広島ドラフト1位・常廣羽也斗がプロでの成功のカギと語る「柔らかいボール」って何だ?
2023年10月26日、常廣羽也斗(青山学院大)はプロ野球ドラフト会議の目玉のひとりと見られていた。
会議前の10月13日には広島が常廣の1位指名を公表。ドラフト会議当日には楽天も常廣を1位指名し、抽選の末に広島に交渉権が渡っている。
ドラフト1位で広島に入団した常廣羽也斗 photo by Kyodo News
常廣のマウンド姿には美しさがある。身長181センチ、体重74キロの細身のシルエットと、しなやかな投球フォーム。捕手に向かって加速していくようなストレートは、球筋からして惚れ惚れする。筆者は昨春から常廣のストレートの質に着目し、そのつかみどころのないキャラクターも相まってその魅力にのめり込んだ。
だが、常廣が多くのメディアから「即戦力右腕」と評される点については疑問があった。たしかに現段階での実力でも、それなりの結果を残せるかもしれない。それでも、現時点での常廣のストレートは1球ごとのムラがあり、プロの一軍の強打者に通用するかと言えば不安も残る。
常廣は自分が「即戦力」と報じられていることについて、どう感じているのか。常廣の自己分析を聞くために、ドラフト会議後の常廣を直撃した。
【やりがいのある1年だった】── 大学最後の公式戦だった明治神宮大会決勝(11月20日・慶應義塾大に0対2)で敗れたあとも、涙はありませんでしたね。
常廣 感情はめちゃくちゃきていたんですけど、達成感のほうが大きかったです。春・秋と全国に出て、夏には(大学日本代表で)アメリカへ行って、1年間通して投げられたので。すがすがしい気持ちでした。
── フルシーズン戦い抜いたのは、大学4年間で初めてでした。疲労もあったのでは?
常廣 フォークをたくさん投げたので、指先はボロボロになりました。肩・ヒジは1回も痛くなっていません。
── シーズン中に「去年より思ったようなストレートが投げられていない」と語っていました。フォークに頼らざるを得ない、苦しい1年でもあったのでは?
常廣 苦しいというより、やりがいがある1年でした。ケガをしている時が一番苦しいので、ケガをしていない時点でうれしいことですから。1〜2年の時はしょっちゅうケガして、もがくこともできなかったので。
── 野球をやっていて、涙を流したことはないんですか?
常廣 わかんないです。小学生くらいの頃ならあるかもしれませんが、高校や大学ではないかもしれません。
── 卒業式で泣くこともない?
常廣 そうですね。泣こうと思えば泣けるんですけど、「泣けそうだな」と思うと妙に冷静になってしまって泣けないパターンになっていますね。
── 「泣こうと思えば泣ける」って(笑)。映画などを見て、感動して泣くということもないですか?
常廣 ないですね。どちらかというと、悔しさから泣きそうになることが多いです。ピッチングがうまくいかない時とか、結果が出ない時とか。ブルペンでもたまにあります。
── ブルペンで泣きそうになるんですか?
常廣 高校の時はよくありました。当時は何もわからない状態で、何かをつかみたくてもがいているんですけど、沼にハマっちゃう感じで。何がなんだかわからず、投げやりになってブルペンで投げていたこともあります。
【いい球を投げられる根拠がまだない】── 基本的に喜怒哀楽を出さないイメージがありますが、打席に入る明治神宮大会(東都大学リーグはDH制)では楽しそうでしたね。
常廣 バッターの時はけっこう楽しんでワイワイできるんです。バッティングはめちゃくちゃ楽しいので。
── 送りバントを決めて、はしゃいでいる様子が印象的でした。
常廣 バッターって痛みが9分の1になるのかなと。攻撃は9人でやるのでほかの人がカバーできますよね。ピッチャーはひとりの責任になるので、より慎重になるというか。ピッチャーが自滅すれば、誰もカバーできませんから。
── それはずっと思ってきたことなのですか?
常廣 気づいたのはここ最近かもしれません。野手から声をかけてもらうこともありますけど、ピッチャーは自分で何とかするしかない。誰も助けられないなって。
── そう聞くと、孤独感を覚えそうですが......。
常廣 でもピッチャーは楽しいですよ。いや、楽しいというより面白い。やりがいがあります。まだ答えが見つかっていないので、不安な気持ちも大きいですが。
── 「不安な気持ち」とは?
常廣 やっぱり、いい球を投げられる根拠がまだあまりないので。
── それは、いいストレートをコンスタントに投げるための根拠ですか?
常廣 はい。根拠があるとラクなんですけど今はないので、いいピッチングをしてもなんか納得できないというか。ずっと「これが根拠になるかな?」とキーになる部分を見つけ出してやってきましたけど、結局調子や環境によってすぐ変わってしまって。1試合1試合違うので、「難しいな」と感じています。
── 常廣投手は自身のいいストレートを「柔らかいボール」、シュート回転が強く納得のいかないストレートを「硬いボール」と表現しています。おそらく、全球「柔らかいボール」が投げられたら、プロの強打者でも打てないのではないですか?
常廣 納得のいくボールを打たれていたら、そもそもプロじゃないので(笑)。当然、どのピッチャーも100パーセントが出せたら抑えられると思います。
── 柔らかいボールがいく時のリリースの感触はどんなものなのでしょうか?
常廣 うーん......ちゃんとかかった時は「あとはボールに任せられる」というか。そんな感じですね。
── 柔らかいボールを再現する確率を上げるには、何が必要ですか?
常廣 トレーニング量が圧倒的に足りていないと感じます。今までフォームのメカニズムにばかり意識が向いていたような気がするので。
── 前は「体重を増やしたいと思わない」と語っていましたが、考え方が変わったのでしょうか?
常廣 いや、これは体重の話じゃないです。バランスとか走り方とか、神経的な話ですね。体重は自然と上がっていく分にはいいと考えています。
── 体の機能を高めるためのトレーニングを重視したいということですね。
常廣 今まで突き詰めてやってこなかったので、逆に言えば何でもできる状態というか。絶対に伸びるだろうな、という感覚はあります。
【高校1年で勉強はあきらめた】── 今回、一番聞きたかったことですが、常廣投手は「即戦力」と報じられています。自分自身ではどのように感じているのでしょうか?
常廣 そうですね......。そこに関しては何とも思っていないというか、わかんないというか。まずプロがどんなレベルかもわからないですし、自分がどんなレベルなのかもわからないので。プロ野球選手・常廣羽也斗としての今の課題もわかりません。何もわからないので、目標の立てようもないんです。
── その環境に入ってみないと、わかりませんものね。入団交渉後の記者会見で「勝つ!」という直筆ボードを掲げていましたけど、目標を書くのは難しかったですよね?
常廣 はい。勝たないといけないのはたしかなので、そう書きました。
── ある意味、誠実な態度と言えるかもしれません(笑)。そもそも、野球の試合をほとんど見ないと言っていましたよね。「野球は長いし、つまらない」と。
常廣 でもこの前、久しぶりに神宮球場に見にいったんですよ。たぶん小学生の時以来です。
── おぉ、どうでしたか?
常廣 全然試合を見ずに、中(コンコース)でご飯を食べていました。
── やっぱり、常廣投手にとって野球は見るものではなく、やるものですね(笑)。常廣投手が「野球で生きていこう」と決めたのはいつですか?
常廣 大学で野球をしようと思った時です。もうちょっと勉強がうまくいっていたら違っていたかもしれないですけど、勉強は途中で面白くなくなったので。
── 進学校の大分舞鶴高で「上には上がいる」と悟ったのでしょうか。
常廣 中学までは勉強が面白かったので、成績は上のほうでした。高1で勉強をあきらめてしまったというか、どうでもよくなったというか。
── 代わりにのめり込めるものがあってよかったです。今後、プロに進んで有名になっていけばいいことばかりではないと思います。周りから心ないことを言われたり、根も葉もない評判がひとり歩きしたりすることもあるかもしれません。
常廣 そこはもう、どうでもいいですね。見てくれる人は見てくれるので、自分のことを知ってくれている人にわかってもらえれば、どうでもいいです。
── 明らかにプロ向きのマインドだと思うので、どうかそのままでいてください(笑)。個人的には、常廣投手の「柔らかいボール」が捕手のミットをビチビチと叩くピッチングがプロで見たいです。
常廣 自分もそうしたいんですけど、たまにしかできないんで(笑)。
── できるようになったら、侍ジャパンクラスだと思います。まだプロを経験していないと言っても、その次元を目指してはいますよね?
常廣 そうですね。ストレートで空振りをとって、フォークで空振りをとって......というピッチャーにはなりたいですね。
── チームメイトの下村海翔投手(阪神ドラフト1位)との投げ合いも楽しみにしています。
常廣 ありがとうございます。でも、そういう時に負けそうなのが自分なんですよねぇ(笑)。
常廣羽也斗(つねひろ・はやと)/2001年9月18日、大分県生まれ。小学3年で野球を始め、中学は大分シニアでプレー。高校は県内屈指の進学校である大分舞鶴に進み、1年秋からエースを務めた。甲子園出場は果たせなかったが、指定校推薦で青山学院大に進学。2年春から登板し、3年秋に自己最速となる153キロをマーク。4年春のリーグ戦ではチームを33季ぶりの優勝に導き、大学野球選手権大会でも決勝の明治大戦で完封勝利を挙げ日本一を達成した。今秋のドラフトで広島から1位指名を受け入団。背番号は「17」に決まった