではこんなことも語っていた。

《役者としての私が魅力を感じるのは、きちんとしているものよりも、どこか崩れていたり、破綻していたりするもの。(中略)これは自分にないものへの憧れかもしれません。自分がまじめでつまらない人間であることを自覚しているからこそ、振れ幅の大きい役を求めるし、演じたい。ゾンビ映画好きも、もしかしたらそこにつながるのかもしれません》(『婦人公論』2011年11月22日号)

「心も裸でぶつからないと…」

 この年公開された映画『恋の罪』では、幸せな家庭を持ちながらも不倫関係から逃れられない刑事を演じ、ヌードシーンも含むそのハードな演技で注目を集めた。

 もっとも、彼女からすれば、そうした世間の反響は想像どおりであったと言い、そのうえで《本当は裸になるのは簡単なことなんです。服脱げばいいだけですから。舞台では裸になるよりも、もっといろんなものをさらけ出していますしね。今回の映画だって、身体だけじゃなくて、心も裸でぶつからないと作品に参加できなかった。だから、脱ぐ、脱がないという話だけではすまない、と思うのです》と、出演にあたっての覚悟のほどをうかがわせた(『婦人公論』2011年11月22日号)。

 同じインタビューでは、俳優としては破綻したものに魅力を感じつつも、現実ではちゃんとした生活を営んでいくことに憧れているのかもしれないとも語っていた。じつは水野は20代後半以降、婚期を逃したとの思いから、割り切って仕事に集中したものの、30代半ばになって「いま頑張らないと結婚はない」と感じ、このころには誘いがあれば積極的にパーティに参加したりと婚活に励んでいたと、のちに明かしている(『美ST』2019年1月号)。

 こうした努力が実を結び、2016年には同業の唐橋充と結婚を前提に交際を始め、3ヵ月で結婚した。翌年には43歳にして第一子を出産する。

出産後の人生の変化

 子供を儲けたことで水野の人生は劇的に変わった。ある対談では、《仕事より大事なことなんて想像がつかなかったけれど、子どもが一番になりました。人生の主役が、自分から子どもに入れ替わった感じ》とまで語っている(『AERA』2019年4月22日号)。

 子供が1歳になろうとしていたころには、ある雑誌に依頼され、子育てエッセイの連載をスタート、挿絵はイラストレーターでもある夫の唐橋が担当することになった。そのある回では、産後初めて復帰した撮影現場で、育児にくらべたら仕事のほうが楽だと感じた体験から、一人で不安を抱えながら子供と向き合い続けなければならない専業主婦のほうが絶対に大変だと書いた。これにはとくに読者から反響があったという。

 妊娠して最初に決まった仕事は、ドラマ『奪い愛、冬』(2017年)で嫉妬に狂う鬼女という役どころで、色々と趣向を凝らさねばならないので、面白い仕事だったという。くだんの育児エッセイでは、《あの時期から、クセ強めの面白い役をいただけることが増えている気がするから、私もちび[引用者注:子供]に幸運をもらったのかもしれない》と顧みた(水野美紀『余力ゼロで生きてます。』朝日新聞出版、2019年)。

 一方で、プロペラ犬では自ら脚本・演出も手がけるようになっていたのが、出産してからはその時間をとれなくなった。だが、コロナ禍を挟み、2021年に外部のプロデュース公演『2つの「ヒ」キゲキ』で矢島弘一と脚本を共作したところ、久々に「書く」という感覚を呼び覚まされる(『週刊朝日』2022年11月18日号)。これをきっかけに翌年には、プロペラ犬の公演『僕だけが正常な世界』で6年ぶりに作・演出・出演を務めるにいたった。子供も保育園から幼稚園へと変わるタイミングで、以前よりは手がかからなくなった時期だった。

話題作に続々出演

 ちなみに鬼女を演じた『奪い愛、冬』で脚本を担当した鈴木おさむの作品にはその後もたびたび参加し、今年(2024年)、彼の放送作家として最後のドラマとなった『離婚しない男―サレ夫と悪嫁の騙し愛―』にも出演している。同作を含め、近年は再び連続ドラマにも立て続けに出演しており、この7月からはフジテレビ系の学園ドラマ『ビリオン×スクール』で謎多き校長を演じる。さらに来年のNHKの大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』にも、妓楼の女将役で出演が決まっている。

 それに加えて今回の『news zero』でのキャスター起用。ここでも、水野から日頃の経験を踏まえたクセ強めのコメントが飛び出すのではないかと、期待せずにはいられない。

(近藤 正高)