日本サッカー史上、初めて元日に代表マッチが組まれた。そのタイ戦のメンバーに選ばれた菅原由勢(AZ/オランダ)は12月上旬に喜びと決意を語った。

「元日に試合をするのは初めて。昔は天皇杯の決勝がありましたよね。元日という大切な日に日本代表の試合があり、テレビ中継があるというのは、日本にサッカー文化を植えつけるチャンスだと思います。

 もっともっとサッカーが日本でポピュラーになって、誰もが憧れるスポーツ選手になるために、非常にいい機会になります。野球、相撲といろいろありますが、選手たちはサッカーが日本のメジャースポーツになるためにがんばっています。やっぱり未来につなげていかないといけません」


菅原由勢は2023年ついに日本代表に定着した photo by Getty Images

 2023年は、菅原が日本代表に定着した年だった。右サイドで伊東純也(スタッド・ランス)、堂安律(フライブルク)、久保建英(レアル・ソシエダ)らと魅惑の右サイドを演出した23歳の青年は、まだ8キャップのフレッシュマンなはずなのに、日本サッカーの未来を見据えていた。

 以前、菅原が中学1年生の頃を振り返ってくれたことがあった。

「名古屋グランパスの育成に入った瞬間から『この道で生きていくんだ』と覚悟を心に決めて、毎日いろいろな選択をしてきた。もちろん、犠牲にしたこともある。1日3食が自分の足にかかっている──その覚悟を、僕は誰よりも持っている」

 睡眠や休暇を削って送り迎えや応援に時間を割いてくれた両親、弟の挑戦を暖かく見守ってくれた兄・姉への感謝を心に刻み、13歳にして「家族には僕へのストレスがあるに違いない。自分だけの人生ではない。この家族は自分の足によって決まる」と覚悟を決めた。

 この話を聞いた時、私は菅原のオランダ・デビューマッチのことを思い出していた。2019年7月26日のヨーロッパリーグ予選2回戦・AZ対ヘッケン(スウェーデン)戦で31分間プレーした彼は、記者たちから質問を受けるよりもいち早く、こう語ったのだ。

「まずは使ってくれた監督、今まで育ててくれた指導者の方、支えてくれた家族、今までお世話になった人たち、すべての人にお礼を伝えたいと思います。まだまだここは通過点ですし、これからもっと長い道のりがあると思いますけれど、まずはスタート地点に立てたということに、感謝の気持ちをみんなに伝えたいと思います」

【菅原はオランダで最もチャンスを作っている選手】

 菅原のパスには味方への優しさが詰まっている。敵のミスを突く狡猾さがある。そこに他人への思いやりと、職業人としての矜持が宿っている。13歳で立てた決心の積み重ねが、AZと日本代表でのプレーひとつひとつに現れている。

 2021年の東京オリンピックのメンバー選考から漏れた菅原は、2021-2022シーズン、AZで鬼気迫るプレーを披露し続けたが、無理がたたってひざを痛めた。2022年6月、菅原は2020年10月以来、久々にA代表に選出されたものの、ひざの手術のため辞退しか選択がなかった。

 その後の半年間、AZでのプレーでアピールし続けて、代表入りへ猛スパートを仕掛けた。しかし、カタールワールドカップのメンバーに選ばれることはなかった。

 カタールの地で日本は、ドイツやスペインを破るセンセーションを起こした。だが、AZのチームメイトは菅原のことを慮(おもんぱか)ったのか、ほとんど話題にしなかったという。

 2023年の年頭、菅原は「攻守において、自分がオランダリーグで右サイドを制す」と誓った。敵の左ウインガーに1対1で勝つ、自分の特徴であるオーバーラップの回数を増やすことなどを課題として、サイドバックとしてのレベルアップを図った。

「スペイン、ドイツに勝った試合を目に焼きつけました。サッカー選手として、そこに自分がいなかったことが許せなかった。『今度は絶対に、僕が試合に出てベスト16の壁を破る』という強い気持ちが芽生えました」

 一方、菅原はAZでジレンマを抱えていた。

 AZに入団して以来、久しくチームでは左サイドがチームのストロングポイントであり、右サイドで菅原が遠くから手を振っても、肝心な場面でボールが回ってくることは乏しかった。しかし今、AZの攻撃の42パーセントは右サイドから生まれている。

『フットボール・インターナショナル』誌(12月17日付ウェブ版)によると、今季のオランダリーグで最もチャンスを作っているのは菅原だ。オープンプレーからのクロス成功回数も1位。FK・CKのキッカーを任されている今季、セットプレーでのチャンスメイクの回数は3位である。

【オランダメディアも菅原のプレーを大絶賛】

 11月のワールドカップ・アジア2次予選のシリア戦で披露した美しい軌道のゴールには、オランダで磨いた菅原の「右足のエッセンス」がすべて盛り込まれている。守備でも『シュートブロック』のスタッツは、この4年間で1試合当たり0.1回から0.5へと大幅にアップしている。

 このオランダ誌の記事のタイトルは『菅原由勢によってAZは右側に傾く』というもの。今年1月に立てた「攻守に右サイドを制す」という目標を、菅原は達成した。

 今年、代表チームの一員としてコンスタントにプレーした経験は、菅原にいろいろな気づきを与えている。12月17日の対PSV戦で、AZは0-4と大敗した。AZのシュートは89分に菅原が放った、たった1本だけだった。まさに手も足も出ない惨敗だった。

「急造チームの日本代表ですら、短い活動期間ながら質の高い会話を何回も重ねて、ピッチ上で試行錯誤して、ピッチ外でもいろんな話をしてチームとして共通認識をたくさん持って、いろんなアイデアを持って試合で臨んでいる。今年の日本代表の結果というのは、自分たちがやってきていることに伴っている。それは間違いない。

 代表チームに行けば、常に学びがある。トップ・オブ・トップの(クラブでプレーする)選手たちが集まって『こういうトレーニング・ミーティングをチームでしている』とかね。そんなトップ・オブ・トップのチームがそこまでやっているのに、僕のチームはこれだけしかやらないんだろう、これで満足しているんだろう、これで試合に勝てると思っているんだろう......というギャップがすごくある」

 カンファレンスリーグのレギア・ワルシャワ(ポーランド)戦を敵地で戦ってから、首位PSVとの大一番までAZは中2日しかなかった。リカバリーに時間を割かざるを得ないのは仕方がない。それでもピッチの上で、簡単でもいいからPSVに対していかに挑むかを確認し合う作業はできたはず......。そう菅原は厳しく、試合までの取り組みを指摘した。

【2024年の目標はチームを動かすリーダーシップ】

 AZでの4年半で公式戦182試合に出場し、10ゴール25アシストを記録した菅原は、クラブ、チーム、仲間たちに「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と発信しているが、「彼らの心に響いているとは思えない」と述懐する。

「自分がもっと説得力のあるプレーをピッチ上ですれば、僕の方向性についてきてくれる選手もスタッフもいるでしょう。だから、僕自身がもっとパフォーマンスをよくするだけだと、今は思います。自分が本当に不甲斐ないなって思います。だから今日(PSV戦)も最後まで点を取りにいきました」

 12月20日のKNVBカップ・HHC(アマチュア)戦で、AZの年内スケジュールは終わる。

「まだカップ戦があるし、元日の試合を考えられるほど余裕はないし、そんなことを考えたらたぶんケガをする。今は目の前にある試合に向けて、100パーセントの準備をしなきゃいけない。

 この試合(PSV戦)から何を学ぶかも含めて、課題はたくさんある。コツコツひとつずつやっていくことが、今は必要なのかなと思います。チームも若いですし、急によくなることはないですしね」

 今年最後の言葉を、彼はこう残していった。

「ここに来た時と、今と、同じ感情を抱いていたらダメだと思う。もちろん、見える景色も違うし、プレーも変わっています。選手としても、チームを動かす存在としても、まだまだ力不足だなというのは感じます。日々成長です」

 PSV戦後の菅原の言葉を聞くと、自ずと2024年の目標が定まってくる。

 それは、リーダーシップ。パーソナリティとプレーの質の高さでクラブ内の信頼を掴み、その言葉の重みで周囲を動かすような存在になること。1月1日のタイ戦は、その一歩となる。