【大谷争奪戦も「蚊帳の外」】

「大谷に関して私が話すことはすべてオフレコにしてほしい」

 現地時間12月9日、マディソン・スクウェア・ガーデンで行なわれたNBAのあるゲームでのこと――。コートサイドに姿を見せたニューヨーク・ヤンキースのエグゼクティブ(シニア・アドバイザー)、オマー・ミナヤ氏に大谷翔平について問うと、突然、顔つきが変わった。

「本当に規格外の選手。彼について言えるのはそれだけだ」

 9月、ブライアン・キャッシュマンGMと共に来日したミナヤ氏は、オリックスの山本由伸がロッテ戦でノーヒッターを達成したゲームを生観戦している。日本での経験、山本の魅力、山本側の関係者と日本で食事をした話などは嬉しそうにしてくれたが、大谷に関してはほとんど口をつぐんだ。


ドジャースの入団会見に出席した大谷翔平 photo by Getty Images

 今オフ、大谷の代理人ネズ・バレロが、獲得を目指すチームに箝口令(かんこうれい)を要求したことは広く伝えられてきた。GM会議、オーナー会議、ウィンターミーティング(WM)と取材する限り、大谷を真剣に「ほしい」と思っているチームは徹底して沈黙を守ろうとしていた印象だった(WMで大谷との対面を公言した、ロサンゼルス・ドジャースのデイブ・ロバーツ監督のような例外はあったが)。

 そんな流れから考え、ミナヤ氏の不自然な様子を見ると、"大谷争奪戦"では劣勢とみなされたヤンキースも見限るべきではないように思えたのだが......。

 結局、大谷は12月9日、ドジャースとの超大型契約を発表した。公表された契約内容は10年7億ドル(約1015憶円)という壮大なもの。その金額の大半が後払いだったとはいえ、大都市チーム、金満チームしか払えない額だったことは言うまでもない。

 大谷本人の口から最終候補チームが明かされることはなかったが、ドジャース以外ではサンフランシスコ・ジャイアンツ、トロント・ブルージェイズ、古巣のロサンゼルス・エンゼルスにチャンスがあったことは間違いなさそうだ。

 このラインナップを見る限り、ニューヨークの"悪の帝国"復活を深読みする必要はなかった。7年前のメジャー入り時と同様、ヤンキースはまたも歴史的な争奪戦の蚊帳の外にいたようである。

【大谷がヤンキースに移籍していたら......】

「大谷は"ニューヨーク・ストーリー"ではないようだ。真実かはわからないが、翔平はニューヨークを望んでいないという見方が依然としてある。彼自身が言ったわけではないが、そう推測している人たちがいる」

 情報通として知られる、地元メディア「SNY」のアンディ・マルティノ記者はそう指摘していたが、 「大谷は東海岸には興味はない」という現場の通説が真実だったかどうかはわからない。ともあれ、これはあくまで個人的な思いだと断っておきたいが、少し残念な気持ちも残る。ニューヨークで20年以上を過ごしてきた人間として、「アメリカで本当にベースボールが熱いのはやはり東海岸だ」という思いがあるからだ。

 今年、ア・リーグ東地区の5チーム中4チームが勝率5割以上だったことが示す通り、プレーレベルの高さ、競争の激しさもお墨つき(プレーオフではどのチームも振るわなかったが、それはよくあることだ)。特に"ベーブ・ルースの建てた家"と称されるヤンキースタジアムで、"現代のベーブ・ルース"がプレーしていたらどれだけ壮観だったか。

 大谷がピンストライプに袖を通せば、ブロードウェイのビルボードに恒常的にポートレートが掲げられただろう。ニューヨークの看板になることで、大谷は野球界の範疇を超え、アメリカでも正真正銘のメガスターになっていたはずである。
 
「ジョージ・スタインブレナー(故人・元オーナー)は、世界最高の選手たちはヤンキースでプレーすべきだと常に考えていた」

 WM終了後、ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMが残したそんな言葉も大谷に投影できる。より厳しく、それゆえ成功時には得られるものも大きい大都市で、"球界の顔"がプレーすることの意味と楽しさは計り知れないものがあったように思えるのだ。

【お互いの思惑が一致せず】

 ただ......そんな勝手な思いはあっても、もちろん「大谷が間違った選択をした」などと言いたいわけではない。

 直近の11年中10年でプレーオフ進出という、近年のドジャースの安定した強さはヤンキースを上回る。打線では31歳のムーキー・ベッツ、34歳のフレディ・フリーマンという2人の元MVPが格好のプロテクションになり、大谷が勝負を避けられるケースも劇的に減るはずだ。

 先発投手陣には補強が必要だが、大谷の契約が後払いであることも助けになり、トレードで獲得したタイラー・グラスノーとの契約をすでに延長した。山本の獲得も有力と伝えられ、間違いなく上質なローテーションを作ってくる。

 来季のプレーオフ争いは濃厚。"とにかく勝ちたい"という大谷の希望通りのチームになっていくはずで、住み慣れた南カリフォルニアの地に残れるのもファクターのひとつに違いない。だとすれば、大谷はバレロ代理人と共に最高のチョイスをしたのだろう。「東海岸には興味はない」という説が本当かはともかく、ドジャースという選択肢があるなら、大谷はヤンキースをはじめとする東のチームに目を向ける必要はなかったのだ。

 つけ加えておくと、ヤンキース側から見ても大谷は必須の選手ではなかった。

 昨季、7シーズンぶりにプレーオフ進出を逃した名門にとって、今オフは外野手と先発投手陣の補強が急務。基本的にDH専属で、右肘手術の影響で来季は投手として登板できない大谷は、そのプランにフィットしなかった。

 現ヤンキースのDHには、2027年(2028年はチームオプション)まで大型契約を残したジャンカルロ・スタントンがいるため、まずスタントンを放出しない限りはスポットに空きはない。スタントンをトレードできたとしても、アーロン・ジャッジをはじめとする他の主力選手のために、できればDHは空けておきたいところだ。

 そんな状況を考えれば、大谷獲得に関して最初から本腰を入れていなかったのも理解できる。WM中、通算160本塁打のフアン・ソトをパドレスからトレードで獲得して外野補強に成功し、今後は山本をはじめとする先発投手のテコ入れに力を入れるのが既定路線。筋の通った方向性が見えるだけに、大谷のドジャース契約時にも、ファンの間から特に落胆の声は出なかった。

 2017年、大谷の初渡米時、ヤンキースが最終候補に入らなかったことは大きな話題になった。ニューヨーク・デイリーニューズ紙が「(東海岸を怖がった)臆病者(What a chicken)」などという見出しをぶち上げたのは記憶に新しい。

 一方、今回の契約後は、"Shohei The Money!(翔平は金だ!)"といった超高額契約を揶揄するような見出しがあったくらい。その記事内容や紙面作りから多少の妬みは感じられても、批判的な空気感は伝わってこなかった。

 ここまで読み進めて、そもそも"大谷争奪戦"の有力候補ですらなかったニューヨーク側からの視点に、ピンとこないファンも多いかもしれない。

 ヤンキースには依然として一定のブランド力があり、大物スターの獲得戦線に参戦した場合、そのレースに箔がつくのは事実である。それでも大谷に関しては、2017年も、2023年も、お互いの思惑や状況が一致しなかった。"話は進まない"どころか、交渉のテーブルに着くことすらなかったのだ。

 向こう10年間、"ハリウッドの怪物"は年に1、2度、ヤンキース、メッツとの対戦でニューヨークを訪れる。その際も、多少のブーイングはあっても、特別に大きな罵声を受けることはないのだろう。縁がなかったひとりのスーパースターとして、リスペクトと羨望の眼差しで受け入れられるかもしれない。