奥野一成のマネー&スポーツ講座(45)〜学校で学べる?起業・経営

 集英高校の野球部顧問を務めながら、家庭科の授業で生徒たちに投資について教えている奥野一成先生から、経済に関するさまざまな話を聞いてきた3年生の野球部女子マネージャー・佐々木由紀と新入部員の野球小僧・鈴木一郎。ふたりは1年近くにわたり、株式投資をはじめ投資活動についての話を聞きながら、投資家的思考法について学んできた。

 ここ数回は実践編として、「比較的所得階層の高い人が趣味にしているスポーツの愛好家へ情報・技術を提供する事業」や「学校の設備を使った地域コミュニティの活性化につながるような事業」といった、スポーツに関するビジネスに携わる方法について考えをめぐらせてきたが、前回は、自分たちでこれらの事業を起こす(起業する)としたら、何が必要か、シミュレーションしてみた。

奥野先生の答えにふたりは衝撃を受けた。ビジネスのアイデアや技術、資金といったもの以前に、何より第一に必要なのは「情熱」だというのだ。

鈴木「先生が言っていた『情熱がなければ絶対に成功しない』『ベクトルのないやる気や情熱で心をパンパンにしろ』『勝つまでやり続ける』......昔のスポ根ドラマのような匂いがしないでもないんだけど......」
由紀「でも、起業を成功させるための細かいテクニックやハウトゥーより、そっちのほうが大事だというのは、わかる気がする。もし本当に私たちが起業するとしたら、それが問われるのよ」
鈴木「本を読んだり、人に教わったりするだけじゃダメってことですね」
由紀「でも私、ひとつ疑問が湧いたの。以前、国や地方自治体、それから企業も、若い人に起業をさせようといろいろな取り組みをしているっていう話があったじゃない?(「マネー&スポーツ講座(21):『「起業」を官民あげて促すのはなぜか。高校の野球部生徒が社会の流れやその現状を学ぶ』」) そうやって起業しやすい環境を整えていくことと、『勝つまでやり続ける』って、なんかちょっと違うような気がして......。奥野先生、どう思います?」

【「休みは正月1日だけ」】

奥野「そうだね。由紀さんが気づいたように、いくら外部が起業しやすい環境を整えたとしても、最終的には起業家の情熱がすべてという面があるのは否めないね。

 たとえば、京都にモーターなどを製造しているニデック株式会社(旧日本電産)という会社がある。創業者であり現会長の永守重信さんという方がいらっしゃるんだけど、休むのは正月の1日だけなんだ。そんな働き方はブラックだと思うかもしれないけど、起業家ってそういうものなんだよ。

 彼は28歳の時に、それまでに貯めたお金をすべて投じてニデックを立ち上げた。その後も自分の才能と時間を、『回るもの・動くもの(=モーター事業)』にオール・インすることで、従業員たった4人だった会社を時価総額3.2兆円の世界的な会社に成長させたんだ。

 雇われている社員が正月1日だけしか休めない会社だったら、まさにブラック企業なんだけど、永守さんは経営者であると同時に、ニデックの株主(オーナー)だからね。そもそも働かされている立場ではなくて、まさに自分事だから、圧倒的に主体的な働き方ができるんだ。もしくは人並外れた主体性を持っている人だからこそ、起業家になってしまうとも言えるかもしれないね。

 その会社が提供する製品、サービスによって世の中がよくなり、売り上げが増えれば社員の生活も向上する。当然、オーナーである自分も儲かる。そのためなら『休みが何日か』なんてことは気にしていられないんだ。

 もちろん、そうやって働いたからといって、全員が永守さんのようになれるわけではないし、悪戦苦闘している人たちを見て、やっかみ半分でいろいろなことを言う人はもちろんいる。『なんだ、偉そうなことを言っていても、結局は失敗するんじゃないか』とかね。起業家といえども人間だから、へこたれそうになることだってあるかもしれない。でも、成功した起業家はみな、前回紹介した『HARD THINGS〜答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』(ベン・ホロウィッツ著)にも書いてあったような『不眠との戦い』を乗り越えてきたんだ」

鈴木「ああ、そこまで僕にできるのでしょうか」
由紀「そこまで自己犠牲を払ってでも突き動かされるような情熱があるってことですよね」

【情熱に人が集まってくる】

 奥野「起業して、その会社を大きくしていくプロセスは、本当に辛く、厳しい、そしてホロウィッツさんが言うように、吐き気を催して不眠に陥るような、とても大変なことなんだけど、そんな経験をしながらも、経営者が平然としているかのように見えるのは、何も感じていないのではなくて、自分自身もとても辛いんだけど、それでもこれを成し遂げたいという情熱を持っているかどうかなんだと思う。

『MBAを取りました』『公認会計士の資格を持っています』『弁護士資格を持っています』と言う人がいるのだけど、この手の知識を持っているから起業家になれるとは限らない。むしろ知識なんか持っていなくても、情熱さえあれば何とかなるのが、起業の世界なんだ。なぜなら、知識を持っている人は、情熱を持っている人のもとに集まってくるからなんだよ。

 逆に言うと、ほとんどの人は、そこまでの情熱を持っていないとも言えるかな。もちろん情熱がゼロというのでは、普通の会社勤めさえもできないと思うんだけど、普通の人の情熱と、起業家の情熱とでは比べものにならない。そして、その情熱にほだされて、有能な人たちが経営者のもとに集まってくるんだ。たとえば本田技研工業を創業した本田宗一郎は情熱に溢れる技術者で、それを財務と販売など企業実務に詳しい藤沢武夫が支えたというのは、有名な話だよね。ソニーだって井深大と盛田昭夫がコンビを組んだからこそ、あそこまで大きな会社になったんだ」

鈴木「先生、『環境が人をつくる』って言うけど、もっといろいろ環境を整えてあげれば、起業家って生まれてくるんじゃないですか?」

奥野「たとえば、幕末に活躍した尊王の志士たちは皆、本当に優秀な人物だったのだろうか。どうして長州藩から、あれだけ大勢の人材が輩出されたのだろうか。ときどき、そんなことを考えることがあるんだ。

 それはおそらく、長州藩の人間がみんな優秀だったというよりも、そういう時代背景のなかで、たまたま吉田松陰のような突出した大人物がいて、その情熱に突き動かされるかのように、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋といった優秀な人材が大勢集まり、お互いに競い合ったからではないかな」

由紀「競い合う?」

【環境整備よりメンタル】

奥野「そう、この『競い合う』というのが実は大事で、幕末から明治維新にかけて嵐のように吹き荒れた尊王攘夷の風は、志士を育てる環境としては重要な役割を果たしたのだとは思うのだけど、何よりも大事なのは、この競い合うことだったのではないか、とも思うんだ。

 だから鈴木君が言うように、政府が起業しやすい環境を整備することについて、まったく無意味だとは思わないよ。そういう周りの環境から影響されて、起業家に育っていく人がいるかもしれない。

 経済産業省が始めた『J-StarX』のように、今後5年間で1000人規模の起業人材を、米国西海岸など世界中に派遣するプログラムも実際に始まっていて、これによって多少は、起業家として成功する人も出てくるかもしれないね。

 ただ、本当に起業したいという人は、政府の後押しなんかなくたって、きっと起業するはずなんだよ。徒手空拳でも、自分は絶対に起業して成功してやるぞ、と思える人物は、情熱もさることながら、周りと競い合って、その競争の中で勝つことの喜びを知っている。だからスポーツを通じて、戦い、勝つことを学ぶのは、すごく意味があることなんだ。どれだけ厳しい局面でも、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で臨む。そのメンタルを育てることのほうが、環境整備よりも重要かもしれないね。

由紀「やっぱり起業家ってすごいんですね。私自身、起業するかどうかわからないけど、そこまでの情熱を持って何かしようという気持ちになれるかしら」

奥野「ただ、これからの会社員は、起業するくらいの情熱と主体性を持たなければ、会社員としてでさえも成功できないかもしれないよ。

 なぜ日本の経済が30年以上も停滞したのかっていうと、原因のひとつは、会社員の多くが『働かされマインド』になってしまったからだと思うんだよ。そこから脱却するためには、自分で主体的に働くことが大事であって、そのためには情熱が必要になってくるのだろうね。

 じゃあ、会社員として情熱を持って主体的に働くためにはどうすればいいのか。たぶん気になると思うんだけど、そのための方法がひとつだけある。これについては次回、詳しく話すことにするよ」

奥野一成(おくの・かずしげ)
農林中金バリューインベストメンツ株式会社(NVIC) 常務取締役兼最高投資責任者(CIO)。京都大学法学部卒、ロンドンビジネススクール・ファイナンス学修士(Master in Finance)修了。1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2014年から現職。バフェットの投資哲学に通ずる「長期厳選投資」を実践する日本では稀有なパイオニア。その投資哲学で高い運用実績を上げ続け、機関投資家向けファンドの運用総額は3000億円超を誇る。更に多くの日本人を豊かにするために、機関投資家向けの巨大ファンドを「おおぶね」として個人にも開放している。著書に『教養としての投資』『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』『投資家の思考法』など。『マンガでわかるお金を増やす思考法』が発売中。